4.シビト

9/9
前へ
/53ページ
次へ
 どれだけそうしていたかはわからない。  無心で目に映る異形のモノたちを叩きのめしていた瑞月は、振り上げた流木を掴まれて我に返った。振り返れば朔がそこにいて、憐れみと慈しみの混じった目で彼女を見ている。瑞月はポカンと口を開けた。 「よくやった、瑞月。終わったよ」  その言葉はまるで呪文のように、瑞月の張り詰めた精神の糸を切った。 「あっ」  両足から力が抜ける。ぐにゃりと座り込んだ瑞月を朔が片手で受け止めた。 「食べた、の」 「そうだよ」 「お腹いっぱい?」 「いっぱいだ」  彼は満足げに舌なめずりをした。朔の顔はいつも通り涼しげに見えたが、よく見れば血を拭ったような跡がある。しかし、怪我自体は怪異を食らったことで回復したようで、瘴気による嘔吐も治まっていた。  瑞月はしげしげと朔の顔を見上げ、ぽつりと呟いた。 「仇……取ったわ」 「そうだね」 「あの怪異、お母さんの姿をしていたの。だから、お父さんは手が出せなかったのね」 「瑞月」  朔は瞳を覗き込むように顔を近付けた。 「シビトは死者を真似る。決して本物の母ではないよ」 「……わかってる」  瑞月は朔から体を離し、海原を振り返った。波が岩場に砕けて散る。その光景は単調でありながら、決して立ち止まることを知らなかった。 「……これで懲りたかい?」  朔が問う。瑞月はしばらく海を眺めていたが、やがて静かに首を振った。 「いいえ。続けるわよ――お互いのために」  彼女は改めて朔に向き直ると、真っ直ぐにその目を見据えて言った。 「朔。あなたは私の望むものならなんでも叶えると言ったわね」 「言ったかな。言ったかもしれない」 「だったら、黙って傍にいて。私にはもう、あなたしかいないの」 「……仰せのままに」  一陣の風が吹く。  遠くに迎えの漁船が近付いて来ていた。 了                        
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加