彼女

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彼女

 それから休日になると、猫と一緒に遅い朝食をとったあと、のんびり散歩するようになった。あてもなくさまよっていたときは、景色など見ていなかったけれど、いまは違う。  角の花屋で目を和ませ、ドリンクスタンドの紅茶で喉を潤し、広場の噴水が陽光にきらめくさまを楽しむ。  昔はこんなふうに出歩くこともできなかったけれど、喫茶店に通ったり、自分の店を開いたりするうち、苦手意識がすこし払拭されたようだ。  適当に昼食を済ませてから、裏通りにあるアンティークショップを訪ねる。置いてある商品は眺めるだけで楽しく、刻まれた年数を感じる。初めて目にしても、どこか懐かしい。  ショップをあとにして、知らない方向へ進んでみた。裏路地がつづく。まだ日が高いので、探求心に任せて歩いていった。  レンガ造りの家が立ち並ぶものの、人の姿がない。次第に心細くなってきた。戻ろうか、と考えたときだった。  路地の一角に小さな店が佇む。暗いショーウィンドウの中にふたつの人影があり、僕はギョッとする。よく見ると、それはアンドロイドだった。  どうやら、等身大の人形を扱う中古ショップらしい。営業しているのか怪しかったが、入り口には『OPEN』のプレートが掛かってある。僕は興味をおぼえ、重いドアを開いて中を窺った。  室内も薄暗い。通路を挟むように、永遠の眠りについたような人形がずらりと並ぶ。封じられた神殿に足を踏み入れてしまったみたいだ。 「いらっしゃい」  不意にしゃがれた声が聞こえ、奥のカウンターの向こうで、老主人が分厚い書物に目を落としていた。僕は立ち去りそびれ、ふたたび動かぬアンドロイドを眺めた。  こうして並んでいると、それぞれに個性があるのが分かる。年齢や性別しかり、顔立ちや肉付きも違う。性能も多種多様なのだろう。  ほとんどは量産型だ。筋肉質の男が二体、双子のように並んでいるのを見て、僕はあまりここに長くいるべきではないと感じた。  出口へ足を向けたとき、視界の端にチラッとなにかが映り、動きを止める。暗い店内、いくつものアンドロイドの向こう。引き寄せられるように進む。  その先の光景に、僕は息を呑んだ。  白い肌、ミルクティー色のサラサラした長い髪。まるで花へ微笑みかけるような寝顔。まぶたを上げれば、大きなサファイアの瞳をしているはず。  お仕着せの水色ワンピースをまとっているけれど、間違いない。彼女だ。  いや、そんなはずがない。あの子はアンドロイドとしての寿命をまっとうし、丁重に葬られた。だから目の前にいるのは、製品番号が共通するべつの人形なのだ。  しかし、姿かたちは彼女だ。二度と会えないと思っていたから、僕はめまいがしそうなほど動揺した。  会いたかった。こんな形で実現するなんて。  彼女を覆う透明のビニールに、値札が貼ってある。いまなら手が届く。一層、心がざわめく。  思考がまともに働かず、僕は危なっかしい足取りで後ずさり、ショップから逃げ出した。道をやみくもに進んで、見慣れた景色に迎えられたものの、呆然としたままだった。  彼女がいた。小さなアンドロイドショップの片隅に。  その事実が頭の中をぐるぐる回った。
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