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ふみは毎晩夜の森へ出かけ、朝になって戻ってくる。
ここに住み始めてすぐに気づいた。
一度だけ、彼女を追いかけて行ったことがある。
深夜に何をしているのか気になったのだ。
出ていく音を頼りに森へ入ると、真っ暗で、すぐに方向が分からなくなった。
立ち止まる。
戻るべきか。
振り返る。
来た道が分からない。
ふみの行った先も分からない。
明るい中では見えていた寺へ続くはずの道が、見当たらない。
一歩も動けない。
次の一歩で、落っこちるのではないかと。
どこへ落ちる?
その時、背後にふみが現れた。
僕が追いかけてきたのに気づいていた。
動けなくなった気配に気づいて、呆れて戻ってきたのだ。
夜の森で迷ったら洒落にならないから、と。
眠れなくて、と嘘をついたら、呆れた顔をされた。
寺裏の家の住人は、お互いの嘘に敏感だ。
「家はこっち」
ふみが歩き出す。
帰り道を案内してくれるということらしい。
「いいよ」
「1人で帰れないでしょ」
「君が帰らないなら、いい。
邪魔はしないからついて行かせて。
君が帰る時に僕も帰る」
ふみは諦めて、さっさと森の方へ歩き出した。
冬に近い11月。
暖冬で雪は積もっていなかったけれど、厚手のコートを着ても寒い。
足早に歩くのは、身体を温めるためでもあるようだ。
「毎晩、こうして外へ出るの?」
「あんたたちは毎晩眠るでしょ。
それと一緒」
この現実世界から逃れて、夢か虚空という別世界へ行く。
「私は行けない」
「行けないって?」
現実に縛られ続ける。
「私だけ残される。
それなら私だって出ていく」
息が切れる。
吐き出す呼気がいつのまにか熱く。
冷たい吸気に鼻が痛む。
「ごめん」
「何が」
「僕のこと嫌いだろ」
「ニンゲンはみんな嫌いだよ」
ふみの言うニンゲンというのは、ホモ・サクセスのことだろうか。
「お前らが背負うはずの因果を、
なんで私が追わなきゃならない」
「因果?」
「住職に聞いたんだ」
因果応報の鎖がちぎれたのが、およそ200年前らしい。
遺伝子操作に不老不死、人工生命体の発生などによって、輪廻の歯車は狂ったのだという。
それから人間界では、自分たちで裁かない限り、天が罰してくれることなどなくなった。
ホモ・サクセスは、前世で追った業など関係なく、幸福な人生が保障されるのだ。
ならば裁かれない因果はどこへいくというのか。
それが一定の割合で生まれる不幸な子どもだ。
人の世に生きながら、地獄の苦しみを受ける。
ふみが見るはずだった夢を、他のニンゲンがみている。
あるいは昨日の僕の夢だったのだろうか。
ふみはある意味、本気で因果応報や輪廻転生を信じていた。
だからニンゲンが許せなかった。
公立高校に通っているが、友だちはいない。
進学する気はないのだろう。
勉強も真面目にしていない。
寺裏の家か、森にばかりいる。
住職が少しだけ恨めしく思える。
輪廻転生を知らなければ、彼女がここまでニンゲンを恨んで毛嫌いすることはなかったのではないか?
「私ばっか喋らせる気?
疲れるから、
潔君もなんか喋ってよ」
「なんかって?」
「何でもいいよ」
困った。
こういう時に話すネタなど持っていない。
深夜の森で女子高生相手に暇つぶしになるような話なんて。
森を抜け、寺の墓地へ来ていた。
墓参りの人用の小さな東屋に腰掛ける。
月光だけを頼りにふみの横顔を見ると、一層クマが大きく、鋭い眼光が突き刺さる。
「この間、本を読んだんだ」
家の2階の押し入れにあった、ある本の話をした。
印象に残ったシーンだけはセリフまで詳細に、まるで昨日見た夢を語るような朧げな話。
途切れ途切れに思い出した設定を付け加えるので、話の全容など全く理解できなかっただろうに、ふみはずっと聴いていた。
時々首を傾げ、その度に僕は飛んだ話の流れをなぞりなおして。
身体が冷えると、墓石の間を歩き回った。
互いにボソボソ小さな声しか出さないので、自分の足音に掻き消えないようにと自然と近づいて話した。
話して話して、気づくと空が白んでいた。
僕はあまりにも久々に長いこと話し続け、疲れてクタクタだった。
「帰ろう」
星々の光が薄らいでいくのを見送り、ふみはくるりと向きを変えて家路を辿る。
慣れているはずのその足取りも、心なしか疲れて見えた。
「また気が向いたら、話を聞かせて」
「本を貸すよ」
それからだ。
ふみが孤独な夜を乗り越えるのに、森を徘徊する以外の方法を取るようになったのは。
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