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イツル
日中は、くうの見守りをしながら面白い本を探して読む。
いい本があればふみに勧めようと思うのだが、何が面白いのか、あるいは面白くないのか分からなかった。
「暗い本読んでるね」
1番年上のイツルは、僕とは1番歳が近い。
冬の終わる頃。
眠るくうの胸を叩きながらあぐらの中に置いた本を覗き込んでいたら、それをさらに肩越しに覗き込まれていた。
「読んだことある?」
栞を挟んで本を差し出すと、そっと首を振って手に取るのは断られた。
イツルは人と接触するのを避けている。
「虫になる話だろ。
前時代の、不条理な世界。
好きだよ」
成功に取り残された子ども。
彼らこそ不条理じゃないか。
何となく本を隠したくなる。
「バイト終わり?」
「うん」
「お疲れ様」
「うん、疲れた」
ころりと。
くうの隣に寝そべる。
目を閉じた。
その顔はひどく青白くて、死に顔のよう。
怖くなってその場を離れたくなるが、くうのそばを去るわけにもいかず、文字に視線を落としていた。
イツルは温かみを知らない。
身体はいつも冷え切っていて、服を着込んでも、温かいものを食べても、熱い風呂に入っても、その体温は上がらない。
ひどく冷たい手で、人に触れるのを嫌がるのだ。
正確には、人が自分の手に触れて冷たがる反応を見たくないのだという。
「にい、おかえり」
目を開けたくうが兄の方へ寝返りを打つと。
「風邪を引くからやめな」
と優しく剥がす。
イツルはもう成人しているが、それでも定職には就いていない。
週の半分をアルバイトにいくだけ。
病院の雑用だと言っていた。
ある時、その理由を尋ねたことがあった。
「イツルは就職しないのか」
「できないよね」
なぜそう言い切るのだろう。
「分かってることだよ」
仕事ができないと?
イツルは肩をすくめた。
「社会に所属して責任を全うするなんて、
俺たちにはできないことなんだよ」
否定できない。
僕が言っても説得力も何もないし、イツルたちの人生について何か意見を言うことが怖かった。
イツルは病院でのアルバイトを選んだ理由について、自分よりも苦しむ人の姿が見れるからだと言っていた。
笑顔で患者を励ましながら、「自分はここまでひどくない」と溜飲を下げる。
こんなやり方で現実を飲み込んでほしくはないから、くうやふみには言わないのだと、人差し指を唇にあてた。
「ふみはニンゲンを嫌ってる。
住職の輪廻転生の崩壊の話を、
本気で信じてるよね」
「何かを恨むことで、
自分の存在を肯定できる時もある。
自分が一体何をしたのかと、
答えの出ない自問自答で追い詰めても、
誰も救われない。
結局この運命に理由なんてないんだから」
イツルは輪廻を信じてはいない。
確率的なニンゲンの失敗作だったと諦めている。
「良い方法かどうかは知らない。
でもふみには必要だったんだ。
それでやっと、
コントロールできるようになったんだから」
ふみは上を見て怒りに変えているが、イツルは上を見るのをやめた。
下ばかり見ている。
「ふみの方が健全だよ。
俺は、そんなふみやくうすら、
自分の溜飲を下げるのに使ってる気がする。
あいつらの苦しみを思うたび、
悲しいけど愛しいと感じる」
ニンゲンを見るのをやめようと、病院で働いて不幸だけを相手にしようとして。
「それなら僕は邪魔じゃないか?」
「何言ってる」
イツルは笑った。
「君だって欠落したニンゲンだろ」
死人が笑うようなその顔に愛想笑いができなくて、思わず目を逸らした。
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