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明晰夢をみていた。
曖昧な思考が、勝手に動き出したのが分かった。
夢だ。
そう分かった。
現実の僕は、畳に横たわっているはず。
右手が、隣に眠っているくうのお腹に乗っている。
その感覚に戻ろうとすると、夢が遠のく。
違う。
もっと。
もっと、その先へ。
身体を手放して。
虚無の中へ落ちていった。
お前たち人間の犯した罪を贖っているんだ。
腹を空かせて眠るくうの頬を撫ぜるふみ。
その目の下に色濃く広がるクマ。
2人に寄り添うイツルの肩は震えて、その唇は真っ青だ。
その苦しみを知らない。
僕は人間なのに、飢えも凍えもせず眠り、その幸福に気づきさえしない。
幸福に、気づきさえしない。
そのとおり。
お前はそう生まれついたのだろうよ。
どうでもいいんだよ。
空っぽなのは楽だ。
何も感じないのが、僕の在り方なんだとしたら、すごく納得できる。
でも、だとしたら僕は、彼らと全然違う。
僕は何も苦しまない。
彼らといても、彼らを追い詰めるだけなんじゃないか。
僕は自分が、幸福な人間なのだと思っていたが、それならなぜ仕事が続かないのか。
「君だって欠落したニンゲンだ」
イツルの冷たい手が、喉元を掴む。
ホモ・サクセスの寿命が再定義されて100年が経つ。
その頃生まれた人が死ぬ頃だ。
つまり、ヒトの寿命は生まれてから100年が限り。
それ以上は、どんな新しい技術を用いても伸ばすべきではないと。
人工臓器。
人工脳。
テロメア延長。
機械生命。
そのどれを用いても。
僕はすでに神から与えられた100年のうちの28年を無駄に消費し、残りの71年と少しをどう生きるかも決めずにいる。
フラフラと、生まれた意味も知らずに。
漂っているのだ。
秩序という奔流の中に。
イツルと向き合っていた。
潔、君は何を失ったんだ?
え?
君もここに住むのなら、何かが欠落しているんじゃないのか。
いや、俺は住職に言われて、仕事もしていないから。
空腹も感じないし、眠れない夜に悩むこともないし、寒さに凍えることもない。
「なら、何を感じる?」
くうが自分の手を噛んでいた。
「君自身は、温もりを感じるか?
安らぎを、充足を感じるか?」
ふみが、森を歩いていた。
裸足だった。
「何も感じないんじゃないのか」
冷たいはずの。
イツルの手が。
喉元を締め付けているのに。
何も感じない。
幸福も、喜びもない。
だから仕事も、人付き合いも続かない。
だからここにいるんじゃないのか。
抱きしめるくうの腕の力を感じても、ふうの啜り泣く声を聞いても、イツルの視線を感じても、何も。
イツルが言った。
潔。
君は、何にも執着せず何にも囚われない。
それ故にこの地上に生きる意味も見出せず、死ぬ理由も与えてもらえない。
虚無を植え付けられているんだよ。
見下ろした。
くうが腹にしがみついている。
ふみが背中から腕を回している。
イツルがその冷たい指先で頬に触れる。
優しい手つきで。
それなのに僕は、喜びを感じることができない。
涙も出ない。
空っぽの僕は、胸に空いたその空洞に真空を詰め込んで蓋をしていた。
生まれる前に運命付けられたこの空虚。
どんなに抱きしめても埋まることのない。
でも、その虚無を抱きしめて。
僕は生きる。
彼らがそれぞれの苦しみを。
決して分かち合うことのできない苦しみを抱き続けるのと、全く同じように。
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