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30を過ぎても、あの清潔感のある知的な雰囲気は変わっていなかった。まだ若々しささえ感じる活力のある笑顔、洗練された出で立ち。何度も夢に現れた18歳のままの彼とは違う、自信に満ちた大人の笑顔が眩しかった。
すぐに受賞作を購入して読んだ。大学生同士の切ないラブストーリーだった。でも、登場人物のやり取りの中に、もしかしたらこれは私との会話ではないかと思わせるようなセリフや場面がいくつもあって、私の胸は熱くなった。
別れ際に言ってくれた言葉が蘇った。今まで、その言葉にどれだけ支えられてきたかわからない。ごめんね、ありがとうと伝えたいけれど、今さら会って話したいだなんて身の程知らずの恥ずかしいことは言わない。でも、彼の姿をひと目見たかった。
翌週、全国展開している書店の本店でトークイベントがあるという。私はいてもたってもいられず、夫には短大時代の友人たちと集まるのだと言って1人東京へと向かった。
五百人程度が入るこぢんまりとしたホールだったが、ほとんど満席だった。開場を待って並んだ人も多かったようで、私は一番後ろの列の席になんとか座れたのが幸いだった。後ろには立ち見の観客もいた。
広瀬先生、と呼ばれる里中君がそこにいた。受賞作について、経歴について、プライベートについて、次々と司会に振られる質問に快く答えている。
左手の薬指には結婚指輪が光っていた。司会者が「ご結婚なさっているんですか」と突っ込むと、恥ずかしそうに「実は」と口を開いた。
「先週、岸山マノンさんと入籍しました」
会場からは驚きの喚声とどよめきが入り交ざった。作品そのものよりもアイドルばりの美貌が注目されている20代の人気作家だ。
「早く彼女よりも有名にならないと、っていうプレッシャーでこの作品が仕上がったようなものなんです」
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