悪夢

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◇◇◇  パジャマ代わりのTシャツとハーフパンツから制服に着替え、自宅を出ると合田(ごうだ)康範(やすのり)が野球部のユニホーム姿で中学校へ向かうところに出くわす。  一哉が合田の名を呼ぶ前に、合田から「おいーっす!」と挨拶をされた。 「音澤(おとざわ)の夢かぁ」  二人でいる様子を牛若丸と弁慶に(たと)えられるだけに、この頃の一哉と合田の体格の差は著しい。  合田が平均より大柄なだけなのだが。 「姉ちゃんが悪い夢を見たら午前10時までに話すと正夢にならないって言ったんだ」 「じゃあ正夢にならねえな。俺よぉ、もし飛鳥が私立行かねえで泉清(せんしん)さ通ってたら、音澤も少しは違ったかなと思うんだ。飛鳥は真っ正直だからな。お前の性格なら、周りの目お構い無しで音澤のこと守れるだろ」 「蘭、なんで公立さ選んだのかな。頭いいから翠楓(すいふう)聖桜(せいおう)も行けたのに」  そう口にするも、蘭が経済的な理由を顧みて公立中学へ行ったことを一哉は知っている。  音楽家を目指す蘭。  音大へ進学するなり海外へ留学するとなれば、莫大(ばくだい)な費用がかかる。  将来を見越しての、そして家族達を(おもんぱか)るがための選択だった。 「兄弟が三人いるからだっぺよ……って、飛鳥も三人兄弟なんだった。幸い音澤もダチはいるからなんとかやっているけどよぉ、俺だったら部活追い出されでもしたら転校するわな」 「やっぱり本当なのかよ。蘭が吹奏楽部さ追い出さっちいって!?」  ただでさえ()千両(せんりょう)の一哉が(まなこ)を大きく見開く。  その気迫に合田は(ひる)みながら二の句を紡ぐ。 「お前、ずいぶん福島弁に毒されたなぁ。音澤と大槻(おおつき)エリって女子が標的にされたんだ」 「エリちゃんっていつも蘭とつるんでる子だよね?」  一哉も大槻エリは知っている。  蘭とつるんでいる以外に知っているといえば、どんくさいが憎めない。穏やかな面構えの純朴な少女という人物像だ。 「6月に中体連あったっぺよ?」 「うん」 「吹奏楽部が野球部の応援さ行くんだけど、わざと違う時間帯を教えられたんだよ。それも部の連絡網であたかもそれらしい風を演じて」 「何だよそれ?」 「でもよぉ、電話出たのが音澤の母ちゃんでよ、音澤の母ちゃんも勘がいいから何かおかしいと思って顧問に電話したら嘘だってバレてさ。まさかと思って音澤の母ちゃんが大槻ん家さ電話かけて聞いたら同じ電話が来たってよ」  大問題以外の何物でもない案件だ。  正義感の強い一哉は嫌がらせの類いを嫌う。  それらの案件を知れば我が事のように許せない思いを抱く少年だ。  被害者が想い人となれば、尚更に怒りは凄まじいものとなる。 「すげかったぞ。顧問と音澤の母ちゃんは嫌がらせしたやつとその親にキレるわ、大槻の母ちゃんも号泣するわ。音澤も軽蔑の目で睨んでたって」  合田のみならず泉清中学校の生徒がみんな知っている。合田はそう語る。 「蘭とエリちゃんは被害者じゃん。なんでやられた方が辞めなきゃならないんだよ?」 「……居場所がなかったんだろ。上級生はそれとなく忠告していたからまだ良い方だ。同級生は強い方に流されるか保身に走って傍観するだけ。  俺とハマちゃんと村上を含んで陰で先生に報告するやつもいたけどな。第一、音澤が人を蹴落とすやつが牛耳る部活なんかに居たくないって、文字通り退部届けを叩きつけたんだよ」  納得できないと憤る一哉をなだめる合田。 「()き付けたの絶対あいつだろ? 小学生ん時に蘭をいじめたやつと、その取り巻き」  蘭は小学三年生の頃にいじめ被害に()った。  始めは主犯の女子によるちょっとした嫉妬心からの嫌がらせのつもりだったそうだが、蘭の優れた容姿を(ねた)ましく思う女子と、何から何まで出来すぎている蘭をかわいくないと(うと)む男子までもが悪乗りしてエスカレートしたと聞いている。  蘭が、初めて好きになった男子も「蘭が陰で悪口を言っている」という主犯による嘘っぱちを信じ込んでは蘭を悪者にし、攻撃的な態度に出た。  更には大人びた美少女を苦手とする当時の担任教師がいじめに加担していたという。  これも中学校内では有名な話だ。  小学生時代の実例があるだけに、いじめっ子達に(たて)()くことで自分にまで被害が及ぶのを恐れて強く出られない生徒が少なくなかった。  主犯の女子は六年生の半端な時期に転校し、引っ越し先の学区にある中学校に通うはずだったのだが……。 「ふざけすぎだよ……! 吹奏楽の強豪校さ行きたいからって、ズルしてまで越境(えっきょう)入学? 仮に転校いじめが事実だとしても、おかげで二人も犠牲になったけどな?」  この地域では、部活動を理由とした越境入学が認められていない。  表向きでは 「転校先の小学校でいじめを受け、引越し先の中学校には行きたくないと渋った」 ということになっているが、吹奏楽部の強豪校である泉清中学校にどうしても通いたかったからという話も皆が知っている。  そこそこ(ひら)けた地方都市でも、そういった噂が近隣住民の間で蔓延(まんえん)するのはよくあることだ。 「そいつ、入学式だか入部した日に蘭に謝ったって話だろ? 蘭に悪いことしたって。なのに、また同じ手口でいじめるって、あいつは何をしたいんだよ。人様を陥れないと生きていられない病気なのかよ、あの女ぁ……!」  憎しみに拳を震わせ、叫びたいまでの怒りに(あらが)う親友を合田は見守るしかできなかった。
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