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久しぶりの笑顔
◇◇◇
翌日。
信夫山に沿って整備された散歩道があり、4号線方面へずっと歩いた先に音楽堂がある。
この街の特徴といえば、古来からある自然のものと近代的な人工物が当たり前のように共存しているところだろう。
信夫山を中心に広がる居住区を、山という山がドーナツ型に囲んでいる様が市内のどこにいても認められるあたりに
『市の面積の6割が森林で占められている』
という、県庁所在地としてはレアケースなデータが嘘ではないと物語った。
ガス灯を模した花緑青の街灯が散歩道に洒落た雰囲気を与え、祓川のせせらぎが耳に優しい。
音楽堂のエントランスに足を踏み込む。
部外者が入っても差し支えないかと躊躇う一哉だが、蘭と同じ年格好の少女が三人、更に男子高校生も見えたので蘭はいるかと訊ねることにした。
「あの……蘭、じゃなくて音澤さんいますか?」
「えーっ! 蘭ちゃんの知り合い!?」
少女達が互いに顔を見合わせて色めく。
恋愛の話に飛び付くお年頃ゆえなのか、思いがけず現れた美しい少年に声をかけられたからか。
「私、呼んできます!」
「あ、俺が行くよ」
男子高校生が呼びに行ってからほどなくして蘭が駆け込んでくる。
どれだけ急いだのか息が弾んでいた。
「一哉ちゃん……! どうしたの?」
激しく息をついたまま問いかける蘭の背丈は、165センチを超えたばかりの一哉より僅かに高い。
蘭は中学校のセーラー服を着ていた。
襟と共布のタイがシアンブルーになっているセーラー服は、見る者に清涼感を抱かせる。
膝頭を隠す長いスカートは紺色。
真っ白なセーラーブラウスが女子中学生の夏服として採用されがちなこの街で、夏の空を映したの如し鮮やかなシアンブルーの襟は人目を引く。
「あのさ、どっか出かけない? 二人で」
半袖から覗く蘭の腕は思いの外細く、儚げだ。
明るい声色の一哉だが、その胸の内は切なさのあまり押し潰れそうな心持ちだ。
「おばさんに許可取ってあるんだ。まずはメシ食うぞ」
「あっ、ちょっと待って!」
一哉はさすがに強引すぎたかと不安感にかられるも、すぐに杞憂だとわかった。
「アイス……甘いもの食べたい」
蘭が笑う。
力の抜けた笑顔。
久しぶりに蘭の笑顔を見た。
◇◇◇
街中にあるソフトクリームの専門店。
蘭はここでソフトクリームを食べたいと言い出した。
ことの顛末を、星にバイト料を渡されたことを話すと案の定蘭は驚く。
「お母さんがバイト料渡したの?」
いつもは伏し目がちにしている切れ長の目を、蘭は見開く。相当に驚いている。
「うん。受け取れないって断ったけど蘭と遊びに行きなって」
一度ため息をついて、蘭は苦笑いを浮かべた。
「普通、ここまでする親いるかい?」
「おばさん、蘭が心配なんだよ。二年になってから肩肘張って生きてるというか、蘭は表には出さないけど……」
ソフトクリームを片手に、蘭は無言になり動きを止める。
「俺も心配なんだよ。最近は変な夢を見るし」
「変な夢?」
「あ、いや、内容は言えないな。ただ、蘭大丈夫かなーって気になってたんだ」
「そうなんだ……。誘ってくれてありがとう」
座ったまま、蘭はご丁寧に頭を下げた。
同い年の者にも礼儀正しい蘭の姿に一哉は恐縮するも、清廉な心を持ち合わせた者こその振る舞いとわかるので好ましく思う。
「どういたしまして」
「それなら……一哉ちゃんを信じて身を任せていい?」
妙に艶かしい言い回しをするので一哉はたじろぐ。
「おう。俺に任せろ」
セリフだけを聞けば男気溢れる頼りがいのあるものだが、この時の一哉は相当にたじろいでいた。
まだ14歳の、純真な少年であるから無理もない。
伏し目がちな蘭の目はしっかりと前を向き、一哉をとらえる。
「嫌なこと、忘れさせて」
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