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「でも、ラン科の花の群生地なんて希少だよ。だいたいは湿地帯だし、水原の水林自然林にクマガイソウって蘭の群生地があるけど行く機会ないんだ」
どの辺りかと一哉に聞かれた蘭は四季の里の近くと答えた。
吾妻連峰の山裾に近い広大な公園と呼べばよいだろうか。
街うちからアクセスするならば車が必須だが、景観は抜群。
立ち寄る機会は少なかったが、確かに花は多く咲いていそうだとわかる場所であった。
「花が見たいの?」
「うん。スイレンとか蓮とか百合とか……私、夏は嫌いだけど夏の花は好き。見に行きたいけど、遠いなぁ……」
向日葵。
朝顔。
芙蓉
ノウゼンカズラ。
夏の花ならばいくらでも思い付くが、蘭は淑やかな風情に哀愁を漂わす花が好きなのか。
「中学生でも車なりバイクなり免許持てたらなぁ」
蘭の心が晴れるのならば、どこへでも連れて行きたい。
スマートフォンがない時代。
携帯電話は高校生になってからと定められた家庭が少なくなかった時代。
デートスポットになり得る遊戯施設が身近にある大都市に住む中学生ならばともかく、地方在住の中学生が自力でデートスポットを調べるなど容易ではない。
親のパソコンか、ガイドブックを借りるほかなかった。
「無理なく行ける距離で花が綺麗な所、あるかなー」
花の名所はないかと考えを巡らす一哉を見つめる蘭。
その眼差しが切なげに見えたのは気のせいか。
「一哉ちゃんは、いつも真剣になって向き合ってくれるよね。私が現実離れしたことを言っても笑わない」
「だって、俺自体が元は漫画家志望だったし……漫画家志望のやつが笑ったらいい物語を作れないよ」
今でこそ医学部志望で亡き祖父が開業した精神科の診療所を継ぎたい一哉だが、中学受験を意識する前までは漫画家になることが夢だった。
自由帳やテストの裏に、思い思いに絵を描いてばかりいた。
平成の世とはいえど、男の子がインドア派の趣味・特技を持つなど女々しいと見なす風潮が残る時代。
男のくせに絵が趣味だなんて……と偏見を抱き揶揄する者も存在したが、それでも一哉は懲りずに絵と漫画を描き続ける。
いつしか、簡単な物語を作れるぐらいには成長した。
そんな彼の趣味・特技が蘭に知られるのは出会ってから早い段階になるが、蘭は一哉が描いた絵を見るなり目を輝かせてラフな画風ながらも繊細な絵柄が好きだと褒め称え、自身をモデルに描いてほしいと願い出た。
躊躇いなく、蘭の前では絵を描けた。
頭に浮かぶアイデアを次々と絵におこし、描いた絵をもとに一つの物語を紡ぐ。
幼子が紡ぎ出す拙い物語を、蘭は興味深そうに読み進める。
「覚えてるかな。私、小6の時に自由研究で『銀河鉄道の夜』の論文を書いたの」
「あれにはびっくりしたよ。『銀河鉄道の夜』って中学で習うのに先取りするんだもんさ」
そして「あーっ」と声を出して一哉は手を叩く。
何かしらを思い出したらしい。
「アルビレオの観測所!」
アルビレオ。
白鳥座で、美しく輝く二つの星。
サファイアの星と、トパーズの星が仲良く寄り添う。
「そう! もしもアルビレオの観測所が実在したら行ってみたいと話しても一哉ちゃんは笑わなかった」
それどころか「俺も行ってみたいなぁ」と同意してくれたのが嬉しかったことを蘭は思い返す。
蘭が笑わなかったから、絵を描き続けた一哉。
一哉が笑わなかったから、幻想的な夢を語る蘭。
「サファイアとトパーズに見立てた星がくるくると回る光景って、考えただけでも綺麗だと思わない?」
アルビレオの観測所への憧れを、生き生きと語る蘭の瞳こそ宝石の如し美しさ。
初めて会った時などは鋼の如し妥協なき強さを眼に宿し、年端のいかない少女ながらも気高さを纏う姿は瞬く間に十つの幼子だった一哉の胸を捉える。
そんな蘭も、一哉との逢瀬を重ねるごとに瞳に潜む星の煌めきが増していった。
幼く愛らしい夢を語る蘭の傍らで、一哉もアルビレオの観測所への思いを馳せた。
紺青の空に包まれ、対になり輝く星を二人並んで眺める。
蘭は他にも『小さな炎が燃えている水晶の砂』の描写が好きだと語っていた。
宝石が絡む表現が好きなのかもしれない。
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