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合唱部の練習か、予備校の講習が終わればオーケストラの練習帰りの蘭と落ち合った。
とはいっても図書館で夏休みの宿題を片すことと自主学習が常だが、図書館までの道中で祓川のせせらぎを聞きつつ雑談に興じ、小魚を見つけては歓声を上げる。
信夫山に沿った散歩道は夏になると百日紅が見頃で、複雑に縮れた繊細な花が空に向かってそびえる様は壮観だ。
予定が合わず蘭との逢瀬が叶わない日は、同じ学校の友達や先輩、はては教師からデートスポットの情報を聞き出した。
デートスポットと口に出せば冷やかしを受けるのは避けられないので、表向きは
「元気のない友達を元気づけたいのでどこか良い場所はないか」
と聞き出すのだが、相談した相手にはことごとく女の子が絡んでいると勘づかれてしまう。
廊下で鉢合わせた教師に至っては
「進学校さ通いながら女遊びかい」
と笑って返されるも、素行に問題はなく上位の成績をキープしている一哉からの相談となれば「しゃああんめなぁ(仕方ないなぁ)」と自ずと協力的になる。
友人からは「元気ねえなら厄払いにでも連れてき」と言われたので、厄払いも悪くない。
寺社仏閣|巡りが好きな蘭ならば乗るだろう。
甘党の女の子ならばカフェは欠かせないと言われたので、カフェは必ず立ち寄ることにしよう。
夏休みの翠楓学園中学校には悲壮感の漂う嘆きが飛び交う。
「聞いた? 二年の飛鳥川先輩、彼女できたらしいよ」
「嘘ぉ!? あの先輩、かっこいいから憧れてたのにぃ」
「あれだけイケメンなんだからよ、彼女いたっておかしくねぇべした。見てみ?」
少女達の視線の先には、礼拝堂で合掌している一哉がいる。
斜め後ろから見たアングルで、頭を垂れている。
「ほら、彼女のために祈ってるち噂だで」
「祈ってる姿もかっこいい……」
「顔さ見えねぇのに?」
一哉に憧れる女の子達による嘆きだった。
◇◇◇
一日がかりのデートがいよいよ明日に迫った日。
夏季講習から帰宅すれば女物のミュールがあり、リビングから花梨の笑い声に混じって「えー、何この展開!」と蘭が笑いながら驚愕する声が聞こえた。
何事かと急げば蘭と花梨が録画したアニメを見て笑い転げている。
ノースリーブの水色のブラウスに、紺色に白い水玉模様のスカートの蘭が新鮮だ。
「あっ、兄ちゃん。おかえりぃ」
見ていたアニメはCS放送の子供番組内に組み込まれているのだが、キャラクターが流血するなど作風が甚だ過激だ。
一哉は蘭の生真面目な性格上、強いジョークを面白おかしく表現した作品を嫌うだろうと思い込んでいたので、キャラクターの眼窩に電球が埋め込まれている映像を見て笑い転げている蘭が意外だった。
そして、もう片方の眼窩に埋め込まれたスイッチを押すなり電球が点灯したので一哉は噴き出しざるを得ない。
一哉は笑いを堪えつつ、見る人を選ぶ作品を無闇に薦めるものではないと7歳児にも分かりやすい物言いで諭すのだが、花梨は「おもしぃからいいべしたぁ!」と返すのだった。
「お邪魔してます。さっき慧ちゃん家さ桃届けに行った帰りに花梨ちゃんが一緒に見ようって誘ってくれたの。……一哉ちゃん家、CS見られるんだ。いいなぁ」
セリフを発しないアニメなので、一哉がキャラクターに合わせてセリフを充てては蘭が笑い声を立てる。
時刻は夕方。
長居したと切り上げる蘭を花梨は引き留める。
「また来てもいいかな? 花梨ちゃんと遊びたいし」
「やったー!」
万歳の格好でその場を跳びはねる花梨を蘭は微笑ましそうに見つめている。
一哉は蘭を自宅まで送り届けることにした。
手には紙袋を下げている。お中元のプラリネケーキ。
母方の実家からお中元に頂いたのし梅も入っている。
一哉の母は水戸の生まれだ。
雪国に憧れ、水戸市内の女子高を卒業後に新潟の大学へ進学し父と出会ったと聞いている(この辺は星と似たもの同士だ)。
目元が儚げな繊細な容姿の母親で、一哉とは似ていない。
顔の造作だけを取り上げれば、母親は清子姉と瓜二つ。
花梨を含めた姉弟達に共通する黒目のハッキリとした眼と濡れ羽色の髪は、父方の祖父譲りだ。
そんな彼は瞳をきらきらと光らせながらプラリネケーキが如何に旨いかを蘭に聞かせる。
「プラリネケーキ旨いんだよ。新潟県民のソウルフード。蘭、絶対に気に入るから」
「そんな立派なものを頂いて、却って申し訳ないよ」
「いやいや、母ちゃんがどうしてもプラリネケーキを渡したかったんだよ。蘭が甘いもの好きだと話したっけよ、いつも世話になってっから蘭ちゃんに渡しな~って」
母ちゃん、蘭のこと気に入ってっからよ。照れた様子で語る。
「なんか嬉しいな……わざわざありがとう」
のし梅とプラリネケーキの入った袋は駅前の百貨店の紙袋だ。
「のし梅で思い出したよ。中一ん時にゴウダん家にのし梅をお裾分けしようとしたら途中でゴウダに会ったの。
そしたっけよ、ゴウダも俺ん家さのし梅持って行くつもりだったんだよ。ゴウダのやつ、茨城さ帰省した時に買ったってよ。ゴウダは……勝田の出身だったかな」
「桃ならよくあるけどお土産のお菓子で!? そんな偶然あるんだ!?」
更に続きがあると繋げると蘭は「なになに?」と返して続きを聞きたがる。
オチのない話でも、蘭は鬱陶しがることなく耳を傾けるのだ。
「のし梅、ハマちゃんと村上君にも渡したら村上君からは山形ののし梅もらったよ……村上君の母ちゃんの実家が山形だと」
のし梅。
山形で派生したものが水戸に伝わったと聞く。
「……しばらくはのし梅三昧だったでしょう」
今日は心から笑い転げたようだ。
蘭の眼から怒りの焔も悲しみの暗闇も見えないことに、一哉は安堵する。
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