モーニンググローリー・フィズ

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全ての物事には限度ってものがある。 なんでも多ければ良いってものでもない。 「待て麻紘(まひろ)、ギブ」 俺はカウンター越しに手を伸ばし——とは言っても実際にはぜんぜん届かないけど——麻紘の動きを静止した。麻紘はちょうど、ミキシンググラスに新たな氷を入れようとしているところだった。 麻紘に初めて声をかけられてから数ヶ月。 連れてこられたのは隣県の港町にある、カウンター席のみの小さなバーだ。 カウンターの向こう側には麻紘のほかに、五十代くらいの白いバーコートを着た男性が一人いるだけだった。 グラスを磨きながら、一番奥の席にいる客とにこやかに話をしている。 このバーのマスターなのだと、麻紘がそっと教えてくれた。 「これ以上飲んだら自力で家に帰れなくなる」 「え、もう?」 手を止めた麻紘が、眉をやや八の字にしながら残念そうに言った。 「もうって、結構飲んでるぞ、俺」 ビールを飲みながら軽く腹に入れた後、麻紘が作ったカクテルを五杯。ロングカクテルで飲みやすいとはいえ、ベースはジンやラムなのだから酔っ払うのは当たり前だ。 「練習っていうから何かと思えば……」 麻紘の将来の夢は、ヨーロッパにあるカフェやバルのような雰囲気の店を持つことらしい。 食事と酒を提供できる店を持ちたくて、今はこのバーでバイトしながら色々と勉強しているのだと、ここへ来る電車の中で言っていた。 ちなみに、今日ここで俺が飲み食いした分の支払いは、麻紘のバイト代から引いてもらうことになっている。 出された料理は簡単なものではあったけど美味かったし、カクテルも俺が好みそうなものを選んだようで、満足度は結構高かった。 だから俺が飲み食いした分はちゃんと払うと言っても、麻紘はそれを言い方はやわらかかったものの、キッパリと断った。 「そのかわりに今度は客として来て。1、2杯飲んでくれればそれでいい」と、艶やかな笑みを浮かべながら言った。 カウンターの中に立つ麻紘は、白のドレスシャツに黒ベスト、腰にはギャルソンエプロンを巻いていて、前髪を上げているせいか清潔感があった。 大学にいる時のカジュアルな装いと違い、二十歳という実年齢よりも少し上のといった雰囲気で、とてもよく似合っている。 節の目立たない、長く綺麗な指がグラスに氷を入れ、ミネラルウォーターを注いでいく。仄暗い照明が長いまつ毛の影を作り、それがなんとも言えない色香を醸し出していた。 「きれいだな」 無意識のうちに出た言葉だった。 顔を上げた麻紘と目が合い、その瞬間、俺は麻紘に見惚れていたのだと気がついた。 「また練習相手になってくれるかな」 水が入ったグラスを差し出しながら、麻紘が遠慮気味に言った。 「ああ、そうだな」 酔いが回って理性を保つのが難しくなっているのか、麻紘に対して邪な気持ちがジワジワと湧いてくる。 「今夜、お前のところに泊めてくれるなら、な」 麻紘は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに妖艶に微笑んで、俺の指先ににそっと触れた。 一瞬、痺れに似た感覚が全身を走った。 「じゃあ、ここでこのまま待ってて、あと少しで上がる時間だから」 俺から離れた麻紘が、音を立てることなく静かに周囲を片付け始めた。 時折客と親しげに言葉を交わす様子を見て、俺の中で何かが騒めいた。 麻紘が上がるまでの十数分。いつもならあっという間に過ぎている時間が、今の俺にはとてつもなく長く感じられた。
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