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真っ赤なウソ
「あなたが『絵の具、買う』って言って、やたらとお金をせびるから、何に使ってんだか、って思ってたんだよね…。本当に絵の具を買ってたんだね…」
文化祭2日目。美術室に展示したわたしの『落陽』を見て、お母さんが、しみじみ言う。わたしは声を上げる。
「ウソついてないし!ちゃんと買ってたし!」
「お金もだけど、すごい時間もかかったでしょ」
「感想、それ?!」
お母さんは、壊滅的に美的センスというものがなくって、いっつもがっかりする感想しか言ってくれない。お母さんの感想の通り、OGさんにも言われてた通り、とんでもなく絵の具と時間を浪費したのは、事実だが。
「絵の鑑賞は、お静かに。」
後ろから先生の声がして、わたしは振り返りながら言った。
「うちのお母さん、芸術を理解しないんですよ」
スーツなんか着て、ネクタイを締めた先生は――わたしを、見ていなかった。
先生は、振り返ったお母さんを見つめていた。お母さんも、先生を見つめていた。二人は見つめ合っていた。
「美術部顧問の吉川です」
「――いつもお世話になってます」
先生が頭を下げ、お母さんも頭を下げて、二人は顔を上げない。
「娘さんが初めて描いた油画、ご覧になりますか」
顔を上げないまま、先生が言った。
「作品は応募して、ないんですが、準備室のパソコンに、写真があるんで」
「――ええ」
顔を上げないまま、お母さんが答えた。先生が準備室のドアへ歩いて行って、お母さんが付いて行った。やだ。密室で、二人きりなんて。学校だよ?――何、考えてんの、わたし!――わたしは付いて行く。
先生がドアを開けて準備室に入って、お母さんが入って、わたしも入って、ドアを、閉められなかった。お母さんが、わたしを振り返った。こわい顔をしてた。
お母さんの手が上がって、わたしは体をすくめる。お母さんは、私の体の横に手を伸ばして、ドアを閉めた。そして、お母さんは言った。
「芽唯。吉川先生とね、お母さん、知り合いなんだ」
「え?」
「金江なんて名字だから、わからなかったですよ」
見ると、先生は立ったまま、机のノートパソコンを開いて、電源を入れている。お母さんは、先生の方を向く。
「安達くんの母方のご実家の病院を継ぐためにね、夫婦養子に入ったんです」
「そうだったんですか。だから、深田でも、安達でもなかった…」
先生は、お母さんを見ずに、パソコンの画面を見ている。わたしの絵を、お母さんに見せるために、ここに来たんじゃないのに。
「病院を継ぐのは、追々ですけど…。今は、大学病院に戻っています」
「――俺が、この高校にいるって知ってたんですか」
「いいえ。全く。芽唯から、美術部の顧問の先生の話は聞いてましたけど、名字は同じだと思ったけど、名前までは聞いてなくて、そんな、まさか、美術の先生になってるなんて、思いもしなくて…」
「そうですね。そういうもんですよね」
「この高校は、いろいろ、絵で賞を取っている高校だからって、芽唯が自分で選んだんです」
「そうなんですか」
先生はノートパソコンを、お母さんの方に向けた。画面には、わたしが描いた机の上の瓶の絵。
「これです。娘さんの絵。」
お母さんが、先生に近付いて行く。パソコンの画面を近くで見るためだって、わかってる。でも、
「二人、元・恋人とか?」
ちゃんと冗談の口調で言えてるか、わたしは自信がなかった。先生が顔を上げ、お母さんが振り返り、わたしを見る。
「そんなじゃないよ」
「ちがうの、芽唯」
「何で嘘つくの!!」
初めて会った時の、先生のムンク顔を、私は思い出す。
私が、お母さんに似てたから、先生は驚いたんだ。
「金江。嘘じゃない。付き合ってなんかないよ。その時には、お母さんは、もうお父さんと付き合ってた」
「恵美くんは――先生は、お母さんの弟と、友達だったの」
お母さんの、弟と、友達?
「弟さんのことは、金江は――娘さんは、知っているんですか?」
「病気で亡くなったことと、絵が上手だったことは。」
「そうですか…」
先生は、パソコンの画面の、わたしの絵を見た。ちがう。わたしから目を逸らした。
「似てるとは思っていたんですけど、名字がちがってたので、他人の空似だと思ってたんですよ。よく言うじゃないですか。世の中には、そっくりな人間が3人、いるって」
はははっと、先生は笑った。
「すっきりしました。金江が、五月と、そっくりな理由がわかって。そうか。そうだったのか」
先生は自分の眼を抉り出すように、両手で目を覆った。
「俺、バカだな。そんなこと、あるわけないのに、五月が生まれ変わって来てくれたなんて思って」
「ダッサ。先生、生まれ変わりなんて信じてるんですか。そんなラノベみたいな。」
わたしは嘲笑った、声を震わせて泣いている先生を。
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