転生

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転生

 中間試験前の部活停止期間、美術部員は、美術室に集まって、勉強会をする。意外と理系が得意な先生が、絵に描いたような文系なわたしたちに、勉強を教えてくれる。  わたしはトイレへ行くようなふりをして、イスを立つと、準備室へ行った。  油絵の具を乾かすために、みんなの絵が並んでいる。いつもは美術室の後ろの方に置いて乾かすんだけど、上半身でもヌードだからね…  やっぱり目を()くのは、庄野先輩の絵だ。とてもおっさんがモデルとは思えない、抱えた膝に顔を埋めた、ドアップの絵。美肌加工しまくった透き通った肌に、髪ツヤ加工しまくった、一本一本、精緻(せいち)に描き込まれた(つや)やかな黒髪。  「勉強しろ!」って、うるさい親に向かって、「俺はエロゲのグラフィッカーになりたいの!!」と叫んで、「エロゲ」と「グラフィッカー」の意味を説明することになっただけはある。  わたしは、準備室に置きっぱの自分の絵の具セットを持って来て、イスを…ない。 「金江、部活停止だぞ」  グッドタイミングで、先生が入って来た。 「先生、イス2つ」 「だから、部活停止だって。」  言いながらも、先生はイスを2つ、持って来てくれた。わたしは自分の絵の前に、イスを並べて、1つは油壷(ゆつぼ)代わりの瓶を置いて、もう1つに座る。ギッと音が聞こえて、振り返ると、先生が壁際のソファーに座ってた。  わたしは、自分の絵に向き直る。下描きも、下塗りもしないで描いたから、もう油絵の具は乾いている。  くすんだ肌の色の濃淡だけで描いた絵。体にまとわりつくシーツは、黒い影だけを描いて、キャンバスを塗り残した。わたしは写実主義者なので、パサパサの髪に、きらきら光る白髪も、ちゃんと描いた。ワキ毛は描かなかったけど。足は描かなかったから、スネ毛を描くかは、悩まなかった。  わたしはイスの上の瓶に、ペインティングオイルを注ぐ。パレットに、チタニウムホワイトを出して、ペインティングオイルで、薄く溶いた。  ふうーっと、わたしは長く息をついた。  透き通るほど薄めた白で、肌に骨を描き入れる。うなだれる首の後ろの骨、(えぐ)れた肩甲骨(けんこうこつ)、浮き出た背骨、肋骨の曲線。  筆を、絵から離す。イスにパレットと筆を置くと、座っていたイスから立ち上がり、全体を見ようと、後ろに下がって、ソファーに座ってる先生の足を踏んだ。 「すみません」 「踏んだまま、謝るなよ…」  わたしは笑って、足の上から退()くと、先生の隣、ソファーに座って、自分の絵を眺めた。  結局、わたしが五月さんの生まれ変わりなのか、そうじゃないのかは、やっぱりわかんなかった。五月さんが語りかけて来ることもなかったし、夢に出て来ることもなかったし、前世の記憶がよみがえることもなかった。 「油画(ゆが)を描き始めてからの3枚、並べて見たら、同じ人間が描いたとは、思われないだろうな」  先生が言った。 「そうですね」  言われてみれば、毎回、技法も色遣いも変わってる。 「もし万が一、金江が、五月の生まれ変わりだったとしても、」 『もし万が一、』という希望を、この人は捨てられないんだなと、わたしは思った。 「こうやって、変わってゆくんだよ。お前は、お前になるんだよ。五月じゃなく。」  転生前の記憶も、スキルもない、できそこないの転生者のわたしは、何て答えたらいいのか、わからなくて、絵の中の先生を見つめて、口を閉じていた。  先生がソファーを立った。 「俺も、見せたい絵が、あるんだ」  先生はキャビネットの鍵を開け、キャンバスを出した。――五月さんの絵?!  と思ったら、ちがった。  先生が、わたしに見せた絵は、正方形のキャンバスに描かれた、大きく瞳を見開き、口は()いて、見上げている女子高生の横顔だった。先生が描いた、わたしだった。 「キモッ!」  わたしは言ってしまった。 「これ、絵じゃなく、写真だったら、盗撮じゃないですか。犯罪ですよ。捕まりますよ」 「よかった」  先生は笑った。目元、笑いジワ、シワシワ。 「ちゃんと俺、金江を描けた。『五月さんですか?』って聞かれたら、どうしようかと思った」
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