図画と工作

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図画と工作

 2年生、3年生は、5月中旬に締め切りの美術展の絵を描いていた。  わたしは入部したばかりで、油絵を描くのも初めてのくせに、1ヵ月くらいあれば、描いて応募できるとすら、思ってた。  応募するどころの話じゃなかった。絵を描く前に、キャンバスから作らされるなんて思いもしなかった。 「キャンバス買うより、安いんだよ。木枠(きわく)は、使い回しで、エコだろ?」  モップ掛けして、タオルで(から)()きした床に、画布(がふ)のロールを広げながら、先生が言う。  老け顔の先輩だと思っていたのが、美術の先生だった。34歳なら、(とし)相応(そうおう)の顔なのだろうか。――ひょろんと背は高く、やせた顔に、細目で、ボサボサ頭。  いつも学校指定の紺色ジャージを着ているのは、絵を描いていて汚れて、どうにもならなくなったら、校門前の学校指定の物なら何でも揃う青柳用品店で、すぐ買えるからという理由だそうだ。  先輩たちも、あちこち汚れた紺色ジャージを着ていて、 「かなり汚れるから、専用ジャージ、買った方がいいよ」  と言われた。わたしは、お母さんに話をして、青柳用品店で、もう1着、部活用にジャージを買った。  画布(がふ)を定規で測って、線を引いて、切って、木枠に当て、張り器で引っ張りつつ、ガンタッカーで留める。  こんなことは図工で、やることだ。わたしは、図画(ずが)は得意だけど、工作は、どちらかと言うと、苦手だった。  ティッシュの箱で、動物を作ったら、何の動物か謎なのは当たり前。四つ足がガタガタしてるから、合わせるために、あっちの足、こっちの足を、ちょきちょきしてたら、伏せ状態になった。粘土で、花瓶を作ったら、水を入れた瞬間、穴もヒビもないのに、ぼたぼた、垂れ落ちた。さんすう(算数)の時間に、先生に『線は、定規を使って書きなさい』って怒られたが、ちゃんと定規は使っていた。  画布に定規を当てて、線を引いた時、何となく斜めになってたのは、わかってた。木枠に当てた画布を、張り器で引っ張りながら、ガンタッカーで留めるなんて、同時に二つの作業なんて、できるわけないじゃないですか……  表面が、ぶよんぶよんで、布目(ぬのめ)が、どう見ても斜めになっているキャンバスが出来上がった。 「金江(かなえ)、ひょっとして、ぶきっちょ(不器用)?」  先生に、おずおず、聞かれた。わたしは答えた。 「同時に、二つのことをできないだけです…」 「それを『ぶきっちょ』って、言うんだよ」  そばにいる1年生4人にも笑われて、少し離れた所で絵を描いてる先輩たちにも笑われて、わたしはポンコツキャラ認定された。 「仕方(しゃあ)ねえなあ」  先生が、画布を木枠に張り直してくれた。あれだけ手が大きくて、力が強ければ、上手にキャンバスを張れるに決まってるよな、と心の中で思いながら、わたしは、お礼を言った。 「ありがとうございます…」 「どういたしまして」  キャンバス作りは、まだまだ続く。ジェッソをローラーで塗って、乾くまで3日間、待つ。  乾くのを待ってる間、美術室にある油絵の具と、筆と、ペインティングナイフで、描き方、使い方を習う。初めて美術室に来た時、嗅いだ「異臭」は、ペインティングオイルのにおいだった。 「張ってあるキャンバスがあるなら、これに描かせてくれれば、よくないですか?」と言えずに、わたしは心の中で思う。 「とりあえず画材は、美術室にあるの、使ってみて、自分に必要な物を買う方がいいよ」 「夏合宿前に、みんなで買い出しに行くから、そん時に、揃えるといいよ」  先生が言うと、絵を描いてる先輩が言う。  鳥居くんだけは、中学の美術部で、油絵を描いてて、自分の絵の具セットを使っている。  わたしも中学の時、美術の先生に、油絵を描きたいって言ったんだけど、水彩のタッチが荒れるから、やめた方がいいと言われて、描かせてもらえなかった。  3日後、ジェッソが乾いたら、やすりをかけて、表面をつるつるにする。  やっと絵が描ける。 「まずは、これ、描いてみ」  1年生が与えられたモチーフ(題材)は、机の上に置いた水を入れた透明の(びん)だった。  なかなか難しいモチーフだ。瓶のカーブ。瓶と水の、透明の描き分け。瓶と水を通して、机の上に落ちる光。机のつるつるした木目(もくめ)模様。  瓶の置かれた机の周りにイスを置き、イーゼルにキャンバスを立て掛けて、描き始める。  初めて油絵を描く3人に、先生は何の指導もせず、いっしょに絵を描いているだけだった。  実力を見るつもりなのかな?  長く芯を削り出したえんぴつで下書きする。フィキサチーフを吹き付けて、下描きを定着させる時に、わたしは先生の下描きを見た。  デッサンじゃなく、ただ瓶の形を適当に書いて、机も四角で、いわゆる「当たり」を描いただけだった。  他の子の下描きも見る。わたしと同じ、ちゃんとデッサンしてる子もいるし、スケッチしてる子もいるけど、先生みたいに当たりだけを描いてる子は、いなかった。 「金江さん、上手いね」  わたしと同じデッサンで描いた小谷(おだに)さんに言われる。 「そんなことないよ」  と、わたしは言うことにしている。  小1の時、写生会の絵で、賞を取って、朝礼で校長先生から賞状をもらって、いい気になってたら、クラスの女子全員から、わたしが話しかければ、答えてくれるけど、それ以上、おしゃべりしてくれない。という高度な無視(シカト)技術(テク)で、いじめられてるような気がする一時期があったので、絵が上手いことは自慢しない。 「下塗りは、しても、しなくても、いいんだけど、基礎だから、今回は、しようか」  先生がそう言って、フィキサチーフが乾くと、わたしたちは、キャンバス全体を下塗りする。  色を塗るまでも、時間がかかる。パレットに、白と、少し黒を混ぜた灰色に、青を少しずつ足して、ペインティングオイルを入れて、ペインティングナイフで、混ぜる。  色を筆に付けて、キャンバスの下隅(したすみ)を、ちょっと塗ってみる。うん。この色だ。  下塗りしたら、乾くまで1週間、待つ。――やっと絵が描けると思ったのに、下描きを描いて、下塗りしただけで、また1週間後ですか・・・・・・・ 「油絵は乾くまで時間がかかるから、締め切りのギリ1週間前には、描き上げなくちゃ、いかんわけよ」  先輩が言う。美術展に応募する絵を美術室の一番後ろに放置して、先輩たちが1年生たちに、ちょっかい出してたのは、そーゆーことですか。締め切りまで1ヵ月あれば、応募できるなんて思っていたのは、大きなまちがいだった。 「油分(ゆぶん)を拭き取れば、今日から、色を塗れますよね?」  油画(ゆが)経験者・鳥居くんが言う。 「できるけどね。今回は、基礎だから。まあまあ、あせらず。」  ひらひら、手を振って、のんびり、先生が言う。  待ってる間、また美術室にある油絵の具と筆とペインティングナイフで、描き方、使い方を習う。先輩からも、いろいろ教わる。  1週間後、やっと本当に絵を描き始める。これまでに、いろいろ習ったから、思った通りの色、思った通りに筆が進められる。塗り絵にならないように、って思うけど、きっちり塗らずにはいられないなあ…わざと、筆を荒く使っても、(ざつ)にしか見えない。はみ出たところを、わたしはオイルを浸み込ませた布で拭き取る。先生を、ちらっと見る。  やっぱり先生は何の指導もせず、絵を描いてるだけだ。わたしが座っているイスから、先生のキャンバスは見えない。隣に座ればよかったなと、後悔する。  描きかけで先生は、先輩たちといっしょに、美術展に応募する絵を梱包して、搬入に行ってしまった。  鳥居くんが、先生の描きかけの絵を眺めている。  見たいけど、今、先生の絵を見たら、自分の絵が迷っちゃうな…と思って、わたしは見ない。 「もっとガチガチの指導、するかと思ってました」 「あはは。賞狙いで、我が美術部に入ったのかね?(きみ)。」  鳥居くんの独り言のようなつぶやきに、搬入に行かなかった先輩が笑って聞き返した。 「賞狙い」というわけじゃないが、この高校を選んだのは、美術系でもない、公立普通高なのに、あちこちの絵画コンクールで賞を取っているからだった。 「いっしょに楽しく絵を描いてるだけだよ、先生は。」 「なのに、どうして賞が取れるんですか?」 「それは、俺の才能だね」  先輩が胸を張った。――鳥居くんは、あきれ顔で、イスに座り、続きを描き始めた。  2週間かけて1年生が描き上げた絵を並べて、先輩たちのアドバイスを受ける。他の1年生は、いろいろアドバイスを言われてたけど、わたしの絵は。 「ほんとに油画(ゆが)、描くの初めて?」 「上手(うま)ぁ~」  わたしの耳に、笑い声が聞こえた。  反射的に振り返ると、目元に笑いジワ、シワシワの先生と目が合った。先生は笑ったことを隠そうともせず、私に向かって、にっこり、笑う。  小学1年生の写生会で消防車を描いた時から、賞を取り続けていたわたしは、絵を見て、笑われるなんて、生まれて初めてだった。 「油絵(あぶらえ)、描くの、楽しい?」  そんなことを聞かれるのも、生まれて初めてだった。――……絵を描くことを「楽しい」なんて思ったこと、ない。  絵は、描かなくちゃいけないものだった。写生会。図工の授業。美術の授業。美術部。 「描くのに、本当に時間がかかりますね」 「楽しいと思ったことはない」なんて答えられなくて、わたしは質問の答えになってない答えを言った。先生の方を見てはいたけど、目を見れなかった。 「そうか…そうだね……」  わたしは目を逸らすように、先生の絵を見た。  茶色い絵だった。下塗りは、赤茶。机の薄茶、薄青の瓶。瓶を、水を通して、机の上に落ちた光は、白を細く塗り重ねている。画面全体が茶色いから、真っ白な光の輪に、目が吸い寄せられる。  わたしの青い絵は、べったりと平面に見えた。
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