夏合宿

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・川に入るな ・用水路に入るな ・貯水池(ちょすいち)に入るな ・山に入るな ・森に入るな ・木に登るな。枝を折るな。葉を取るな。松脂(まつやに)に触るな。 ・他人の田んぼに入るな ・他人の畑に入るな ・他人の家・庭に入るな ・道を占拠(せんきょ)するな ・高い所に上がるな ・服装は、帽子・長袖・長ズボン・長靴下・スニーカー。 ・水分補給を忘れるな。 ・人に会ったら、元気にあいさつ ・何かやらかしたら、隠さず報告  夏合宿のしおりの表紙に、ずらーっと並んだ注意事項を、わたしたちは声を合わせて読むと、ちゃんと帽子をかぶって、井戸水で作ったスポーツドリンクを入れた水筒と、スケッチブックやキャンバスやイーゼルや画材を持って、あっちこっちへ歩いて行く。茅葺き屋根の古民家の前に、イーゼルを立ててる部員も、3人。  もう4時だけど、日は、まだ高い。むわっとした暑さは、昼間よりは、ちょっとマシになったかも?セミの鳴き声といっしょに、カカカカカカカカ、聞こえてる甲高(かんだか)い音、何の音だろ?  今回は、先生の隣で描くことに決めてた。先生は水筒を幼稚園掛けして、キャンバスだけ持って、麦わら帽子かぶって、カーゴパンツに、長袖Tシャツを着てる。マダニとかヒルとかいるから、服装は、裸足・サンダル・禁止、スニーカー、長靴下、長ズボン、長袖を着るように、注意事項にもあるけど、さらに夏合宿のしおりに図解(ずかい)されてた。  女子は、夏合宿のしおりの注意事項を、みんなで声を合わせて読む前に、普通の家に行って、私服からジャージと長袖体操着に着替えて、めっちゃ顔や首や手に、日焼け止めを塗りまくった。  アスファルトの一本道から、田と田の間の、土の道へ、先生は歩いて行く。二人、並んで歩くくらいの広さは、ある。 「道の両脇、用水路(ようすいろ)あるから、ハマるなよ」 「気を付けます…」  先生に言われて、わたしは答える。あちこち歩いてる、イーゼル立ててる部員たちに、先生は声を掛ける。――見回りかよっ。  土の道を歩いても歩いても、果てしなく田、田、田、田、田…  日焼け止め、ウォータープルーフって言っても、すでに流れ落ちてるんじゃないかってレベルで、麦わら帽子の下、汗、だらだらで、はあはあして、わたしは水筒・キャンバス・イーゼル・絵の具セットを持って歩く。着替える時、ジャージのポケットに、私服からハンカチを移し忘れたので、体操着の袖で、汗を拭う。  先生が、わたしに聞いて来た。 「金江、ひょっとして、俺に付いて来てる?」 「ちがいます。どこで描くか、探し中です」 「そうか」  笑っちゃってる声で先生は言って、歩き続ける。わたしは聞く。 「先生は、描かないんですか?」 「描くよ」 「キャンバスしか、持ってないじゃないですか」 「描く物?持ってるよ」  カーゴパンツから、キャップをはめたえんぴつ、消しゴムを出して見せる。  ……もう、古民家に帰って、囲炉裏(いろり)を描こうかな……  でも、今まで来た道を帰るって考えただけで、心が折れる。  夏合宿では、文化祭で展示する絵を描くことになってた。わたしは、キャンバスとイーゼルを、自分の足に立て掛けて、絵の具セットを地面に置き、肩に掛けた水筒の、井戸水スポーツドリンクで、水分補給する。冷たくて美味しい。わたしが大荷物を持ち直して、再び歩き出すと、今度は先生が立ち止まり、キャンバスをお股に挟んで、水分補給する。 「俺、歩きながら、飲むって、できないんだよね~」  コップを水筒に戻して締めると、キャンバスを持って歩き出す。 「歩きながら飲むと、むせない?」 「は?」 「あと、エスカレーター乗る時、歩数(ほすう)が合わない」 「――老化現象?」 「ちげ~わ。子どもの頃から。」 「子どもの頃から、老人?」 「老人で生まれて、若返ってる最中で、これか?」  先生が笑う。笑い声が、カカカカカカって音と、混ざり合う。 「先生、これ、聞こえてる音、何ですか?」 「聞こえてる音?」  先生が、わたしを見下ろした。――……まさか、わたしにだけ聞こえてるとか、ないよね?!わたしは慌てて、説明する。 「(なん)か、ほら、今も、カカカカカカカカカ、ずっと音がしてるじゃないですか」 「カカカカカカカ?」  先生が空を見上げる。やっぱし私だけに聞こえてる?!  「ああ、カナカナな」  先生が言って、私を見下ろした。 「ヒグラシの声、聞いたこと、ない?」 「ヒグラシ」  山に棲む妖怪? 「カナカナゼミ。都会では、そういや聞かねえな。セミだよ」 「セミですか」 「うん。セミ。」  セミの声で、慌てちゃった自分が恥ずかしくて、わたしは黙って歩いた。  どんどん歩いて行くと、大きな池に着いた。先生は、池の前の草むらに、あぐらをかいて、明らかに、ただの一休み。わたしも座る。 「お前ら、貯水池(ちょすいち)で、水遊びしてねえだろな?」  先生に言われて、大きな池の周りに、イーゼル立ててる部員3人と、OBの二浪(じろう)さんが振り返る。 「堂前先輩に『農薬で死ぬぞ』って言われて、止められました」 「ちゃんと後輩と先輩に、言って聞かせてやりました」 「してません」 「水遊びなんて、してないって」  岩元先輩、堂前先輩、二浪さん、田西さんが答える。 「金江さんも、ここで描くの~?同じ絵、描いたら、比べられちゃうじゃん。ダメじゃん」  田西さんが言う。 「俺らと比べられんのは、いいのかよっ?」 「同じ風景を描いても、ちがう絵になるから、おもしろいんだよ」 「二浪(じろう)の実力、見せてやる!!」  岩元先輩と堂前先輩と二浪(じろう)さんが言う。  田西さんは、堂前先輩狙いなんです。夏合宿、堂前先輩の彼女の瀧澤部長不在のうちに、「ダメってわかってるけど、告る」って言ってました。岩元先輩と二浪さん、ジャマです。 「悪い。ジャマしたな。どうぞ、続けて」  先生が言うと、みんな、キャンバスに向かう。一休み終了かな?と思うと、先生は、あぐらをかいたまんま。今日は、これで終了かもしれない。わたしは前を向く。  いい風景だよね。池があって、草むらがあって、向こうに山があって、空が広くて。  わたしは後ろに両手をついて、空を見上げる。見渡す限りの真っ青な空に、さーっと、さーっと、さーっと、平筆(ひらふで)を走らせたような薄い白い雲。  高い建物に包囲されて、張り巡らされた電線に縛られている狭い空とは、青がちがう。  でも、わたし、電線が()かってる空、好きなんだよね。建物から、ごちゃごちゃ突き出してる看板も好き。そういう風景を描いて、賞を取ったこともある。  先生が立ち上がった。わたしも慌てて、立ち上がろうとすると、先生はキャンバスを置いて、前へ歩いて行って、二浪さんに話しかけてる。何だよ、もおぉ…。わたしは、体育座りで、膝を抱えて、いじける。明日から、わたしは囲炉裏を描く。  足元、クローバーが生えてて、花が咲いてた。クローバーがあったら、四つ葉、探すよね~。あるわけないけど。八つ当たりに、ぶちっと、1本、抜いて見たら、四つ葉だった。 「先生!四つ葉のクローバー、見付けた!」  思わず声を上げて、四つ葉を持った手を上げて、見せると、先生だけじゃなく、みんなに振り返られた。  わたしは、手を下ろして、うつむいた。わたし、こんなガキっぽいことで、はしゃぐキャラじゃないのにっ!!みんなが、わたしを笑う声が聞こえる。――先生のスニーカーの足が、近付いて来た。 「(はさ)んで、持っときな」  先生が、スケッチブックを破って折りたたんだ白い紙を、差し出した。わたしは顔を上げないまま、受け取って、四つ葉のクローバーを入れると、絵の具セットのポケットに入れた。 「家、帰ったら、辞書と辞書の間に挟んで、押し花にすると、いいよ。ああ、花じゃねえな。押し葉か」  先生のスニーカーが離れて行く。 「お前ら、絵を描けよっ」  先生の声に顔を上げると、みんなが地面に這いつくばって、四つ葉のクローバーを探してた。 「受験のお守りに、欲しいじゃねえッスか!」 「以下同文」  二浪さんと堂前先輩が言う。――堂前先輩は、自分のためじゃなく、瀧澤部長のためかな?って気がして、四つ葉のクローバーを探してる田西さんが、ちょっと、かわいそうになった。  田西さんは、新入生勧誘のライブドローイングしてる堂前先輩に一目惚れして、絵には何の興味もないのに、美術部に入部した。 「初心者なので、教えてください」を武器に、グイグイ、迫っている。瀧澤部長が彼女ってことが判明しても、「結婚してるわけじゃないし」って、グイグイ、あきらめない。
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