Ⅰ.帰る家

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Ⅰ.帰る家

 雪の寒さにふるりと身を震わせる一人の少年。  彼が帰るのは『瘴気の森』の中、人に知られざる清浄領域。澄んだ水がこんこんと湧き出す泉の傍の崩れた石の遺跡。 「ただいま」  寝室の真ん中に作った囲炉裏に薪を置いてその火で暖を取る青年が、少年の帰宅に顔を上げた。 「おかえりなさい、こっちに来てください、レギオン」 両手を広げて少年を待つ銀の髪に褐色の肌の青年。黒髪に浅黒い肌のまだ十歳にも満たない少年は雪に濡れた上着と靴を履き替え、青年のもとに歩み寄ると少し躊躇いながら膝の上に腰を下ろした。 「……ぬくい」 「温めておきました」 「物は言いようだな」  青年は火に当たって暖まった自身の身体でぎゅう、と大人びた口調で話す少年の身体を抱き締める。 「……暖かい?レギオン」 「ああ」 「よかった」  少年の後頭部に頬ずりをして、狩りで冷えた身体を温める。冬の始まりに赤子の肉体に生まれ変わったレギオンの数週間で成長した姿だ。 「早くデカくならねえと、ろくに魔法も使えない」  囲炉裏には水を張った鍋が火にかけられ、湯が沸く音が絶えない。  青年が細い指で少年の冷えた頬を後ろから包み込む。密着したお互いの鼓動が一つに重なり合う。 「(おれ)は……もう少しだけ、レギオンに今の大きさで居てほしいです」  魔法が使えない不便さも、幼い姿の(レギオン)を堪能できる特別な楽しみが帳消しにしてしまう(あるじ)と、何度繰り返しても無力な身体に歯痒さしか覚えない上に猫可愛がりされるのがむず痒いレギオン。 「――アンタが火の起こし方覚えたらな」  囲炉裏の火も朝からレギオンが点けたもの。(あるじ)という存在は生きるだけなら出来るだろうが人間らしい生活を独力では送れない。 「でもレギオン、直ぐに俺がやるって言うでしょう」 言い返されたレギオンは主の手を頬から剥がさせて、小さな手で包み込む。その掌の温度で、冷えていた頬は人並みの体温を取り戻していた。 「あー……その…危なっかしい、あんたは。……この前自分の手に火打ち石ぶつけただろ」  初めは火打ち石が何かも知らなかった彼が、レギオンの見様見真似を何十回と繰り返して未だうまく出来ない不器用さも一種の呪いなのではないかと疑いたくなる。 「ごめんなさい……でも、練習しないと…」  しゅんとした主の声にレギオンは少し間をおいて、「言い過ぎた、(わり)い」と褐色の指を自分の口元へと引き寄せて口付けた。 「飯……作るときに、練習するか」 「はい」  レギオンは背中の青年が嬉しそうに笑うのを気配で感じた。小さな体が抱き締め直され、黒い髪に頬が押し付けられる。 「出来ることが増えるの、とっても楽しみです」 ――その出来ること、が増えたらいずれ(あるじ)にすがりつくのは自分の方になるのだろうか。 「レギオン?」 「…あ?」  暗い物思いに沈んでいた獣の意識を(あるじ)が掬い上げる。 「己ね……冬は寒くて、レギオンも大変なのは知っているけれど、他の季節より好きなんです」  眼の前で薪がパチリと爆ぜ、二人を照らす赤い火が揺れる。 「何で。外出れねえ日多いし、水冷てえ」 まだ雪は深くなる。幸い泉が凍ることはないが、部屋の中に篭りがちだし、火の世話という仕事が増える。 「あなたと一緒に居られる時間が、一番多いでしょう。かわいい(おれ)の獣」 「…そりゃ……どうも」  主の腕の中で、獣は据わり悪そうに身動いだ。 「今年は、天井の煤掃除もやらせるからな」 「うん」  彼等の身を隠し生きる森は、一歩外に出れば外は白い雪が人差し指の長さほど積もっている。そこに一羽の鳥が降り立って、泉の水を飲むと再び飛び立っていった。
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