Ⅰ.帰る家

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 街の広場ではメロスが子供たちの体を鍛えていた。といっても厳しい鍛錬ではない。ニコとミケルを鬼役にして腰に挟んだリボンを、さらに年少の子供たちに追い掛けさせて取らせる遊びだった。 「ハァ…ハァ……なんでっ…なんで……俺のほうが足速いのにぃー!」  イオが通りかかった時には丁度子供たちが走り疲れて、所々芝の禿げた地面の上に銘々座り込んでいた。その中でもミケルが何やら悔しげに唸っているところへと近づき、イオが声をかける。 「や、メロスおつかれ。どうしたのミケル」  メロスとニコも額に汗を浮かべて呼吸を整えている。やんちゃなミケルが手足を投げ出して仰向けに寝転がると、更にそこに年少の子供たちが群がってわちゃわちゃと賑やかになる。 「帯取り鬼をしてたんだ。そしたらミケルが、絶対に捕まらないと自信満々で言ったからな、……フゥ…俺も本気でニコと子供たちを指揮して捕まえた」  シャツの袖で汗を拭うメロスの身体はよほど温まっているのか、子供たちと同様に身体から薄く湯気が立ち上っていた。黒いシャツから鍛えられた首筋を汗ばませ無防備に晒している。  時折大人気ない所を見せる幼馴染に笑い、本気出し過ぎじゃない? と首を傾げるとメロスは首を横に振った。 「俺は子供たちの後ろから走って、見守り役だ。最初は確かに俺が指示を出したが実際に捕まえたのはニコだ」 「えへー……頑張りました」  傍へとやって来た稲穂色の巻き毛の少年ニコが笑う。 「最後の方はニコが自分でミケルを誘導してたぐらいだったな」 「へぇ、流石だねぇニコ」  ニコも上着を脱いで薄着になっている。木樵(きこり)の手伝いで鍛えられている身体は、日々逞しく育ってく盛りだ。 「……先生に褒められると、嬉しい…」  年少の子供たちと転げ回っていたミケルが跳ね起きて叫んだ。 「師匠が味方についたら勝てるわけ無いじゃん!」 「負け惜しみはダサいよぉ?」  イオせんせー、と寄ってくる子供を抱き上げながら膝を折り目線の高さを合わせて、ぶすっと頬を膨らませているミケルの頭を軽く撫でる。 「ぐぬぬ……」 「明日は俺がつきっきり一対一で鍛錬にするか、ミケル」  彼も成長期だ。この先どんどん背も伸びるし、今は少年らしい細身だがメロスに鍛えられれば身体も出来ていくのだろう。 「せんせ、ねむいー…つかれた」  イオに抱き上げられた子供がぐずり襟巻きに顔を埋める。 「はいはい、お家帰ろうか」 「やだぁー」  そのままズビーと鼻を噛む音がした。 「あー……」  イオとニコの声が重なり。 「…………いや……そういうこともあるさ」 あとからメロスがポツリと呟いた。  子供たちが解散し寝てしまった幼児を最後に送り届けたイオは話したいことがある、とメロスを狭い自宅に招き入れた。集合住宅の最上階の部屋は狭く元々部屋の半分は屋根で天井が斜めになっている。家賃の安さと住環境は反比例する実物だ。 「前に来たときより狭くなってないか?」  メロスは一歩踏み込んだ時点で前回との変化を感じ取ったらしく、首を傾げながら上着を脱ぐ。それを受け取ったイオは自身の上着と共に吊るして、汚れた襟巻きも解いた。 「まあねぇ……ちょっと副業増やしてさぁ。っていうのは冗談なんだけど」  メロスは室内を見回し部屋が狭くなった原因に気がついた。辞書のような分厚い本。それ自体は珍しいものではないが、本の隣に置かれていた籠に入った握りこぶし大の水晶と脇卓程の大きさのある棚。 「光鳩か?」 「正解、此処まで運ぶの重かったぁ……」  イオは予備の襟巻きで首の痣を隠しながら肯定する。部屋を狭くしていたのは遠方との無線通信魔法、通称光鳩の設備だった。メロスはそれを見て首を傾げる。 「運び入れる時に俺を呼べばよかっただろ。……結婚式の準備も落ち着いたんだ」 「あ、そうなんだ? じゃあ今度から遠慮しないで呼んじゃおうかな」  ほとんどアルコールのない水代わりの葡萄酒を木杯へ注いでメロスに差し出しながら、イオは本が山積みの卓に腰掛けた。 「それで、話したいことというのは?」 「うん」  赤い葡萄酒を一口飲んで、イオも腹をくくった。 「諮問会で有ったこと、そっからの今の話――ってー…所かな」  彼に対する特別な想いは言う必要は無いが、彼を巻き込みたくないから話さないというのは、間違っているのだろう。 「僕さぁ……君を巻き込みたくないからって、ちゃんと話してなかった。あそこに居たのは君も同じなのにね、メロス」  メロスは狭い壁に寄り掛かりながらイオの言葉にうなずいた。 「そうだな。お前に何かあった後でマリーに打ち明けたら、それこそ頬を張られかねない」  小柄だが気弱には程遠い幼馴染の名にイオも笑う。 「ごめん、気が動転してた」 「そうか。……俺も、引っかかっていたんだ。俺には彼等が自分の意志で暴行(あんなこと)をしたとは思えない」  森の中で見た彼等の様子は明らかに正気を失っていた。それはイオもメロスも同じ見解であった。 「そうだね、メロス。僕も今はそう思う。問題は誰がそうさせた、か。……それで諮問会の話に戻るけど……えっと、なんて言ったらいいかなぁ。要は、報告書の内容は嘘なんじゃないか、僕が唆したんじゃないか、って問い詰められたー……みたいな」  服を剥ぎ取られたことや、参加していた面々についてメロスに尋ねられたが、目隠しのせいで判らなかったと返す。 「バシル叔父上が居た筈なんだが、そんな言い方をしたのか」 「……――あの中に君の叔父様が?」  イオの動揺が声に出る。  メロスはイオとは違い、教会への信心篤い騎士である。メロスの親戚が司祭だという話はイオも知っていたが、その人物があの部屋に同席していたとなると嫌な感情が込み上げた。 「叔父上は、お前が瘴気に当てられた後遺症が残っていないか心配していた。それでお前の様子を確認していたと」 「あ……」  メロスはおそらく叔父の言葉を信じている。イオが諮問会で受けた辱めを言う事はますます難しくなった。 「叔父上からは、その途中で財務顧問に止められたと聞いた」  木杯を煽り、メロスが葡萄酒を飲み干す。イオが口籠っている姿に眉を顰め、つかつかと距離を縮めて顔を覗き込んだ。 「財務顧問と何があったんだ」  木杯を握りしめてイオは考える。メロスの親戚の前で裸を晒し、その後ヴラド卿と教会の一室で取引のようにセックスしたことは忘れられない。嫌な記憶として。 「……ヴラド卿には……全部話した」 なんとか声を絞り出してそれだけ言葉にして視線をそらす。 「……僕は、諮問会に居た人達は危ないと思っている。ヴラド卿は、その人達の敵、だ。……多分だけどさ」 「敵の敵は味方だと?」 「そういう事。だけど、僕に今回手を回したのはヴラド卿だ。それは本人から聞いた。それに、今後僕とメロスを守ってくれるって約束……も」  今度はメロスが目を(みは)り、眉間を押さえて暫く黙り込んだ。 「……お前の言っていることがわからん、スマン。………俺にも解るように説明してくれ」 メロスは空の木杯を平積みにされた本の上に置き、イオが口を開こうとしたその時、光鳩が受信の印にジリリリと金属音を鳴らした。 「噂をすれば、だ」  イオの部屋に運び込まれた光鳩はヴラドとの直通回線の役割をはたしていたのだ。ちょっと待ってて、とイオは装置の前へと回り込み記録紙をセットし、手でハンドルを回して受電した暗号を焼き付けた紙を送り出す。 「もっと良いやつは自動で紙に書いてくれるらしいんだけどさぁ……それだとすごく大きくて部屋に入りそうもなかったんだよねぇ」  紙の焦げる匂い。細長い紙にはメロスには読み取れない記号が並んでいた。イオはそれをさらに別の紙に書き写し、暗号帳を開いて読み解く。 「光鳩が一文字単位でお金かかるのも解るよ」 「こちらからも送れるのか」 机の前でメロスが腕組みをして尋ねると、イオは首を横に振った。 「機能的には送れるんだけどねぇ……まだ僕が暗号おぼえて無くて、一定の速度で打ち込まなきゃいけないんだって、これ。ちょっとまだ無理かなぁ……」  なるほど、光鳩の通信士は一朝一夕でなれるものでは無いらしいことはメロスにも理解できた。 「閣下から、彼等を連れてこいってさ」 「彼等……」  はぁ、とため息をついて天井を見上げるイオ。口元が笑っている。 「レギオンとアルジ君」 「――……」  メロスが絶句したのかと思ってイオが顔を向けると、彼もイオの方をじっと見つめていた。 「なーあに」  首を傾げて尋ねると、メロスは腕組みしたままぽつりと溢し始める。 「アルジが、燃やされる夢を見た。まるで魔物の始末の時のように全身を」  肌で感じた浄化の炎の熱気すら未だに思い出せる強烈な悪夢だった、あの光景を思い出しメロスは自分の身体を見下ろす。 「俺の身体も彼と同じ茶色い肌をしていた」 「……彼が魔物なら、それで消えるはずだね」  イオは師に告げられた可能性も忘れて居なかった。すなわち、アルジが何らかの形で瘴気を操れるような――魔族、或いは魔王と称される存在である危険性。  メロスは夢を思い出してイオの言葉に首を横に振った。 「火が消えたあとはすっかり元通りだった。それから……皆を守るためだから大丈夫だと、そう言っていた。……間違いない、アレはアルジだ」 「……――何が、大丈夫なんだろうね」  わからない。  わからない。  イオとメロスにとって誰が危険で、誰が信頼できるのか、夢の内容が真実であるかのようにメロスは語るが、それもなんの確証のない話だ。 「もしかしたら」  メロスは夢の中で金の装飾が嵌っていた己の腕を見下ろし、そして顔を上げる。 「俺はあの夢を見ているから、狂わなかったんじゃないか?」  あまりにも真剣に語るメロスに、返す言葉が見つからずにイオは下手な提琴(ヴァイオリン)のような唸り声を上げた。 「ここまで来ると肯定も否定も出来なくなってきたよ」  兎も角――彼らは春の挙式に間に合うように早馬で森へ向かう必要が出来たことだけは確かだった。
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