03

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 喉元に男の唇が触れてきて、男の表情を窺うことは叶わない。  今までも、死を覚悟したことは何度もあった。何よりこの状況自体が、夢か幻にしか思えない。それなりに、璃宇にも今生への未練はあったはずだ。確かにあったはずのその想いはしかし、今ぽっかりと大きな穴が開いていて、真っ白になっている。 「……ッ、あ」  首筋に与えられたのはしかし、絶命に至る激しい痛みではなかった。甘い疼きだけを与えてきた男の唇はゆっくりと動き、今度は璃宇の喉元をきつく吸い上げてくる。  軍に属しているのもあって、成人を迎えたのに他の皇子たちならとっくに知り得ているだろう房事に疎い自覚はあった。……自覚はあるのだが、こういった口づけは愛妃にするもののはずだ。今から喰らおうとするものにすることではないことは分かる。  しっかりと着つけられた豪奢な衣装。  飾りの玉佩が最初に取り上げられたかと思うと、結ばれていた帯紐も解かれ、目を丸くしているうちに纏うのは下衣のみとなっていた。 「主殿、せっかくの装いが」 「構わん」  男の目的が分からない。滑らかな黒灰の長い髪が璃宇の顔にもかかってくる。残っていた下衣の衿も大きく割り開かれ、形の良い唇が璃宇の胸の飾りにも触れてきて――少し吊り上がり気味の、璃宇の奥二重の目がピクッと動く。 「主殿は、心の臓から喰らうのか?」    ふ、と胸の突起を甘噛みされたまま笑われて、ぞくりと全身が震えた。先ほどから感じていた甘い香りもますます強くなってきて、その匂いだけでも眩暈がしそうだ。自分を自分として保つのが、難しくなってきている。 「……、……あ……ッ!」  堪えきれず出してしまった小さな喘ぎは、自分のものとは思えないくらい甘く響いた。 「声を我慢する必要はない。ここに人の道理など必要ない。艶ごとには疎いようだが……璃宇も愉しめば良い」  恥ずかしくなる音を立てながら、璃宇の乳首を舐っていた男の唇が離れた。今までになく甘く爛れた主張をしてくる乳首だけでも、精一杯。それなのに、痛いくらいに張り詰めた己自身にも男が触れてきて――「うあ」と大きな声を出してしまった。「どうして、こんな」と続けたいのに、甘い茶を男から口移しで飲まされ、こくりと言葉ごと飲み込む。 「……手、手を……はな、して……」 「腰が物欲しそうに揺れている。他人の手で触れられるのは、初めてか?」  揶揄されて、璃宇は自身の顔に熱が集まるのを感じた。それも、すぐさま口づけでごまかされてしまう。最初は布越しに触れていた男の手が、下衣の裾から入り込んできた。熱を帯びて勃ち上がった璃宇自身を男が更に追い詰め、硬く育てていく。男の手の動きを助けるためにか、己自身がどんどんと零す先走りに混乱する璃宇に、男は幾度となく口づけを与えてきた。 「やめよ……!」 「其方の身体は、私を受け入れようとしているが」  乳首を舐りながら熱く猛る雄芯の頭を弄られて、璃宇はあらぬ声を上げていた。もう少しで達せそうだったのに、弱くなった刺激に焦らされてしまう。自分がどんな目で男を見ているのかすら、考えられない。つい先ほどまで逃れようとした口で、今度は懇願の言葉が漏れ出そうになったその刹那。  玲瓏とした鈴の音がまた、壮観な庭に鳴り響いた。 「おい、渾沌(こんとん)。新しい『花嫁』が来たと聞いたが――」  目隠しとなっていた天蓋を潜って、これまた長身の男が一人割り入ってきた。璃宇を組み敷いているのはこの広い邸の主のはずなのに、突然の闖入者に獣面の従者たちは素直に道を開けている。  渾沌と呼ばれた、璃宇を組み敷いていた黒灰の男は、嘆息を一つ漏らすと、最後に残った肌着もあられもなく乱された璃宇の体に自身の外套をかけた。 「『花嫁』とは、まさかその男のことなのか?! 華奢で女顔をした男なら過去にも稀にはいたが……成人した、体格の良い男を送り込むとはねえ」  乱入して来た男と、切れ長の眼差しをした黒灰の男――渾沌は対照的だ。  乱入男はくっきりとした二重の目をしていて、白銀の長い髪を後ろの高いところで括り、垂らした髪の一部に玉環を通している。  上衣を着崩していて、大きく開いた衿の合わせからは頑健な体つきであることが見て取れた。苦笑しながら璃宇を覗き込もうとした白銀髪の男を、渾沌が制する。白銀の男についているのは、黒の模様が入った、少し丸みのある虎の耳と長い尾。不機嫌そうにその尾が動いても、渾沌は動じない。 「私がこの者を受け入れることに決めた。『花嫁』を迎え入れるのに、貴様ら全員の許可がいるわけでもない」 「ふうん、わざわざ傘で目隠しするほど気に入ったと。……なんだ? 甘く良い香りがする……天上の香りが」  白銀の男が、これまた形良い鼻を大仰にひくつかせる。  膝をつき、上体を起こしかけていた璃宇のところまで顔を近づけてきた。男の体躯は璃宇よりも大きいが、ふわふわとした白銀の髪が体に触れると、猫がすり寄って来た時の感覚に近い。 「なるほど。この者の心身はかなりの美味と見える。独り占めは狡いぞ、渾沌」 「窮奇(きゅうき)。貴様が要らぬと申したのだろう」  言ってない、と白銀の男が声を低くした。人のものではあり得ないほど長く、鋭い牙をむき出しにする。渾沌の外套だけを与えられた璃宇のすぐ目の前で、二人はそれぞれ黒灰の大きな狼と、白銀の虎へと姿を変えて睨み合いを始めた。どちらの獣も、背中には見事な双翼を備えている。人には持ちえない獰猛な光を宿す眼差しを顕わに、獣たちはお互いを威嚇し始めた。周囲にいる従者たちが動揺しながら宥めようとしているものの、璃宇は視界の端に映ったものの方が気になった。進軍中であれば話は別だが、それ以外の時の喧嘩にはあえて手を出さないことにしている――というと聞こえが良いが、実際のところは璃宇の関心ごとではないのだ。  そういうところが、皇族でもある璃宇の歪みなのかもしれないが。 (あれは……)  ぴょこん、と先ほどの蝙蝠が近くの岩肌に現れたのが見えて、そちらが気になった。 「おいで」  蝙蝠に手を伸ばしたつもりだったのだが。璃宇のすぐ側で賑やかしい喧嘩を始めていた二頭の雰囲気が、変わる気配がした。
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