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 一番上の兄は立太子の儀式を経て既に皇太子の位にある。同じ母を持つ璃宇にはただ甘いだけのことが多い長兄だが、皇位継承からは遠い璃宇から見ても、次の皇帝に相応しい人物と思える。二番目の兄は既に故人となっており、三番目の兄は常に皇太子である長兄と比べられ、功を欲していると噂では聞いたことがあった。  その三番目の兄が、自分を利用して――皇太子の、引いてはこの国の行方を乱そうとしていたのだ。璃宇の代わりなら、もっと優秀な武官が大勢いる。皇子だからと将軍の位にあって、配下たちもこんな璃宇に忠実に従ってきてくれたが、自分にしかできないことがあるとしたら――まさしく、今だった。 「……願い事を、決めた。そこにいる、三の兄のことだ」  こちらを、いろんな目が見てくる。兄の期待に満ちた眼差し。窮奇は興味津々、といったもの。渾沌は――感情が読み取れない。きゅ、と小さく鳴きながら現れた饕餮の頭を指の腹で撫でてやりながら、璃宇は心を決めた。 「三の兄が、この国にとって、真実平和となりえる存在にしてほしい」 『璃宇。其方が玉座を望めば、我らは叶えてやれるのだぞ』  璃宇は照れ笑いをすると、腕を伸ばし、黒狼のたてがみのような長い毛並みを優しくすいた。むむ、と小さく唸りつつも、心地よさそうに渾沌が耳を伏せたのが分かる。 「俺は、渾沌たちの妻なのだろう? それに、俺は剣を持ち馬を駆けさせるしか能がない。それで一番上の兄……皇太子殿下やこの国の役に立てるなら、それでいい」 「それはそれで妬けるが……まあ、良いだろう」  璃宇の話を聞き終えたからか、人に似た姿に戻った窮奇が、人差し指と中指を兄の額につきつける。ぽかんとしている兄と周囲だったが、同じく人同然の姿となった渾沌が手を叩くと――一斉に眠りに落ちたのか、その場にいた璃宇以外の者すべてが、地面へと転がった。 「彼らが次に目を覚ました時には、璃宇の願った通りになるはずだ。」 「りーうー。俺にご褒美の口づけをくれないか」  璃宇に抱きつこうとした窮奇を、渾沌がシッと冷たくあしらう。 「璃宇の願いは、もう一つ叶えることができるが……」  渾沌の、綺麗な琥珀色の眼差しが柔らかな光を帯びて璃宇を見てくる。「何が良いんだ?」と懲りずに肩を組んでくる窮奇に口づけられながら、璃宇は心にふわりと浮かんだ願いを口にしていた。  *** 「気のせいか? ほんの少し留守にしていた間に、色々と邸の様子が……」 「璃宇が生活していた場所を垣間見ることができたのでな。自邸に似た造りの方が、過ごしやすかろう」  二人と、蝙蝠姿の饕餮と。  あの美しい庭のある彼らの邸へと戻って来た璃宇は、目を丸くした。庭はそのままなのだが、扉の造りや部屋の中の様子などが以前と変わっているのだ。渾沌がさらりと言った通り、確かに自邸に帰って来た時に似た安堵感を覚える。 「なあ。あんなことを口走ってしまったが、渾沌たちが俺を不用と思うなら、聞かなかったことにしてくれないか」 「それはない。其方の兄とやらと、我らは違う」  庭へと連れ出され、渾沌に手を引かれながら小声で主張した璃宇に、きっぱりとした口調で渾沌が返してくる。   「『花嫁は俺で終わりにしてほしい』……か。璃宇は、身内の裏切りの犠牲になる者を無くそうと願ったのだろうが――私には別の意味に聞こえたな」 「同じく! 璃宇に独占欲出されるというのも、悪くない」  快活な口調で割り込んできた窮奇に頬を取られ、軽く口づけされる。すぐに渾沌が割って入り、二人の賑やかなやり取りが始まるのを笑って見守っていた璃宇のところに、蝙蝠姿の饕餮がやってきた。  その場で小さな幼児に姿を変えると、無言で璃宇の手をきゅう、と小さな手で握り締めてくる。無表情ではあるが、はにかんでも見えて、可愛らしい。  饕餮と手を繋いでいたところから綿菓子に似たものを浮かび上がってきた。不思議に思いながらそれを見ていると、饕餮はそれを無表情のままはむりと食べてしまう。 「と……饕餮? そ、それは食べて良いものなのか……?」 「饕餮は大喰らい。どんなものでも食べるのです。たとえば――近しい者の裏切りに対する絶望や、一人、土の中で絶命まで苦しんだ記憶。身内との悪しき縁であったり――貴方を苦しませた三の兄上殿との縁も、もう貴方の記憶からは消えます」  無言でもぐもぐと食べ続けている饕餮に代わって声をかけてきたのは、この邸に来てすぐに璃宇を世話してくれた狐面の少年だった。少年はやはり面をつけていて、長い尻尾が揺れている。 「窮奇たちから、水菓子が大層気に入ったと伺いました。すぐにまた用意しますね。ご無事のお帰り、安心しました……我らが伴侶殿」  コクコクと、饕餮も少年の言葉に合わせて必死に頷いている。ずるいぞ、とすぐに窮奇が虎の姿で駆け寄り、力加減をしながらも璃宇に己の顔をすり寄せてきた。 「璃宇。これから、この地が其方も気に入る場所となるよう努力しよう」  静かに近づいてきた渾沌にも、口づけと共にそう告げられる。この美しい場所と、愛しく感じ始めている彼らが既に大切なのだと、どう説明すれば良いのか――璃宇は悩み始めるのだった。 ***  人の国の一つ、硝国ではその年、歴史書に刻まれる大きな事件が起こった。勇敢かつ人格者でもあった若きが大きな獣たちに襲われ、姿を消してしまったのだ。皇帝も人々も嘆き捜索を重ねたが、見つかったのは「自分こそが第三皇子だ」と泣き喚く、濃い髭の小柄な男だけだったという。 【了】
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