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3話
ワインを挟みつつケーキを平らげる。そのあと、高森さんはポツンと残されたサンタを前に躊躇していた。
「うう、美味しそう。でもかわいくて食べづらい。美味しそう。つらい……」
この様子だと置いておくのかな、と思ったら、彼女は意を決した表情になって、サンタをつまみ、「えいっ!」と勢いをつけて口にした。咀嚼しながら哀しそうな顔をする。
「美味しい~。食べちゃってごめんねぇ」
砂糖菓子ひとつで大騒ぎの彼女に、僕はつい笑った。
「サンタからすれば、取っておかれて湿気るのが一番切ない末路じゃないですか」
「それでも罪悪感が……」
「あんまり感情移入すると、そういう砂糖菓子が食べられなくなりますよ。多少は割り切りましょう」
「厳しい試練だなぁ」
「そこまで深刻になりますか」
おかしがる僕に、高森さんが恨めしそうな目を向けた。
「どうせ『子どもか!』って思ってるんでしょ」
「いえいえ、そういうわけじゃ」
ほんとうはかわいいと感じたのだが、なんとなく口にできない。
テレビからクリスマスソングが流れてくる。彼女はそちらを見て気を取り直し、またほんわかした笑顔になった。
「サンタさんには悪いけど、ケーキまで食べられて幸せ。津村くんお手製のホットワインもごちそうになったし」
「材料をまぜてレンジであっためただけですよ。気に入ったなら家で試してみてください」
「冬ならではだもんね。作ってみようっと」
ホットワインは一杯だけだったが、高森さんの頬がわずかに赤らんでいる。そういえば彼女はあまり酒に強くない。アルコール以外の飲み物にしておけばよかったかと思ったものの、後の祭りだ。
不意に高森さんはくすくす笑い、テレビから流れてきた『きよしこの夜』に反応した。
「この曲、歌えるよ。さーいれんないと、ほーりぃないと」
僕が面食らっていると、彼女が澄んだ声で続きを奏でた。
「ほーりーいーんふぁんそー、てんだーんまいる」
そしてサビまで歌いきる。僕はただただ驚いた。
「英語バージョンで来るとは思いませんでした」
「あはは、めちゃくちゃ簡単だよ。たぶん、小学生でもあっという間に覚えられる」
「授業かなにかで習ったんですか?」
「中学のときにね。ぶっちゃけそのころは『覚えさせられた』って感覚だったけど、クリスマスがくると歌いたくなる。十代のころに取り込んだことって、いつまでも残るよねぇ」
「中学生の高森さんを想像してみたんですが、いまと変わりませんでした」
「あっ、ひどい。どうせ童顔ですよーだ。でも否定できないのが悔しい。そういう津村くんは?」
「まぁ普通です」
「えー、つまんない」
「僕に面白おかしいエピソードを期待されても」
すると彼女はにんまりした。
「じゃあ勝手に想像しちゃお。そうだなぁ、いまより不器用でぶっきらぼうで、ときどき誤解されちゃうけど、ほんとうはやさしくてまっすぐな男の子」
「いや……妙に美化してませんか」
「その子が成長したらこんな感じになると思うよ?」
ストレートに褒められて、僕はいたたまれず視線を逸らした。
「あまりそういうふうに言わないでください」
「嫌な気持ちになった?」
「いいえ。けど……」
うつむいたまま言葉を絞り出す。
「どういった反応をすればいいのか分かりません」
「おや、照れてる? かわいいなぁ、津村くん」
僕は思わず反論した。
「なに言ってるんですか、かわいいのは高森さんでしょう! 今日はずっとそんなだから、あれこれ振り回されたっていうのに、ちっとも嫌じゃなくて、むしろ楽しくて、だったらもっと、って……」
ああ、失敗した。本音を口走ってしまった。彼女に付き合わされた以上、こちらが頼みごとをすれば聞いてもらえそうだから、しまい込んでおこうと思ったのに。けれど、こうしてほんとうの二人きりになっているのだから、じつのところ僕の望みはダダ洩れかもしれない。
はあ、と息をつく僕を見て、高森さんは恥ずかしそうに微笑した。
「よかった。強引に押しかけちゃったから」
さらに顔を赤くして、消え入りそうな声で告げる。
「私も……津村くんともっと一緒にいたいなぁ、なんて」
困った表情でテーブルを見つめる。
「なんか、改めて口にすると穴掘って埋まりたい気分……」
「その希望を叶えたいのはやまやまなんですが」
「う、うん」
「――すみません、この状況で高森さんになにもしないまま過ごすのは……そろそろ限界です」
彼女がビックリして、こちらをまじまじと見つめた。
「私が女性だっていう認識をまったくしてないのかと思ってた」
「まさか。ただ、高森さんにとってあくまで同僚なら、不埒な行動に出ると軽蔑されるだろうなと」
高森さんはくすっと笑って肩をすくめた。
「私はそんな相手と密室で二人きりにならないよ」
さりげない言葉だけど、その意味するところにクラクラした。それでも硬直していると、向かいに座っていた彼女が立ち上がり、歩み寄って隣にすとんと腰を下ろした。そして、僕の肩にこてんと頭を乗せる。
「まるで、純朴な青年を誘惑してる悪いオンナみたい、私」
「そんなこと」
僕はかすかに笑った。
「それは間違いだと分かりますよ、すぐ」
彼女の唇からは砂糖菓子の味がした。
早朝に目を覚まして、ベッドの中で高森さんと下着姿でくっついていることに気付き、僕は叫びそうなぐらい動揺した。もちろん昨夜のことはすべて覚えている。それでも、同僚だった相手と一夜にしてこうなるなんて、記憶にあっても信じられない。
身動きが取れずにいると、彼女も覚醒した。間近にいる僕にひどく驚いた顔をし、ふと経緯を思い出したらしく、かぁっと赤面した。
互いに上半身を起こして、どういう態度を取ればいいのか分からず、視線を逸らす。でも、聖夜の雰囲気に流されただけではない、ということは伝えておきたかった。
「あの、順番があべこべですけど――」
すると彼女がこわごわ振り向いて、「……うん」と答えた。
「僕を高森さんのカレシにしてもらえませんか?」
その言葉に相手がまばたきする。
「『カノジョになってください』じゃないんだ?」
「そういう言い方をするには、まだ自信が……」
「ふふ、津村くんらしい」
高森さんがふんわり笑ったので、とりあえず僕はほっとした。彼女は改めてうなずき、想いのこもった目で見つめた。
「私を津村くんのカノジョにしてくれますか?」
「もちろんです」
「よかった」
僕はたまらなくなって彼女を抱きしめた。
チキンやケーキを食べているときは、クリスマスごっこのつもりだった。こうなってから振り返ると、恋人イヴだったのかもしれない。
相手のぬくもりを感じながら、僕は呆然とつぶやく。
「まだ実感が湧きません……」
「私も、夢の中にいるみたい」
彼女が体を起こしてこちらを見上げた。
「でもこっちがリアルなんだ。すごいね」
「えぇと、とりあえずは……おはよう?」
彼女はぷっと笑ったあと「おはよ!」と返事して。
こちらの首に腕を回してがばっと抱きつき、いろんな意味で僕をあわてさせたのだった。
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