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その後の僕ら 前編
晴れて恋人になったクリスマスの早朝。
そりゃ、下着姿のカノジョに抱きつかれたらスイッチも入ろうというもの。じゃれ合いながら相手をベッドに寝かせて覆いかぶさろうとすると、高森さんがあわてた声を上げた。
「ちょ、津村くん、ストップ! だ、ダメだってば……」
「無理です、止まれません」
「あーうん、私もいやじゃないよ? 流されたいけど!」
「けど?」
僕が目を向けると、彼女が苦笑した。
「今日は休みじゃないから、仕事に行く支度をしないとね?」
指摘されて、そうだったと思い出した。
「……聞かなかったことにしたいです」
「おや、津村くんでもオンオフの切り替えに渋ることがあるんだ」
「色よい返事をもらったばかりなんですよ。これが夢じゃないと実感したくなるのは当然でしょう」
すると高森さんは、いたたまれない様子で視線を逸らした。
「でも私、昨夜のことでいっぱいいっぱいなんだ。のぼせてぶっ倒れそうだから、いったんクールダウンさせてほしい……」
「――高森さん」
「な、なに?」
「そういう言い方は逆効果です」
「ええっ!?」
僕は彼女を抱きしめてため息をついた。
「すこしだけ、このままでいさせてください」
「……うん」
相手がこちらの背にそっと手を添える。このままもういちど眠りたかった。
出社まえにいったん帰宅する高森さんを玄関で見送る。彼女は頬を染めて言った。
「ほんとは昨夜のうちに帰るつもりだったんだ。でも一緒にいたくてギリギリまで居座っちゃった。ごめんね、あわただしい朝になって」
「え、いえ、謝らなくても」
「朝まできみを独り占めしても、やっぱり離れがたいや。仕事があってよかったかも。そうじゃなかったら私、わがまま言って困らせた気がするよ」
その視線はわずかに逸らされていたが、気持ちは伝わってくる。
「ぜひ聞かせてください」
すると高森さん驚いた顔を向け、感情をこらえるように眉をしかめたあと、観念して笑った。
「次はメチャクチャ甘えるから覚悟しててよ!」
そして手をひらひら振って、ドアから出て行った。
僕は数瞬ののち、その場でがくっとしゃがみ込む。
「なんだよ、それはっ」
ただの同僚だったころには知らなかった表情を次々と見せられて。
「あぁ反則だ……」
全身でため息をついた。
シャワーを浴びて身支度を整え、ニュースを眺めながら朝食をとる。家を出て電車に乗り、目的の駅で降りる。会社に辿り着く。一連のルーチンをこなすと、いつもの日常に戻った感覚だ。
けれど、出社した高森さんが視界に入ったとたん、吹き飛んでしまった。一緒にケーキを食べたあとのこと、新しい関係の始まり。
ふと目が合ったとき、彼女が顔をかぁっと赤らめ、動揺した様子で視線を逸らす。それによって、自分の世界にいままでになかった色がじわっと広がった。
午後三時になるころ、休憩室で缶コーヒーを飲んでいると、資料らしき冊子を抱えた高森さんが通り過ぎた。彼女は驚いた顔で去っていったが、小走りに戻ってきて僕の周囲を窺った。
「津村くん、一人?」
「ええ」
高森さんは廊下にも人がいないことを確かめてから、こちらに歩み寄った。
「あのね、きみの連絡先を聞いてもいい?」
「……そういえば交換してませんでしたね」
「うん、そこまで頭まわってなかった」
「それじゃあ」
互いにケータイを取り出して赤外線通信を行う。アドレス帳には上司や同期の名前が連なっているが、追加された『高森』の文字が僕の胸をくすぐった。
彼女がしみじみつぶやく。
「なんか照れちゃうね。たったこれだけのことなのに」
「高森さんってけっこう恥ずかしがり屋ですね」
「仕方ないよ、ずっと普通の同僚だったし」
「たしかに」
視線が交わり、互いに赤くなる。そのとき廊下を歩いてくる足音が聞こえ、高森さんはびくっとした。彼女があわてて距離を取ったタイミングで、矢吹係長が姿を現した。
「津村、休憩してたのか。榊がさっき受けた問い合わせの電話で、お前に確認したいことがあるようだったぞ」
「分かりました、戻ります」
僕が席を立つと、係長は高森さんを見た。
「話し中だったか?」
「い、いえっ、ざ、雑談ですからご心配なく!」
「そうか? ならいいけど」
「わ、私も油売ってないで戻らなきゃ~、です」
挙動不審な彼女に、係長はやや怪訝な顔をしたが、とくに追及することなく自販機のほうへ足を向けた。
僕と高森さんは休憩室を出て廊下を歩いていく。彼女が緊張したままなので、声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「いま私すごい変だったよね! だっていきなりで! あぁあ、これまでどうしてたんだっけ……」
「ほどよく肩の力が抜けて、あっけらかんとしてましたね」
「そんなの無理だよ~。仕事はおろそかにしないけど、どうしたって津村くんを意識しちゃう」
いつもマイペースな相手が動揺するさまに、僕はつい笑った。
「高森さんって分かりやすい人だったんですね」
「面白がってる場合じゃないよ。こんなんじゃ、周りにすぐ勘づかれてしまう」
「いまから完璧なポーカーフェイスを構築できます?」
「うう、自信のなさしかない……」
僕は笑いを収めて、真面目に言った。
「高森さんが誰にも知られたくないなら、対策を立てないといけませんが」
「津村くんは?」
「知れ渡っても構いません。いつまでも隠し通すのはどのみち難しいでしょう」
戸惑う彼女に、僕はちょっと考えて付け加えた。
「差し出口を挟まれるのはごめんこうむりたいです。けれど互いに大人なので、過干渉してくることはないかと」
「ある程度の噂にはなっちゃうかも……」
「想定の上です」
高森さんはびっくりして、それから肩の緊張をゆるめた。
「会社で津村くんを避けまくるべきかと思った」
「いやいや、同じ課の仲間ですから」
「でも……うまく振る舞えそうになくて」
「いいじゃないですか、それで。高森さんの態度がまったく変わらなかったら、僕は不安になると思います」
「えっ、どうして?」
「なんせ今日の今日ですし。『一夜かぎりの関係』と切り捨てられたら、それを否定する材料がありません」
高森さんが納得の表情になった。
「つまり、こんなふうにあわあわしてる私に、きみを弄ぶ真似はできない、と安堵する?」
僕はくっと笑ってしまった。
「ですね」
「なんか複雑だ……」
「高森さんは十年後でもあわあわすると思います」
「失礼な! そんなの分からないじゃないか!」
「じゃあ、ちょっとやそっとでは動じない女性になっていますか?」
「意地の悪い質問だな! 想像できないね!」
高森さんは、はぁっと息をついて肩を落とした。
彼女の喜怒哀楽がはっきりしているところは、人の気持ちを察することが苦手な僕にとって、ありがたいのだ。
「高森さんの素直な反応にほっとします。ほんとうにカレシになったんだと実感できるので」
彼女は頬を染めたあと、こくっとうなずいた。
「昨日までの私たちに言っても、きっと信じないね」
「ええ、よもや『フライドチキンが食べたい』の一言で人生が変わるなんて」
「きっかけはそうだけど!」
高森さんはやれやれと苦笑した。
「背伸びしてないところは私らしかったかも」
そんな彼女でいてくれたからこそ、こちらも素直に振る舞えたのだろう。その相手がふふっと笑う。
「津村くんのやさしい空気は居心地がいい」
「……そういうことを言われると――」
「うん?」
「タガが外れそうになります。会社なのに」
すると高森さんは真っ赤になって言葉に詰まった。僕はすこしだけやり返す。
「暴走させないでください、いまは」
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