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5.
特別な準備など必要ないという天行の言葉に従い、柴本はそのまま目的地へと向かった。
柴本とわたしが暮らす家から車でだいたい20分あまり。河都市弓取区岩降町にある鉄筋コンクリート3階建ての集合住宅。
40年以上昔に建てられたと思しきその建物は、外壁は汚れたまま放置され、窓という窓には木の板が打ち付けてあった。
「ささ、こちらで御座いますン♡」
僧形の男に案内されるまま、伸び放題の雑草を踏み越えながら敷地内を進んでゆく。
「では、どうぞ♡」
102号室と記されたドアを開け、入るように促された柴本は
「あ、おれから入るんですね」
「ええ♡ 危険手当も含めた額ですので♡ あ、中は汚れているので靴は脱がなくて結構ですン♡」
報酬について言及されれば何も言えず、観念してドアの中へと入った。
窓という窓に板きれが打ち付けられた室内は真っ暗だった。血や肉、あるいは何やら汚物の類が混じり、それらが腐ったような饐えた臭いが鼻をついた。
残暑厳しい8月末である。莫大な報酬に目が眩んだことを心底から悔いた柴本だったが、既に手遅れだった。
「うぇっ、何だこれ」
鼻を押さえて入ってくる量を調整しながら、臭いを嗅ぎ分けるよう試みる。
吐き気を催すような悪臭に混じって、微かに感情が動く匂い――憎しみや怒りに似ていた――を捉えた。
それが何なのかを考えようとしたとき、後ろでカチャリと音がした。
「なんだ?」
振り向くと、ドアが閉まっていた。
「おいおい、冗談キツいぜ」
開けようとしたところで、ドアノブそのものがないことに気がついた。
内側から開けられないように取り外され、鍵もまた中から開けられないように細工が施されている。
「ウッフッフッフッフッフッフッフ♡」
ドアの向こうからは、心底嬉しそうな依頼人の笑い声。
「なぁおい、ヘンな冗談はよして、開けてくれよ」
「ご心配なく♡ 儀式が完了したら開けます故♡ ではまたウッフッフッフッフ♡」
「待ちやがれテメェっ! くそっ!」
遠ざかってゆく雪駄履きの足音に、柴本は歯がみした。
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