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「じゃ、今勉強している本とかノートを持って来て。仕事が終わってから、ここで教えるから」
「えっ、ここで?」
「ん? ここじゃ嫌なら、ファミレス行くか?」
「いや、あの、私の家ではダメですか?」
「あぁ……家ね。内山、本当に教えて欲しいなら俺はいつでも教えてやる。だけど家には行かない」
「……すみません」
「簡単にそうやって男を部屋に誘うな。お前、可愛いのに、もったいない」
「えっ、先輩、今……なんて?」
「え? あぁ、簡単に男を」
「いや、そのあと」
「お前、可愛いのに、もったいない」
「私の事、可愛いって思ってくれているんですか?」
「えっ? あぁ……まぁ…」
「ふふっ、ありがとうございます!」
「お、おぅ…」
夏哉が怒ったはずなのに、内山はニヤニヤしたりルンルン気分で鼻歌を歌ったりしている。
(さっきは泣きそうになっていたのに、一瞬で笑顔かよ。女って分かんねぇ…)
2人で食事をした後、コーヒーを飲みながら話していた時、休憩室に桃井が入って来た。
(内見から帰って来たのか…)
夏哉が桃井に話しかけてみると「あ、うん」と素っ気なく返事をした。
派閥が出来、2人で話す事が減ってきた頃から、夏哉が普通に話しかけても桃井は言葉少なく素っ気ない返事をするようになった。どうしてそんな返事をするのか尋ねると、桃井と口論になってしまい、それから2人で話す事はなくなった。
だけど夏哉にはどうしても桃井に話したい事があり、休憩が終わりそうな時、内山を先に戻らせ夏哉は思い切って、桃井が座るテーブルに片手をつき、顔を覗き込んで話しかけた。
(優しく、ゆっくり、喧嘩にならないように…)
「でも俺は、久利生さんの事、気に入らないんだけど?」
冗談ぽく本音を混ぜて言うと、桃井は顔を上げ夏哉を見つめる。
(久しぶりに見た。桃井の目……)
「なぁ桃井、ほんとのところどうなんだ? 内見って、ほんとに部屋を見てるだけか?」
夏哉は久利生が桃井を誘ったり、触れたりしているのではないか心配でそう尋ねた。だけどそれが桃井に火をつけ、目つきを鋭くしてニラみ答える。
「は? どういう意味?」
そこからは口論のようになってしまい、桃井を食事に誘い話そうと思っていた事も、結局断られてしまう。
桃井に逃げられ店頭に戻ると、桃井は笑顔で久坂と仲良くパソコンの画面を見て話している。
(俺にはあんな笑顔見せなくなったのに……どうしよう。桃井に話しておかないといけないのに…)
数日前、マネージャーから呼ばれ夏哉は『辞令』を受けたのだ。来年の4月、夏哉は営業2課から営業1課へ異動する事になった。その事を同期の桃井に話しておきたかったのだ。
(宅建の試験は10月。異動にはまだ時間はある。どうにか桃井に話をしてから行きたい…)
桃井と話が出来ないまま営業1課に異動すれば、2人の関係は完全に切れてしまう。派閥争いはなくなるけれど、桃井と夏哉の関係は戻る事なく切れるだけだ。それはどうしても避けたかった。桃井への想いまで諦めるつもりはない。
(やっぱりもう一度、帰りに誘ってみよう)
そう決意し、夏哉は残りの時間、仕事に集中した。
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