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修了式が終わった後、湯瀬と私だけ体育館の片付けをさせられている。
湯瀬は先生が座っていたパイプ椅子をたたみ、ステージの下に閉まっている。私はステージのスピーチ台を袖に押し込む。
「ねぇ、お花見行こうよー」
「行かない」
「クラス皆来るって」
「俺は行かない」
「昨日まで行くって言ったじゃーん」
それを聞いて私も行こうって決めてたのに、今日になって行かないと言い出した。こいつは「行けない」ではなく「行かない」のだ。しかも私に言うな。自分で沙耶佳に言え!
体育館には「行こうよ!」と「行かない」が交互に響き、床に落ちては消える。この言い合いを修了式中にしていたから、片付けをさせられているわけだけど、湯瀬と一緒ならどうでもいい。
片付けを終えて体育館の鍵を閉めて、教官室に鍵を返して、教室に戻るまで彼が逃げないように学ランを掴んでいた。
教室に誰かしら残ってると思ったけど、誰もいなくて、全員土手に向かったようだった。
黒板には落書きがびっしりされていて、端の方に沙耶佳の字で「湯瀬と陽菜ちゃんは早く来るように!」と書かれている。そのさらに端には明らかに男子の字で「不純異性交際禁止」とあったので消した。
湯瀬は言いつけを嫌々守る猫のような顔をして、隙あらば帰りたそうにスマホをいじっている。教室には湯瀬と私だけ。
「今日でクラス最後だよ?」
「別に学校が終わるわけじゃないんだから、3年になっても会えるだろ」
「そういうことじゃないの」
私のことを待っている湯瀬が可愛くて、支度は整ってるけど、整ってないフリをした。沙耶佳から「何時頃来れそう?」とLINEが来たので、「そろそろ学校出る!」と返した。
湯瀬は「トイレ」と言い残して教室を出た。
リュックを背負って待っていると、またLINEがくる。今度は湯瀬からカエルの絵文字だけ。
帰るじゃねーよ!
荷物だけ教室に置いて行かせればよかった。てか、一緒にトイレ行けばよかった!
下駄箱に続く長廊下に出ると、湯瀬がテクテク歩いているところを発見した。
「ねぇ、おねがいー!絶対に連れてきてって頼まれてるの!」
「無理な頼みは引き受けない方がいいよ」
アニメのワンシーンみたいに手をひらひらさせるな!
マイペースに歩く湯瀬に追いついてリュックを掴んだ。
「湯瀬っ!!!」
「分かったよ」
「なにが分かったの!」
「行くよ」
「え?ほんとに?!」
「え、行かなくていいの?」
「来て!」
急いでローファーに足を突っ込んで、湯瀬を引っ張って下駄箱を出ると、陽は傾いていて、夕焼けは澄んだ青空とグラデーションを描いている。冬の寒さはどこにもなく、日中の湿った陽気が漂い、もう3月であることを思い出させた。足元には桜の花びらが散らばり、春風がコロコロ遊んでいる。
土手に行く途中でコンビニに寄りたいと言い出し、皆で食べられそうなお菓子とジュースを選んでくれと頼んできた。社交性が無さそうな接し方を私にはするくせに、皆には社交性を発揮する。中学から思ってたけどこいつは意図的なツンデレをする。
個装のお菓子とオレンジジュースを2個ずつ選んで、湯瀬のかごに入れた。湯瀬も適当にお菓子をカゴに突っ込むと無言のまま一人で会計しようとする。
「割り勘ね」と言うと、「後でもらう」とあしらわれた。絶対にもらってくれないので、1000円札を学ランにこっそり入れてやった。
橋に着くと、土手沿いに並ぶ桜は満開で、後先考えず全力で咲いているよう見えた。
河川敷では2年5組がブルーシートを広げ、お菓子を食べ、笑い声をあげている。ブルーシートから離れたところで脱いだ男子がペットボトルを振り回して遊んでいる。
「湯瀬連れてきたよーー!」って手を振って叫びたかったけど、2人で歩いているところを見られるのは恥ずかしいので、開きかけた口をぎゅっと押さえ込んだ。
土手を降りようとしたとき、沙耶佳がこちらに気づいて手を振ってくれて、クラスの皆もこちらに気づき、「ゆぜーーー!おせーー!」と叫ぶ男子もいた。
結局皆に見られてしまった。湯瀬は階段を一段抜かしで早々と降りて行く。もう少しゆっくり歩いてくれてもいいじゃん。まぁそれでもいいんですけどね。付き合ってないから。
沙耶佳がモグモグしながら斜面を上ってくる。
「遅くなってごめんね。湯瀬が動かなくて」
「二次会もあるから全然大丈夫」
「二次会?」
先に行ってたはずの湯瀬が会話に入ってきた。
「18時からお好み焼き屋でご飯食べるの。聞いてない?」
「あるようなことは聞いたけど」
明らかに口ごもる湯瀬はかわいい。
「そのお店全員入れるの?」
なんだその質問。
「そうだよ」
「すげー。さすが体育祭も文化祭の打ち上げも完璧だったもんな」
沙耶佳を誉めるとは裏腹に、「二次会なんて聞いてない」という目をじっと向けてきたので、「言ってないもん」と眉を上げて見返した。
全員揃ったんだから乾杯しようぜ!とワイシャツを脱いで汗まみれの爽太が沙耶佳に提案した。
乾杯から1時間が経った頃、湯瀬が私の隣に来た。
不用意に顔を近づけてくるので、ドキドキしてしまう。
「どうしたの?」
「告白イベント来る」
「え!?」
「一人だけ聞こえる。だいぶ迷ってるけど多分ここでする」
「男子?女子?」
そう聞くと視線で教えてくれた。
沙耶佳だ。落ち着かずに、コップを持っては置いて、持っては置いてを繰り返して、全然飲んでない。
そのせいで私の緊張も強くなる。
真横にいる湯瀬の顔を見たけど、無表情だった。
去年みたいなことしないよね?皆いるし。
すると沙耶佳の膝元に白い固形物が飛んで来た。
消しゴム?なんで?
「沙耶佳ーーー消しゴム投げてー」
爽太はバカなのか?空いたペットボトルと消ゴムで野球をしていて、沙耶佳のところに消ゴムを飛ばしたらしい。ソワソワが止まらない彼女と私の身になってほしい。
沙耶佳は駆け寄ってくる爽太に振り向きもせず、消ゴムをたどたどしく掴んだ。
そのとき湯瀬は呟いた。
「今だ」
それが合図かのように沙耶佳が爽太に向き直り「爽太くん!」と声を出した。彼女の声量は緊張で上手く制御できておらず、大きいけど小さく震えていて、クラス全員は沙耶佳の声に驚いた。
湯瀬が私の手を静かに握ると、沙耶佳は両手で爽太の手を握る。
告白だと勘づいた人は口を押さえたり、友達と抱き合ったり、男子に至ってはあんぐりしている。
私たちはこの花見の死角にいる。皆の注意が沙耶佳と爽太に引き付けられるほど、私は湯瀬と二人きりになる。
そして耳元で囁く湯瀬と遠くの沙耶佳の声が綺麗に重なる。
「好きです。付き合ってください」
二次会
花見は大盛り上がりのまま、クラス皆でお好み焼き屋に場所を移した。爽太と沙耶佳は同じテーブルに座っている。私と湯瀬は対角線のテーブルに座っている。どうしても湯瀬の方を見てしまう。
これまでに2回やられた。1回目は中3の卒業式、2回目は去年だ。
1回目は告白を陰から見守っていてほしいと佑衣に言われたので、非常階段の3階から桜の下にいる佑衣を見ていたら、偶然湯瀬が非常階段を下ってきて、私の横で一緒に見守った。「静かにできる?」と言い出すので何かと思ったら、私の手を握ってきた。きっと神ですら予想できない。だから、記憶もほぼ残っていない。でも、湯瀬から告白されたことは覚えている。具体的に何て言われたか覚えていないけど。「終わったよ」と湯瀬に言われるまで気絶していたかもしれない。そう思えるほど、その一部始終を思い出せない。佑衣の方を見ると先輩に抱き締められていた。
湯瀬は「じゃ」と言って非常階段を昇っていき、私はほぼ放心状態で取り残された。
去年も似たような感じで、佳奈が卒業生の先輩に告白するときだった。彼女はその先輩と同じ部活なので、毎日ように話すようにしていたが、それが逆効果となり異性として見られていないと嘆いていた。それでも告白を決行した。
桜の下に呼び出されたその先輩は第2ボタンはおろか、袖のボタンすらなかった。もともと人気のある先輩だったから仕方ないにしても、佳奈は後ろから見ても分かるくらい背中が落胆していて、なんとか立っている状態だった。私だったら泣き崩れている。
ここで湯瀬が偶然にも通りかかる。私は彼と距離をとった。
「負け戦じゃん」
「負け戦でも戦うってあの子が決めたの。私は見届ける」
「そっか」
いきなり私の手を握られた。
「ゆ、ゆぜ!?」
咄嗟に出た大きい声に自分でもびっくりしてしまい、バレてないか佳奈の方を見た。彼女は先輩の手を両手で握り、それを胸元に引き寄せている。
桜が見えなくなるくらい湯瀬が目の前にいて、佳奈と先輩の距離も近い。
湯瀬と佳奈の声が重なる。
「大好きです。付き合ってください」
それだけ言って湯瀬の手が私から離れ、佳奈のことを見届けることなく、帰ろうとしていた。
リュックを掴み、今度は逃さない。
「今のなに?」
「なに?って告白だよ」
「そうじゃなくて!」
「桜の下だとある程度操作できる」
「ソウサ?」
「佳奈ちゃんこっち来るよ」
振り向くと、佳奈が先輩に「ちょっと待っててください」と言って自分のリュックを持たせていた。湯瀬を掴んでいる手を緩めてしまった瞬間、湯瀬は柵を乗り越えて、他人のようにスタスタ歩いていく。
「待って!!」と呼び止めようしたら、佳奈が走ってきて「陽菜ーー!ありがとー!!」と抱きつかれた。
その夜、佳奈から電話がかかってきて、今日の告白を感謝された。話の成り行きで湯瀬が言っていた「操作」を少なくとも半分くらいは信じることになった。
「身体が自然に動いて先輩の手握ってた」
「パニックってわけじゃなかったんだよね」
「先輩の手を握れるのはこの瞬間しかないって思って」
「私こんなことまでできちゃっていいの!?ってびっくりした」
夢中になっていたと言われれば、説明がつきそうだけど、夢中になったとしてもそこまで積極的になれるとは思えなかった。
さっき、花見が終わって土手からお好み焼き屋に移動するまでの間、沙耶佳に告白真っ最中の話を聞いてみたけど、佳奈と同じようなことを言っていた。後悔したくないって思いが強くなって、急に勇気が湧いたそうだ。自分でも爽太の手を握るつもりはなかったけど、誰かに自分の手を添えられて誘導された感覚だった。
ここまで聞けば充分だった。
鉄板を見ながらぼーっとしていると。自分の皿にお好み焼きがどんどん重なり、「陽菜?」と声をかけられ意識が戻った。
お好み焼きをつまみながら湯瀬の方を見ると鉄板から上がる煙で目を赤くして、お店から借りたウチワをブンブン扇いで煙を遠ざけようとしている。
今日の告白をどう思っているんだろう。去年と一昨年のことをどう思っているんだろう。
彼が人を操れてしまうことはかなりどうでもよかった。本当の告白ではないにしても、2回も告白されて、そのダメ押しで今日も告白されて、平気でいられるわけがない。
正直、1回目の告白から湯瀬のことを意識してしまっている。LINEで告白の返事をしようと思ったくらい意識した。けど、彼のアッサリし過ぎた帰り方に違和感があったので、無かったことにした。
でも2回目のときにキス待ちをしていた自分が嫌いになる。
湯瀬は煙に我慢できなくなって、目を真っ赤にしてむせながら店を出た。私もトイレに行くフリをして店を出た。
お好み焼き屋は個人経営で住宅街のど真ん中にある。賑やかなのは店内だけだ。3台だけ停められる駐車場には、桜の木が1本あってこれも満開だ。
湯瀬は桜の下にいて、肺に混入した煙を春の夜風と入れ換えるように深呼吸をしていた。私は桜の下に入らないよう、車止めのブロックに座った。
「つらそうだね」
「あの席おかしいだろ。煙が全部俺に来たぞ」
「目薬あるよ」
「ありがとう」
湯瀬に手渡して、定位置に戻る。
「桜の話さ、本当なんだね」
「なにが?」
「人の考えてることが分かったり、動かせること。沙耶佳からさっきのこと聞いた」
「完全にではないけど」
「私の考えてること分かる?」
「こっちに来れば分かると思う」
「じゃあ行かない」
お好み焼き屋からは賑やかな声が漏れ出して宙に消えていく。
「桜の話さ」
「同じ話しようとしてる?」
「違うよ。湯瀬の特殊能力が本当かどうかは私にとってどうでもいいんだ」
「どうでもいいの!?」
少し驚く湯瀬に私が驚いてしまった
「ど、どうでもよくないけど、なんちゃって告白を3回もされてる私にとっては割りとどうでもいい」
「へぇ」
「へぇじゃないよ!私がどれだけモヤモヤしてるか分からないでしょ」
「こっちに来てくれれば分かる」
「そういうこと言ってんじゃないの!」
彼はアスファルトに落ちた花びらをつまんで積み重ねている。
「俺さぁ、中3のとき田中祐衣のこと好きだったんだよね。去年一緒だった杉浦佳奈のことも」
衝撃の告白だった。そもそも湯瀬は好きな人なんていないと思っていたし、祐衣のことも佳奈のことも操作して告白を成功させていたからだ。
「でも、二組とも別れたじゃん?」
確かに祐衣は3カ月くらいで別れたと聞いたし、佳奈は先輩がサークルの飲み会に行き過ぎるのが耐えられなくて別れたと言っていた。
「別れるんだったら、使わなくてよかったなって思って。あのまま失敗すればよかったんだ」
「湯瀬が何もしなきゃフラれてた?」
「五分五分かな」
「何もしなきゃよかったじゃん」
「好きな人が泣くのを見たくない。桜なんて嫌いだよ。桜がなければ、浮き足だった気持ちにさせないだろ?よくよく考えると桜の下で告白しようだなんて考える奴が嫌いかもしれない」
湯瀬は大きい溜息をついた。
「もしかして沙耶佳のことも好きだった?」
「あれは好きじゃない」
「今は好きな人いるの?」
いるなら少しはこのモヤモヤも救われるし、いないならこのモヤモヤはなくなる。
「あーー」
私の顔を見ながら考えている。ん?にやにやもしてる?ぼんやりと眺められているのは分かるけど暗くてよくわからない。
「いるわけではない」
「そっか」
「でもいないわけでもない」
こいつ!
私は立ち上がってアスファルトを踏みつけるようにして湯瀬にズンズン歩いて行った。桜の下に入ろうが関係ない。
「怒ってる」
「怒ってない」
「いや、怒ってる」
座ってる湯瀬の手を引っ張って立ち上がらせた。
「急になんだよ!操作されてる?」
「されてる。私の意思じゃない」
私の正面に湯瀬を立たせて、彼の首に両腕を滑らせた。YouTubeのおすすめに出てきたキャバ嬢系YouTuberが言ってた。これをやっておけば大抵の男は落ちる。
目が泳いでいる。可愛い。湯瀬の身体に私の身体をくっつけた。
黒板に書いてあった落書きを思い出す。不純異性交際禁止。異性だろうが同姓だろうが恋愛なんてだいたい不純だ。
「好きだよ」
でも、断られる前に言っておくのだ。
「ごめん、これ練習だから気にしないで」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「陽菜の心はそう言ってない」
「内心が全てとは限らない」
湯瀬深く溜め息をついて、回していた腕をほどかれた。
「桜から出よう。もう嫌いだよこんな花」
家に帰ると湯瀬からLINEが来ていた。
「どさくさに紛れて1000円返さないでくれる?」
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