きっとこの先には絶望しかない

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きっとこの先には絶望しかない

「ちょっと意外です、オーナーでも接客するんですね」  (とき)という男の傍に中音域の甘い声が近づいてくる。ダクトレールを走る灯に照らされた横顔。くっきりした鼻筋が通り、少し下がった目尻。涙袋。色白。美形ぶりがエグい。  ──これだけ美人だと、人生、物事思い通りでしょうなぁ。  単純に綺麗という思いと、自己肯定感の低い常に自虐的な怜の捻くれた感想が入り混じる。  (つち)を打つ手元を横から覗き込み、「ゆーて、店長と共同経営だけどね」と答えた。  ここ〈そら船〉はシルバーのオーダーメイド専門で、元は怜の父親の工房兼店舗だった。更にゴッド・ファーザー的な存在の祖父がおり、すぐ側に銀器の専門店を構えている。実家の門桐(かどきり)家は代々様々な製作業を営む家系(ファミリー)だ。    怜は細工職人として勤務していて、職人(スタッフ)全員接客から製作まで担当する。  長く鎚起(ついき)作家の大叔父の元にいたため、怜の金属の扱いは店随一で、スタッフからもいち目置かれる存在ではあった。  一方で接客は半年経っても空回り気味だ。自分から引き受けたはずが、ストレスで手の甲に痒みを感じている。強く引っ掻き、血が滲む。気持ちが落ち着くまで手が止められない。 「ああやっぱり向いてねえ」  麦茶を飲み干し、怜は首に巻いたタオルで汗を拭う。 夏物の半袖ツナギの背中も汗で変色している。冷房の効いてるはずの店内で汗だくの姿は周囲には異様に映っていた。 「どうして?」 「説明は下手くそだし絵は下手だし字は汚いし見た目悪いしデキる店長に任せてもういっそ廃業してえ」 「ええっ。見た目て? なんで?」  人生思い通りの人間が何を言っても説得力ゼロだと、怜は適当に相槌をうって目を背けた。  ワークショップが終わっても、栗毛の男は動く気配がない。怜に軽く寄りかかる体勢でハミングしている。もう居た堪れずその場から逃げたかった。  立ちあがろうとした怜の腕を、強い力が引き留める。 「今夜、クレーンの見えるデッキで、待ってますから」  優しい瞳で、ひとを近づけないための深謀遠慮を簡単に超えてくる。 「いや、そういうのはヤバいし……」  小声で返し、怜はキョロキョロした。『男を誘う男の言葉』だ。  ぱっと見そうは見えないかもしれないが、警戒するに越したことはない。  男の白いTシャツの上からでもわかる、強い背筋。振り向いた、綺麗な笑顔。静かに生きてきた怜は眩みそうになりながら、追い続けずにはいられない。残光。残香。  絶望がこの先にあっても、たとえ引き摺り回されても、ひと筋の希望とともに受け入れてしまう予感。  怜は背を向けて、自室の階段を駆け上がった。
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