第十章 戦いの終わり

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◆◆◆ 「先生、どうだった?」  読み終わったことを伝えると、放課後になってすぐに平くんが国語準備室を訪ねて来た。 「うーん、なんて言えばいいかなあ」 「ちょっと分かりにくかったかな?」  不安気に言って、平くんが緊張を隠すように唇をなめる。 「そんなことないよ。私はとっても面白いと思ったけどなあ」 「ほんとに!?」  元気いっぱいの平くんにうなずいて良かった点をいくつかあげ、更に彼が傷つかないように細心の注意を払いながら分かりづらかったところや設定の矛盾点を伝えた。 「なるほど、言い回しも色々と考えてみます。あと、確かにイルゼがダークモンスターなのに昼でも動けるのはおかしいですね。なんか設定を考えます。さすが先生!」  平くんは熱心にうなずきながら、表紙に『シン・ネタ帳』と書かれたメモ帳に私の感想を書いていく。  できるだけ慎重に伝えたとはいえ、平くんは指摘された箇所を欠点ではなく改善の余地だとしっかり受け止めてくれたようだ。彼と同じ年の頃、恥ずかしさに加えて否定される恐怖から書いていた小説を誰かに読んでもらう勇気はとてもじゃないけれど私にはなかったから、単純に尊敬に値する性格だなと思った。 「大丈夫? 落ち込んでない?」 「え、なんでですか?」  平くんが目を丸くして聞き返してくる。 「小説を人に読ませるだけでも恥ずかしいのに、悪いところを言われたら落ち込んじゃったりしないかなあって」  私には昔から語尾を伸ばして次の言葉を考える癖があるけれど、いつも以上に慎重に言葉を選んだ。 「人に読ませるのって、恥ずかしいことなんですか?」 「普通はそうなんじゃないかなあ?」 「そうなんだ。『人に小説を読ませるのは恥ずかしい』っと」  参考にならない私の言葉をメモした平くんが、 「でも、書いたら読んでほしくないですか?」  と、首を傾げた。 「読んでほしい、のかなあ……?」 「よく分からないからいいや。それより先生もさっき言ってたけど、やっぱりイルゼはいい感じのキャラですよね?」  私とは根本的に考え方が違うらしい平くんにつくづく感心していたら、突然イルゼ・ナントカカントカちゃんの話を振られて焦る。 「私はライザちゃんがいちばん好きかも。イルゼちゃんとライザちゃんの関係性も考えられてるし、本当にすごいと思ったなあ」 「さすが先生! あんまり上手く書けなかったけど、ライザのラストは泣けると思うんですよ」  平くんの言うとおり、ライザちゃんの最期は胸に来るものがあった。拙い表現ではあったけれど、ライザちゃんにああいうエモーショナルな結末を用意できるところに平くんの創作センスを感じる。 「まあでも、書いていない章をちゃんと埋めていけば、もっと良い小説になるんじゃないかなあ」 「うーん……」  眉間にしわを寄せながらペンで頭を掻く平くん。 「なにか不安?」 「アイディアはいっぱいあるんですけど、どうやって書いたらちゃんとつながるのか分からないや」 「難しいよねえ。私は国語の先生だけど小説の先生じゃないから、具体的にどうやって書けばいいのかはよく分からないしなあ」 「そっかー」  平くんは、具体的なアドバイスができない私に失望してしまっただろうか? 「じゃあ、正直に言ってもいいかなあ?」 「はい!」  咄嗟にシン・ネタ帳の上にペン先を置く平くん。  第十章の最後の一行は削除したほうがいいのではないかと言おうとして、思いとどまる。あそこは「おれたちの戦いはこれからだ!」というセリフで終わったほうがキレイだとは思うけれど、平くんにとってはイルゼちゃんの「うん!」というリアクションで終わったほうがキレイなのかもしれない。  今は文章の体裁を整える技術よりも「書きたい」という意欲のほうを尊重すべきだ。不格好だからこそ、良い場合もある。まずは歯抜けとは言え小説を書き上げたことを褒めるのが、教師としての私の役目だ。 「……メモはしなくてもいいよ。アドバイスじゃないからさあ」 「おれ先生のことを尊敬してるから、なんでもメモします」  意外なことを言われて、戸惑う。平くんは、まだまだ教師としては半人前の私をちゃんとした大人として信頼してくれている。 「最後まで書き上げたのは凄いことだよ。普通は途中で諦めちゃうからねえ」 「へえ、なんでですか?」  なぜだろう? 考えたこともなかった。  多分、こういうことだ。書き始めた段階では結末への道筋には無限の可能性がある。書き上げるという行為は、結末に至る無限の道筋の中から自分が正しいと思うたったひとつの道を選択していくことなのだろう。「本当にこれでいいのか? もっと良い結末があるんじゃないか?」という自問自答に打ち勝てるだけの結末を選択するには、並大抵ではない精神力が必要なのだと思う。 「結末まで書けたってことは無限の可能性の中からひとつを選んだってことだから、かなあ」 「はあ」  私の気づきを分かっているのかいないのか、平くんが小さくうなずく。 「よく分からないけど、人生と一緒ですね」 「ふふっ、そうだねえ。人生と一緒だねえ」  平くんの背伸びした発言に、私の方が納得させられる。 「とにかくさあ、平くんには面白い物語を考えられる才能があると思うなあ」 「もっと面白くなるようにいろいろ考えてみます」 「うん。また読ませてねえ」 「はい」  満面の笑みを浮かべる平くんを見て、希望に満ち溢れた顔ってこういうのを言うんだろうなと思った。 「青春だねえ。楽しそうで、ちょっとうらやましいなあ」  ふと、本音が出てしまう。 「先生は今、楽しくないんですか?」 「そういうわけじゃないけど。もう二十四歳だし、なんて」 「……おれの婆ちゃん、英会話教室に行き始めたんですよ」  シン・ネタ帳を閉じた平くんが関係ない話をはじめた。 「母ちゃんはそれが気に入らないみたいで、もうすぐ七十歳なのに英語が話せるようになったからってなんの意味があるんだって言ったんです」 「へえ」 「ばあちゃん、なんて言い返したと思います?」 「うーん、なんだろうねえ」 「英語が話せても話せなくても七十歳にはなるんだよって」 「へえ、すごいねえ」  平くんの性格はきっとおばあちゃん譲りなのだろう。 「だから、歳とかべつに関係ないですよ」  どうやら励まされているらしい。  でも確かに平くんの言うとおりだ。もう二十四歳だと思っていたけれど、まだ二十四歳。教師としては半人前でまだまだ人から教わることの方が多い。今日だって平くんから色々と教わった。  ちなみに、平くんは本当にヤミヲカルモノで本当に私を救ってくれたのかもしれない、なんてことを私は心の中で思った。 「暗いことばかり考えていたら、ダークモンスターのエサにされちゃうねえ。よし、ポジティブに生きよう!」 「そうですよ、先生」  平くんが私をまっすぐに見つめて言った。 「おれたちの戦いはこれからだ!」  私は笑いながらうなずいて「うん!」と言った。
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