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欲しいものはなんでもあげたし、病気にもならないように定期的に医者を寄越した。それに」
フラットに写真を見せられる。
ソフィア様は楽しそうに牛の世話や水やり、花を摘んでいた。
小さな子供と走っている写真もあった。
「この老夫婦が毎日お世話をしていた」
足から力が抜け膝をついた。
なんてことだ。あっけなく俺の目標は絶たれた。
ソフィア様は最後に何を思ったのだろう。
「せめて葬式に行かせてくれ」
声を絞り出した。
「駄目だ。君は捕虜の身だ。
葬式には老夫婦とソフィアと関係のあった数人で執り行う。ほら、帰るよ」
このまま逃げる手もあった。
フラットは馬に乗りつつ、俺のことを拘束して連れ帰るなんて出来ない。
でも、もう俺には何もない。脅しも何も効かない。
帰る場所もない。
騎士になることを決めてから、故郷はとっくの昔に捨てた。
俺は黙ったまま家路についた。
部屋のシャンデリアがやけに眩しくてご飯も食べず布団に潜り込んだ。
「おーい、リード」
何度か俺を呼ぶフラットの声が聞こえていた。
そのまま何時間考えていたのだろう。
奇妙な音が直ぐ側でして布団から顔を出すと、気付けば辺りは真っ暗になっていた。
自分の腹の虫の音で夢から覚めるとは。
失意の底でも喉の渇きは感じるんだな。
「このまま飲まず食わずでいるつもりかい」
静かな部屋に深海のような優しく水のような冷たい声が響いた。
「死んだかと思った」
俺の頬は何故か濡れていた。
騎士になってから休みなどなかった。
こんなにゆっくりと布団の中から動かない日々など存在しなかった。
「相当やられてるな」
自嘲的な笑みを浮かべていただろう。
ここのところ色々なことがありすぎた。
「本当は慕っていた王やソフィア様がいなくなって俺はどうしたらいいか」
「もう忘れてしまえよ」
暗闇の中でフラットは優しく俺を抱きしめた。
彼の肩越しの傍のテーブルにはパンと水が置いてあった。
そんなに簡単に忘れられたのならどれほどいいか。
せめてソフィア様のお墓に行きたい。
そこできっぱりと未練を断ち切りたい。
これからは何か生きる意味を探していこう。
フラットは俺の濡れた頬を拭った。
翌日の早朝、俺は老夫婦の写真を手に取り街を回った。
普段は鎧や王家に従える人の着る少し豪華な装飾の服を着ているため、私服姿の俺を見ても気づく人などいない。
目深に帽子を被る。
端から家やお店をまわっていくも、どこも的外れだった。
何度か女性に声をかけられた。
その目は熱っぽく、今まで生まれてからほとんど男だらけのところにいた俺には奇妙な感じがした。
少し行ったところに市場があった。
賑やかで美味しそうなものが並んでいる。
すぐそこにいた果実を売っている店主に声をかけた。
「すみません。人探しをしているのですが、この人知らないですか」
「あぁ、町外れの小屋に住んでいるニックス夫妻だね」
やっと知り合いに行き着いた興奮を抑えつつ、出来るだけにこやかに話しかけた。
「本当ですか」
「行き方は、ここをまっすぐ行くと左右に道が分かれる。
そこを右に曲がってずっと行くとそこで牧場と畑をやっている。ニックスさんに随分と若いお客さんだな。
ニックスさんは愛情込めて育てているから、牛乳はこの辺りでは彼に敵うほどの美味しいところはない。
良かったら俺のとこで野菜でも買って行かないか。
ここのは今朝採ったばかりで新鮮で美味しいぞ。
特にこのトマトなんか色が綺麗だろう」
「ええ、とても美味しそうですね」
「手土産にはこの苺が喜ばれるんだよ。
この立派なかぼちゃも美味しいスープが作れる」
「では、その苺を頂けますか」
俺は買うはずのなかった苺を受け取った。
ニックス夫妻に手ぶらで向かうのも気が引ける。
俺の手元を見て笑っていた。
「その花束は…やるねぇ兄ちゃん。気をつけてな」
俺は言われたとおりに道沿いを歩いた。
町から外れて段々と建物も少なくなってきた。
大きく柵に囲まれたレンガの家を見つけた。
声をかける訳にも誰もおらず、門を開くと扉の前まで歩いた。
怪訝に思われないだろうか。
息を整えてノックをした。物音一つしない。
不在だったか。花を置いていく訳にもいかず、少し裏にまわってみた。
そこには小さな心ばかりの石像があった。
よく見ると「ソフィア」と彫ってあった。
金縛りにあったようにその場に立ち尽くした。
やっぱりここだったのか。頭が真っ白になった。
ずっと会いたかった人とこんな形で再開するなんて。
身体の力が抜け、跪いた。
俺はそっと花束を供えた。
「どなたかね」
背後から声をかけられ、振り返ると老人がこちらを見ていた。
「突然申し訳ありません。私はリードといいます。
ノックをしたのですがいらっしゃらなかったので、こちらにまわってきたのです。御無礼をお許し下さい」
「いえ。構いませんよ。何か御用かな」
老人は写真の通りにこやかに微笑んだ。
すると老人の背後から女性が顔を覗かせた。
「ねぇ、あなたチーズが上手く出来たのよ。
明日の市場に出そうかしら。あら、お客さん?」
写真で見たニックス夫人だった。
こんな優しそうな人達の中でのびのびと過ごせていたのだろうか。ソフィア様の最期は幸せだったのだろう。
馬小屋から喋り声がした。
馬小屋を覗くと、馬の世話をする少女がいた。
「いい子だね。大きく育つんだよ。ほらほら沢山お食べ」
愛おしそうに子供の馬を撫でている。その顔に見覚えがあった。
「ソ…ソフィア様」
少女は顔を上げた。その顔には驚きの色が出ていた。
「あなたリードね。なんでここに」
俺は思わず膝をついていた。
「ソフィア様にずっと会いたかったです。ご無事でよかった」
「本当にひどい目にあったわ。
あの日は橋の下で一晩過ごしたの。
お腹が空いて喉が渇いて、どうしようも無くなって出てきたら捕まったのよ。
それでここのニックスさんのところに連れてこられて、匿ってもらったの。
匿ってもらっている身だから、誰にも知られてないと思ったのにあなたはなぜ私がここにいると分かったの。
…もしかして、あのフラットっていう騎士から聞いたのかしら」
「ええ、そうです」
彼女は一瞬、顔を曇らせた。
「殺されたくなかったら静かに元上司のもとで暮らすようにって脅したのよ」
そのむくれた顔も懐かしい。
ソフィア様との交流はそれほど多くないけれど、俺は王に仕えていて、ずっと見ていた。
「今日は帰るにはもう遅いわ。泊まっていったらどう」
「いえ、悪いです」
「私がいいといってるんだからいいの」
ニックス夫妻はにこやかにこちらを見ていた。
「じゃあ、ここの牧場でとれた新鮮な牛乳でクリームシチューでも作ろうかね。美味しいハムもあるよ」
二人は家の中に入っていった。
こちらを見るソフィア様の瞳が揺れる。
「貴方が生きててよかった」
そう言うと俺を抱きしめた。
「もう誰もいないの。貴方も死んだと思っていたわ」
初めてソフィア様の背中に手を回した。
「私も再会出来て嬉しいです。お伝えしたいことがあります。
チャーチ家に仕えてからずっと貴女のことが好きなのです」
「なっ、何を言っているの。身分をわきまえなさい」
彼女の声が上擦っている。
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