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「許されるなら今夜だけ、一緒にいるのを許して頂けないでしょうか。もう顔を見せることは一生ないと思いますので」
ソフィア様は照れたように笑った。
「そんなこと言わずにまた会いに来て。気分転換になるわ。
この通り誰かが王政奪還しない限り、私はこれからここで一般人として手伝いをしながら暮らすわ。
ねぇ、草の片付けと牛乳搾り手伝ってくれる。
これ結構、力と体力がいるのよ」
仕事を終え家に入ると夕食が出来ていた。
忘れかけていた家族団欒に頬が緩む。
「ところで、あのソフィアってお墓は」
「あぁ、あれは前に飼っていた犬のお墓だよ。
ソフィアって名前で偶然もあるものだな。
私も昔は騎士だったからチャーチ家には仕えていた
んだが、まだ先々代の頃だったからね。
こちらのソフィア様には会ったことがない」
「そうですか」
ほっとしたようなしてないような釈然としない気持ちだ。
「ソフィア様が来てくれて、生活にハリが出た気がするよ」
「私もこんな可愛い孫娘が出来てすごく嬉しいわ」
ニックス夫妻はにっこりと微笑んだ。
本当に良い人の元で生活出来ていて、良かったと心から思った。
夕食を終え暖炉の前で談笑をしていた。
ソフィア様が眠そうに目を擦った。
「そろそろ寝るわ」
「明日、ソフィア様が目覚める前には城へ戻ります。
お別れの挨拶をさせて下さい」
「そう、また来てくれるわよね。おやすみなさい、リード」
ソフィア様が手を伸ばして、頬に軽くキスを落した。
何が起こったか分からないほど俺の頭は真っ白になった。
学生時代はモテなかった訳ではないけど、好きな人には
振り向いて貰えないタイプだった。
フラットもその金髪と生まれ持った美貌が王子様だと大層モテていたが、一度も相手がいたことはない。
「僕は興味がない」とか断っていたっけな。
その日は泊まって早朝に城へ戻った。
「朝帰りなんて関心しないなぁ」
開口一番、フラットはいつも通りだったが少し不機嫌そうだ。
「まさか捕虜の分際で女遊びしてたんじゃないだろうね」
「それより聞きたいことがある」
フラットは俺の方を見た。
「ソフィア様に会わせないように仕組んだんだろ」
「何が」
まだはぐらかすつもりか。俺が鎌をかけていると思っているんだろう。
「だから、ソフィア様に会ってきた。
街の人にニックス夫妻の写真を見せたら、辿り着いたんだ。
ソフィア様はピンピンしていた。なぜ俺を騙した」
フラットはお手上げという風に両手を上げた。
「そこまでもう知っているのか。
あぁ、バレてしまったら仕方ないね。
君のためだよ。前に進めるように足枷を外してあげたんだ。
ソフィアも何もかもなくなれば、君はリザ様に仕えるだろうってね」
フラットは悪びれる様子もない。
でも、何か本質とは違う気がする。
「本当の理由はそれじゃないだろう」
俺は短剣を自分の喉に突きつけた。
「話さないのならこうする」
短剣の先が僅かに首に赤い線を引く。
俺の首から流れる血を眺めていた。
死んだらせっかくの捕虜も元も子もない。
きっとフラットは嫌がるだろう。
「いっそのこと彼女を殺しておけばよかった。
ソフィアに会ってほしくないんだ。
君の気持ちが離れてしまう気がして」
髪の毛で顔が隠れていて表情が見えない。
「きっとリードがうつつを抜かして僕のことなんか考えてくれなくなる」
なんだって。フラットを騎士の育成学校時代からずっと見てきた。だから分かる、これは本気で言っている。
「これは運命だと思ったんだ。
一度は敵国に別れたはずの僕達が再会できるなんて。
君のことを繋ぎ止めておきたかった」
「それでも俺は」
そんな理由か、呆気に取られつつも俺は今の状況を上手く使わない手はないと考えていた。
「僕のことが嫌いになっただろうね」
哀しそうに呟いた。
俺はその言葉を無視して、首に短剣を突きつけて横に引いた。
なるべく血は出ないようにゆっくりと。
「俺にはもう未来はない。
一生ここで過ごすくらいなら死んだほうがましだ」
「何が駄目なんだ。ここには国イチのシェフが作る美味しいご飯と寝床がある。
それに最高級の部屋やベッドだって。
何も不足なんてしていないし、君に労働や何かを無理強いすることもない。一日好きに過ごすといい」
「嫌だ。俺はこんなとこにいたくない」
さらに強く引き、首から生暖かいものが流れるのが感じる。
「僕のことが嫌いでもいいから、生きててくれ。
お願いだ…死なないでくれ、君がいなくなったら僕は」
フラットの瞳から初めて涙が落ちるのが見えた。
膝をつき項垂れた。どんなときも泣かないあいつが。
親が事故で死んだと知ったときも泣かなかった。
「俺のことを精神的にも物理的に縛り付けても、一方的な思いや力による支配は振り向かせることはできない」
こいつは油断ならない。
今までも何度騙されたことか。少し警戒して近づく。
俯いた彼の長い睫毛は朝露のように濡れていた。
彼は顔を上げて俺の方を見た。
「もう一度チャンスをくれ。君の条件は何でも飲む」
俺はため息を付き頷いた。
「俺には何もない。これから生きる意味を考える。
こんなことになった責任を取るつもりがあるなら、
生きる意味を俺が見つけられるまで一緒にいてくれ」
「ありがとう」
ソファに腰掛けそこにあった布で首を押さえて止血する。
「なあ、一つ教えてくれ。
騎士の中で一番身分が高いお前が何で言いなりになって、土下座なんてしてるんだよ。
体術でも成績上位のお前がみすみす殴られてやるなんて」
彼は目を細めた。
「ときにはプライドを捨ててでも、頭を下げないといけないときもあるんだ。
それとその布、王室御用達のシルクで作られた最高級の布だよ。はぁ、信じられない。
君はそういうガサツなところがあるよね。
医務室に行こう。早く手当をしないと」
フラットに着いて医務室に向かった。
ドクターに傷を見てもらっていると、フラットは隣に腰掛けた。
ドクターにどうやったらこんな怪我をするんだと小言を言われ、フラットは横で苦笑いをしていた。
「何か前にもこういうことあったよな」
フラットは顔を上げた。
「何が」
「だから俺が怪我をして医務室に行ったこと。
その時はフラットが包帯を巻いてくれたんだよな」
彼は笑う。
「そんなこともあったね。懐かしいね。
あの時はリードが喧嘩を売って、無茶をして怪我をしたんだっけ。どう見ても体格差で勝てる訳がないのに。
後先考えず動くところは相変わらず変わってないね」
二人とも大人になった。
華奢で殆ど俺とは同じ背丈だったフラットが今は俺を少し見下ろしている。
「違う。正確に言うと、俺は喧嘩を買ってやっただけだ。
キリスト教を崇拝していたリンの前で神を冒涜した。
リンが心から信じていたものを分かっていてあんな風に言い捨てた。だから許せなかったんだ。
元々、すぐに頭に血が上るのは俺の悪いところだけどな。
お前だって変わってないじゃないか」
「僕は変わったよ。昔の僕じゃない。
ねぇ知ってた?僕と君は貴公子と言われていたこと」
「ふぅん、それで」
「君は相変わらずでじゃじゃ馬貴公子、僕は微笑みの貴公子と言われていたらしい。
リードはクールで、僕は心優しいと思われていた。
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