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山にも、海にも、さらには空にも、神獣がいた頃。
魔法属の人間の仕掛けていた魚獲りの網に人魚が偶然かかった。
歌うような聲は伸びやかで耳障りが良く、日々移ろう海の一瞬を切り取った長い髪。艶やかで、動く度に違う色合いを見せる鱗で覆われた尾びれ。人間の心を見透かすような瞳をした美しい顔立ちの人魚に、魔法属の人間たちは魅了された。
金を惜しまない者たちは魔法石を海に落とし、潮の満ち引きを使って人魚を捕らえては高額で売買する。
上半身は人間とはいえ、陸地で呼吸を続けることは難しい人魚たちは、死が近づくと狂ったように謳い続け息絶える。そんな人魚へ気持ちばかりの花を添え、引き潮の夜に海へと流す。そんな行為を繰り返した人間たちに、少しずつ変化が現れだした。
最初は首や脇の下、鼠径部などが大人の拳ほどの大きさまで腫れて痛み、発熱する。ただの熱と痛みならば魔法薬を飲んで寝ていれば治るだろうとベッドで休む。
何日かすると、寒い寒いとうわ言を言い、皮膚が黒ずみぶつけてもいないのにアザが出来て治らない。段々と黒いアザが増えて元々の肌の色が判らなくなったとき、死の神が舞い降りて熱と痛みから人間を救うとされた。
原因は新種の病原菌なのではないかと研究者たちが原因究明をしている間に病は瞬く間に広がる。
最初は人魚の捕獲に関わる人、次に海に近い家の人、ついには人魚の捕獲に関係ない人たちをも殺していく。
人々は、初めこそ恐れることなく、病を題材に滑稽な演劇などを催し楽しんでいたが、医療魔法も薬草も効かない病に対して心から恐れを覚えだした。そんな時、陸に上げられ寿命が尽きるその時まで美しく狂気に謳う人魚を見て、この肉を、鱗を、食べれば、血を飲めば病から逃れられるのではないか。人魚の美しい髪を身につけたら病から身を隠せるのではないかと考えた。迷信だが、人々は人魚を不治の病を治す〝妙薬〟とされていたことを思いだし、信じて獲り始める。
人々は病を恐れ、原因になりそうな者、モノ、物、呪い、行いなどを探しだそうとした。黒魔術を使って誰かが呪いをかけたのではないか、病に倒れた人が出た日から瘴気が街中に蔓延している、などなど様々な噂が流れては、いまひとつ確信を持てずにいたある日。
海に近い場所に住んでいた女が気が触れたように「人魚の呪いだ、これは人魚の呪いだ!」と叫びながら街中を素足で走り回り、足の裏の肉があらわになり、血の混じった砂や泥に汚れて走れなくなった時、森に程近い場所で、黒い血を吐いて死んだ。
きらびやかな装丁を施された分厚い書物に書かれた歴史を紐解き、首を傾げる。
「ここ最近人魚たちが私たちエルフの秘境にある海域に移住し始めている原因は、これかな……」
エルフの王族が管理する歴史を司る神殿の一角。時間を忘れて書物を読み耽っているのは、背中まである琥珀色の髪を首の後ろで結っている男、リーファは硬くなった身体をほぐすように腕を伸ばし、そのまま肩を回して、ペキペキと音のする首を回そうとして、空が目に入った。
「あぁ、〝人魚の呪い〟が本当になるね」
青黒く、人間の血潮のように赤紫色に染まった空が、魔法属の人間たちが住む方角を染めている。瘴気を視ることは人間には難しいだろう。
本能や自然に近いモノたちは肌で感じ、目の良いモノたちは視えるが、魔法属の人間たちは、なにが呪いで、なにが病かなんて判らないまま、同じ過ちを繰り返すのだろうかとリーファは思考し、止めた。
人間の行く末は、人間が決めること。人間以外が干渉する必要はないのだ。
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