翡翠の通り道

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 妻が亡くなったのは、もう随分前のこと―――。  質の悪い病で、気付いた時にはもう手遅れだった。  覚悟を決める時間は三ヶ月も無かった。  あまりに突然のことに悲しむ余裕もなく、不慣れな家事に小学生だった娘の世話、重責ばかりの仕事に、枯れゆく妻の見舞いや葬儀と多重苦だった。  母を亡くした寂しさ故か、娘の反抗期は人一倍に激しかった。  何度、警察のお世話になったことか分からない。  当時はその日を生きていくのに精一杯で、妻の命日も義理を果たす以外はろくに偲ぶこともなかった。  急拵えで買った仏壇には気付けば埃が溜まり、そんな薄情な私への当てつけのように、娘は十八で就職と同時に家を出て行った。  そんな娘が孫を連れて戻ってきたのは昨年のこと―――。  職場で知り合い、私の反対を押し切って入籍した男は案の定、碌でもなかったと娘が顔に拵えた生傷で悟った。  一度だけ娘達を連れ帰りに男は尋ねてきたが、その時の言葉があまりにも身勝手で、温厚な方の私には珍しく、思い切り殴り付けてやった。  既に然るべき場所には相談していたし、いくつか証拠も取っていたので警察を味方につけるのは簡単だった。  慰謝料と養育費の件であちらがゴネた所為で未だに裁判は続いているが、私が生きている限りはもう近付いてくることはないだろう。  娘も孫を守る為、自治体やその手の法人と連携して手は打ち始めている。
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