わがまま姫

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 わがまま姫のわがままが止まないまま夏が来た。多忙な両親は相変わらず甘やかすだけでレオンハルトの決死の進言は無駄になったようだと諦めたころ、不意とバカンスで別荘に行くことが決まった。  ちゃんと気にかけていたのかと安堵したのもつかの間、なぜか騎士の中で彼だけが連れて行かれることになり、彼はため息を飲み込み切れなかった。  どうやらマリー=アンジュがわがままを言ったようだが、家族水入らずの旅行にいくら頼りない見た目といわれがちでも騎士である彼を連れて行くのは物々しい。別荘までの移動に護衛が必要なのはわかる。実際、他の騎士たちも移動の時点では同行する。そのまま残るのはレオンハルトだけだ。  気まずいことこの上ない。普段はマリー=アンジュと召使だけだからそこまで気を張ることもないが、エレオノーラ家の面々がすべて揃い続ける場というのはとにかく疲れる。どうにか口実を付けて途中で帰れないものかと考えを巡らせたが、マリー=アンジュににっこりと笑ってずっと一緒と言われてしまった。  ずっと一緒。それが彼にとって一番の恐怖だった。レオンハルトは盛大にため息を吐きながら長い黒髪に香油を馴染ませる。女のようだとバカにされることもあるこの習慣だが、やめるつもりはない。これは彼にとって大切な儀式だ。髪を美しく保つためだけではなく、彼が隠し持つ魔力を封じるために行っている。力は祖母のナンネル・ウェリアーズから受け継いだものだ。  自由自在に力が使えるわけではないが、姉弟の中で力が現れたのは彼だけだった。いとこにもいない。それも彼が帰省したくない理由の一つであり、ずっと一緒が怖い理由だ。  彼の力は強く、時に使わないと暴発してしまう。一人で部屋にいるときにランプに火を灯したり、暖炉に火を移したりして誤魔化しているが、近頃力の強まりが早い。ずっと一緒に居られて使う時間が取れないと危険かもしれない。  そろそろ祖母に会いたいとレオンハルトは思う。祖母ナンネルだけは彼の状況をいつでもわかってくれる。今は髪を手入れしてどうにか封じ込めているが、時間の問題だ。  伝説に聞く、かの虹の魔法使いのように無尽蔵に魔力を蓄えられたらいいのにと思ってため息を吐く。レオンハルトの魔力は火だけ。虹の魔法使いは五大元素すべてだ。次元が違う。  かの虹の魔法使いは美しい金色の髪をしていたという。その髪は魔力できらめき、神のごとき美しさだったと伝承は語る。二百年ほど前に地上を追われ、虹の城に去ってしまったというが、今もこの世界を見守っていると彼は信じ、憧れていた。  レオンハルトはもう一度ため息を吐いて髪を梳かし、念入りにまじないを唱える。漏れだそうとしていた力が髪に宿った。いつものように指輪と剣を身に着ける。  指輪も剣も祖母から譲り受けたものだ。剣はドラゴンの炎で鍛えられたものだというが、定かではない。それでも翼竜の装飾や剣自体のしなやかな強靭さが気に入っていた。七色に光るオパールの指輪は彼の人差し指にすっぽりとはまるが女物だ。そんな細い指をしていることが少し恥ずかしいが、この指輪をしていると安心できる。  不意に扉がノックされた。レオンハルトは魔法陣が描かれた布をすぐに隠す。 「はい」 「レオンハルト様、姫様がお呼びです」 「すぐに行きます」  いつもより念入りにしていたから遅くなってしまっていたようだ。朝食はあきらめるしかない。マリー=アンジュは待つのが大嫌いだ。魔術道具を引き出しにしまって鍵をかける。魔力を持つものが迫害されることはないが、気味悪がられることがある。隠しておけば面倒が減る。レオンハルトは急いでマリー=アンジュの部屋に向かった。 「遅い!」  小さな姫は彼を見上げて頬を膨らませる。 「遅くなって申し訳ございません、姫様」 「ここに跪きなさい」 「はい」  そばに行って跪くといつものようにリボンを結わえられた。今日はいつも以上にかわいらしいピンクであるうえ、両方に付けられた。女顔といっても小さな女の子がするような髪型は似合わないと思いつつも何も言えない。 「おしおき」  あれでもいつもは気を使っているらしい。確かにこれは恥ずかしい。だが、お仕置きだと言うならかわいらしいもので笑いそうになったがこらえる。笑ったら余計に怒らせるのは間違いない。 「絶対にほどいちゃダメだから」 「はい」 「ん」  当然のように抱っこをねだられ、抱き上げて広間に向かう。朝食の時間には問題なく間に合うだろう。朝食はいつも通り終わり、出立の準備が始まった。荷物は昨夜のうちにあらかた馬車に積み込まれている。あとはちょっとしたものを積み込むだけだが、これが一筋縄ではいかないことをレオンハルトはよく知っている。マリー=アンジュはこのタイミングで必ずわがままを言う。以前、祖母のビクトリア・パゴーラの屋敷を訪ねた時もそうだった。事前の準備など結局意味がないのだ。 「それじゃないわ!」  着いてすぐに着替える予定のドレスを見てわがまま姫が口を開いた。昨日はこれがいいと言ったが、やはり変わったらしい。小間使いのエマがなだめるか、他のドレスを出すか迷っている。彼女も今日は決めかねているらしい。新しいものを出しても気に入られなければ、このやり取りは延々と繰り返されるからだ。下手をすれば時間に間に合わなくなるだろう。  レオンハルトはひっそりとため息を吐く。わがままを言う相手が間違っているとそろそろわかってほしい。 「姫様、このドレスのお色は姫様のブロンドによく映えます。旦那様も奥様もきっとほめてくださいますよ」  彼が声をかけるとマリー=アンジュは唇をへの字にした。 「本当? お父さまもお母さまも私を見てくれる?」 「はい、もちろんです。お忙しい旦那様と奥様がせっかく休みを取ってくださったのです。ここで時間を使ってしまうのはもったいないと思いませんか?」  少女は困ったように目を伏せた。やはり、両親と長い時間を過ごすことに不安を感じているらしい。いつもは食事の時間に会うだけで話らしい話もせず、ただほめてくれるだけの両親が自分をどう思っているのかわからないのかもしれない。 「姫様は誰よりもかわいらしい、旦那様と奥様自慢の姫様です。レオンハルトが保証します」  マリー=アンジュは泣きそうな顔で笑って抱きついてきた。 「レオンハルトに免じて荷物はそのままでいいわ」 「はい」  レオンハルトはいじらしい姫の頭をやさしく撫でる。ちゃんと向き合えさえすればうまくいくだろう。だが、向き合うということの難しさを彼自身もよく知っている。でなければもっと楽に生きられただろう。 「行きましょ、レオンハルト」 「はい、姫様」  レオンハルトは小さな姫のすぐ後ろを歩く。マリー=アンジュはわがままだが、意外と素直でかわいらしいところもある。  不安や緊張から来るわがままが周囲の負担になるとそろそろ気付いてほしいところだが、まだ六歳では難しいだろうか。仕方ないと諦めるべきか、もっとしっかりたしなめるべきかレオンハルトはいつも迷っている。小間使いやメイドたちには口出しできないことも騎士である彼ならある程度は許される。  本来ならばあやや親の仕事だが、その気がないからどうしようもない。ばあやは両親の意向を汲むばかりで躾をしようという意思を感じたことがない。それで困るのはマリー=アンジュだ。かわいらしいで許される年頃はいずれ終わる。  まったく騎士だというのにどうしてこんなことまで考えなければならないのかとため息が止まらなくなりだ。  このバカンスの間、他の騎士たちは長期休みを取るらしい。彼にとっても長期休みを気兼ねなく取るチャンスだったのに結局は子守りだ。何かしたいことがあるわけではないが、レオンハルトは長期休みが好きだ。何もしない時間をぼんやりと過ごしたり、気まぐれに街を歩いたり、時間など気にせずに馬に乗る。そんな休みが好きだ。  普段は休んでもエレオノーラ家にいる限り、マリー=アンジュが突然部屋に来ることもあるし、慎重に行動しても鉢合わせることがある。実家まで帰ればいいのだろうが、それはなんとなく嫌で、結局長期休みを取らなかった。そろそろぼんやりするだけの休みが恋しい彼だった。  エレオノーラ家の人々が乗った馬車がごとごとと揺れながら出発した。レオンハルトも他の騎士同様馬に乗り、馬車の警護に当たる。同じ騎士でも序列がある。当然当主フェルディナンドの騎士が一位だ。続いて奥方、エドモント、マリー=アンジュの騎士となる。レオンハルトは下っ端だ。だから走りにくい一番後ろを走ることになる。  馬術には自信があるから問題ないが、愛馬ヴァイスには申し訳なく思う。白馬であるばかりに汚れがとにかく目立つのだ。着いたらすぐにブラッシングをしてやりたい。  旅自体は嫌いではない。都市部の中心に建つエレオノーラ家から田舎へ下り、静かな森のそばの別荘に向かう。辺境の出身であるレオンハルトにはわざわざ田舎に行く理由がわからない。静かだが不便な暮らしがたまにならよいものなのだろうか。  休憩を挟みながら四時間ほどで別荘に到着した。すでに昼食の時間を過ぎており、事前に料理長に作らせた食事をピクニック形式で食べる流れになった。当然今日は一緒のはずがない。レオンハルトは去って行く騎士たちを見送り、小間使いやメイドたちと控えていた。 「レオンハルト、なんでそっちにいるの?」  心の底から不思議そうに聞かれて、彼は苦笑いをこぼす。 「お父さま、お母さま、レオンハルトも一緒でいいでしょう?」  そのおねだりを聞かないでくれと心の中で祈ったが、フェルディナンドはとにかく甘い。 「仕方ない子だね。レオンハルト、一緒に座りなさい」 「それは分を越えた振る舞いというものです」  元々マリー=アンジュと一緒に昼食を取っていたのも分不相応な振る舞いだった。これまではマリー=アンジュが幼く、独りではかわいそうと黙認されていただけで、家族に囲まれている今必要だとも、許されるとも思えない。 「父上、レオンハルト・シュバルツは由緒正しく礼儀正しい騎士です。マリー=アンジュのわがままを聞いて彼を困らせるべきではありません」  嫡子エドモントの言葉にレオンハルトはほっとする。彼は妹に甘すぎる父に唯一意見してくれる良き兄だ。まだ十四だが、優れた才覚と頭脳でいずれよい当主になるだろうと期待されている。 「そう、だな。エドモントが正しい。無茶を言ってすまなかったね、レオンハルト」  息子に言われてフェルディナンドは思い直してくれたらしい。彼自身がこれくらいしっかりしてくれと思わずにはいられない。 「いえ」 「マリー=アンジュ、本当はレオンハルトと食事をするのはいけないことだ。お家ではかまわないけれど、今は家族も一緒だ。わかるね?」  わがまま姫はひどく不服そうにしたが頷いた。この分ならそれなりに放っておいてもらえるかもしれないと淡い期待を抱く。本来であれば家族水入らずのバカンスに騎士である彼がいること自体不自然なのだ。それをフェルディナンドが思い出してくれればいいと思うが、そこまでは望んだら贅沢だろう。  だが、その夜、驚いたことに彼は休暇を言い渡された。エドモントが何か言ってくれたのだろうか。このままここにいても、どこかに行ってもいいと言われたが、ここにいないと許さないとマリー=アンジュの目が言っていた。彼は仕方なくここに残ると伝え、騎士の制服を脱いだのだった。
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