永遠の再会

1/1
前へ
/1ページ
次へ
何気ない休日の朝。 時々有給をとって過ごす、静かな午前の住宅街。 アパートの住人たちは皆仕事や学校に出ているようで、一階の角部屋はしんと静まり返っている。 すぐ向かいの公園では、就学前の子どもがいく人か、親や祖父母に連れられて遊んでいる。 鳥の声と、幼児の声。 コーヒーを淹れるため、電気ケトルに水を注ぐ。 お湯が沸くのを待つ間。 シンクに昨日投げ込んだ食器を洗う。 水と洗剤に浸されたそれらをスポンジで擦りながら、風に揺れる外の木々を見やる。 お湯が沸く。 泡だらけの皿の中からマグカップだけを急いで濯ぎ、シンクの上で振って水気を払う。 1杯用のカリタのドリッパーをカップの上に置き、近所の百均で買った安いペーパーフィルターをセットする。 店で挽いてもらってある豆をスプーンに山盛り2杯、ペーパーフィルターに載せる。 「あっ」 いつもの調子で2杯入れてしまった。 コーヒー通の同居人に言わせると、自分の淹れ方は酷すぎて「とちくるって」いるらしい。 フィルターをお湯で流すのは省いている。 カップを温めるのも、直前にぬるま湯で洗ったばかりなので必要ないと思ってしまう。 数滴のお湯で豆を蒸らすのは一応やっている。 味がどう違うのかわからないが、こうするとキッチンから続くリビングまで、豆の匂いがよく広がる。 蒸らしているその間に、途中になっていた洗い物を全て流す。 安い電気ケトルの注ぎ口は適当なつくりなので、円を描きながらお湯を注ぐなどという繊細な動きはできない。 ドリッパーの中心にドボドボとお湯を注ぐ。 これが一番残念なのだとか。 コーヒーが入ればなんでもいい。 豆の匂いを感じ、苦味と温みを味わうことができればなんでもいいのだ。 お湯が落ち切ると、次のカップに同じようにドボドボと注ぐ。 先ほどより豆の泡立ちが少なく、水を吸った豆の粉末が、泥のようにペーパーに張り付く。 お湯が落ちるのに、少しばかり時間がかかる。 その間に、先に入れたカップをもってリビングへ。 いつも起きるのが遅い同居人のために、濃い方を先に持ってきてやるのだ。 木のダイニングテーブル。 いつもの深い青のマグカップ。 いつも座るベッドルームに近い方の席に置く。 仕事の朝はこれだけ。 今日は休みだから、朝食をちゃんと摂ろう。 キッチンに戻ると、自分用のブラウンのカップに、コーヒーが落ち切っていた。 ドリッパーをシンクに下ろし、ひとくち。 苦みが広がる。 朝、最初に口にするのがいつもこの薄めのコーヒーなのだ。 先ほど洗ったスキレットを取り出し、油を引いて火で温めながら卵とハムを落とす。 蓋を閉めて、コーヒーをまた一口飲む。 卵の殻と、ハムを包んでいた真空のプラスチックのパッケージを捨てる。 フライパンの蓋を開けると、蒸気が昇る。 ハムを重ねてスペースを開け、冷蔵庫に余らせていたキャベツを手でちぎって隙間で炒める。 全体に塩コショウを振って、卵の黄身に火が通るのを待つ。 キャベツが焦げそうなので、ハムの上に避難させる。 火を止めてもパチパチといい音がしている。 鉄の持ち手をミトンの手で掴み、飲みかけのマグカップと箸を持ってリビングへ。 一瞬、立ち止まる。 同居人のために淹れたコーヒーは。 まだわずかに湯気を上げている。 鍋敷きの上にスキレットを置き、自分のイスに。 キッチンに近い側に座る。 スキレットのキャベツを箸でつまむ。 よく吹いて冷ましてから、口に放り込む。 カップのコーヒーを飲む。 少し冷めてしまった。 熱いキャベツを食べた後だから尚更だ。 目を閉じて。 カップのコーヒーを、もうひとくち。 匂い 温み 苦み いつもの朝だ ベッドルームのドアがあき 同居人が出てきて 先に入れたカップを持ち上げる おはよ いつも一口飲んでから言うのだ 「おはよう」 そう返す。 目を開ける。 ベッドルームの扉は閉まっている。 目の前の青いカップは、もう湯気を上げていない。 スキレットの、いつもより隙間の多い1人分の朝食を見下ろす。 一膳だけ持ってきた箸。 分かっている。 ハムと、ひとつだけの目玉焼きを食べる。 分かっている。 ハンガーにかけた、昨日着た服を見上げる。 分かってるじゃないか。 朝食を飲み込む。 いつもの朝。 カップのコーヒーは冷め切って、味がしない。 スキレットとカップをシンクに投げ込み、リビングへ戻ってくる。 テーブルに置かれたままの青いマグカップ。 すっかり冷めてしまった。 電子レンジで温めようと、カップを手に取る。 いつも自分が飲むより。 一層深い色。 見つめる。 波がたつ。 自分が映っている。 目を閉じる。 唇をつけると。 その冷たさに肩が震えた。 一層深い苦み。 朝 口づけをする時の 同居人の匂いがする 濃すぎると文句を言う声が 蘇る 眠気覚ましだと言い返す自分の声も こんなにも簡単に 思い出してしまうのか これから毎朝 朝食のたびに 再会するのだろうか 目を開ける。 昨日着た、喪服を見上げる。 別れをすませたばかりだというのに。 終
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加