駄菓子屋のおばちゃん

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駄菓子屋のおばちゃん

 この道を歩くのは何年ぶりだろう? 上京して二十年以上になる。少なくともその期間は通っていない。でも、高校生の間はこの道を使っただろうか? 数回は通った気もするが、この先には私が卒業した小学校の他にあるのは文房具屋を兼ねた駄菓子屋と、二、三件の農家だけだ。あとは学校の裏山(と言っても、学校自体が小さな山の中腹にあるのだが)があるが、高校生になってからは遊びに行くことはなかっただろう。また、農家には同世代の子供もおらず行く用事はなかったし、その頃は駄菓子屋で文房具や駄菓子などを買うこともしなかったと思う。  その駄菓子屋ももう無くなっているだろう。そもそも小学校が廃校になり、子供もいなくなったこの場所では商売が成り立たない。私がここへ帰ってきたのもその小学校の取り壊しが決まり、思い出の場所を一目見ておきたかったからだ。 「ふぅ」  私は立ち止まり、息を吐いた。完全に運動不足だ。子供の頃、毎日のように歩いて通っていたはずなのに結構キツい。校門まで一キロほど上り坂が続く。到着すれば私が育った町が一望できる。 『町』と言ったが、実際は田畑ばかりの『村』だ。私はこの場所で育った。在学中、小学校の全校生徒数は二十人を超えたことはない。そんな小さな学校だが、私にとっては六年間過ごした思い出の詰まった場所だ。  それなのに私は卒業してから、ほとんどここを訪れていない。まぁ、今のご時世、卒業生といえども気軽に小学校に入ることもできないのだが。しかし、そうでなかったとしても私は母校に行くことはなかっただろう。それなのに取り壊しが決まった途端、何だか寂しくなりこうして帰郷したのだから勝手なものだ。  チリン……  小さな鈴の音が聞こえた気がした。  チリン、チリン……  今度は先ほどよりハッキリ聞こえたので、私は音のしたほうに顔を向けた。どこから現れたのか、すぐそばに茶トラの猫がいた。鈴の付いた白い首輪を付けている。この猫には見覚えがあった、たしか駄菓子屋にいた猫だ。駄菓子屋のお婆さんが飼っていたのだが、今とは違い自由に出歩いていた。しかし、それは三十年近く前のことで、同じ猫のはずがない。 「あんれ、久しぶりだない」  懐かしい声が鼓膜を震わせた。私は声がしたほうに首を向ける。そこには懐かしい駄菓子屋とお婆さんの姿があった。 「おばちゃん!」  お婆さんと思いつつ、当時から子供たちは「おばちゃん」と呼んでいた。そのおばちゃんは当時と変わらない老婆のままだ。いったい幾つになったのだろう? 子供の頃は四十代の人でも老けていると老人に見えたりする。おばちゃんも、実は私の記憶にあるよりずっと若かったのかもしれない。 「おっきぐなったない。えーっと……」  私は名前を言った。 「ああ、そうだった。ホントに年さ、とりだぐねぇな」  おばちゃんは朗らかに笑った。そうだ、この笑顔。暖かいこの笑顔が、私たち子供は大好きだった。 「今日は、なじょしたの?」 「学校、見さ行ぐんだ」  つい言葉が訛ってしまう。 「ああ、取り壊しが決まったからない。それで、わざわざ見さ来てくれたんだね」 「うん。もっど早ぐ、来ればよがった」 「でも、ちゃ~んと来てくれた。ありがとない」  目頭が熱くなり、言葉にできない思いがこみ上げてきた。私は泣いている顔を見られるのが嫌で、おばちゃんに背を向けた。 「後で、よっからね」 「うん、ゆっくり見て来なんしょ」  おばちゃんの言葉に送られて私は小学校へ向かった。
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