第一話 恩人であり親友である翔太の恋は、現時点で成就しない

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第一話 恩人であり親友である翔太の恋は、現時点で成就しない

 翔太を助けてから、私の人生は楽しくなった。  山陰(やまかげ)陽向(ひなた)がそう感じない日はない。  五年前の、あの日。陽向が翔太を助けた日。  その日は、陽向の通っている学校の三者面談だった。先生と、母親の(あかり)と、陽向。その三人で面談をした後の、帰り道。  翔太がやられている場面に遭遇したのは、ほんの偶然だった。  ほんの偶然だったが、陽向は見過ごせなかった。  当時小学校六年生だった翔太は、公園で、高校生三人と同級生一人に暴行を受けていた。あれは、喧嘩なんて呼べるものではなかった。凄惨なリンチ。  灯と一緒に立ち止まって、陽向は、気分が悪くなるその光景を見ていた。 「お母さん、あれ、翔太君だよね? 隣の、宮川さん()の」 「そうだね」  灯も、翔太がやられている場面を見て不快になっているようだった。 「なんか腹立つ。翔太君を殴ってるの、高校生だよね」 「制服着てるしね。本当に最悪。ただの弱い者イジメだよ」  灯は、今にも舌打ちしそうな雰囲気を出していた。それでも、助けに入ろうとしない。それは決して、翔太を殴っている高校生を恐れているからではなかった。  自分達は普通の人間ではない。だから、助けに入れない。  それは陽向も分かっていた。  でも── 「お母さん」 「何?」 「私、翔太君を助けたい」  できるだけ他人と関わらないように生きなければならない。政府に命じられている規則に反すれば、厳しい罰を受けることになる。  政府によって管理と監視をされ、行動が厳しく制限されている生物。  大昔の戦争中に生み出された、生物兵器。吸血鬼と呼ばれる怪物。  陽向と灯は、そんな生き物だった。吸血鬼の母子(おやこ)。  吸血鬼といっても、太陽が苦手なわけでも、にんにくや十字架なんて弱点があるわけでもない。ただひとつの特徴から、吸血鬼と呼ばれるようになった。  自分達が異質であることを、幼い頃から教育されてきた。吸血鬼は、本来、生きていてはいけない生物。存在自体が許されない生物。だが、人権尊重の観点から仕方なく生かされている。  公安職員が先生役を務める教育機関で、そう教え込まれた。  一般人に危害を加えるようなことがあれば、簡単に死刑にされる可能性がある。凄惨な方法で抹殺される。だから、可能な限り日陰で生きなければならない。  教育の一環として、陽向は、死刑執行のシーンを何度も映像で見せられた。吸血鬼が殺される場面。  死刑になるのは恐い。だから、一般人に危害を加えないように生きなければならない。だから、できるだけ他人と関わらないように生きるべきだ。  心に染みつくほど繰り返された教育で、陽向は理解していた。今、自分が取るべき行動は、灯と一緒にこのまま帰宅することだと。イジメなんて見なかった振り。それが、自分達の選択すべき行動だと。  それでも陽向は、翔太を助けたいと思った。 「陽向、あんた、いい子だね」  灯は優しい目をして、陽向の頭を撫でてくれた。肩掛けのバックから、ゴムボールを取り出した。握ると簡単に変形するほど柔らかい、ゴムボール。 「お母さんね、一応、普段からこんな物を持ってたりするんだ」  優しい目をしていた灯は、一転して、悪戯っぽく笑った。 「これなら、思い切り当てても大した怪我はしないだろうしね。だから、持って行きなさい」 「いいの?」 「うん」  灯はゴムボールを陽向に渡すと、少ししゃがんだ。目線の高さを陽向に合わせる。じっと、視線を絡ませてきた。 「でも、約束して。攻撃は、このゴムボールを当てるだけ。それから、とにかく翔太君を助けて逃げること。絶対に、相手を直接攻撃しちゃ駄目」  そう語る灯の目は、真剣そのものだった。よくコロコロと表情が変わる。今はこんな顔をしているが、家に帰って自分の夫と顔を合わせると、今度は恋する乙女の顔になるのだ。 「約束できる?」 「うん」  また、灯は優しく微笑んだ。 「じゃあ、翔太君を助けてあげなさい」 「ありがとう、お母さん」  灯にお礼を言うと、陽向は、一瞬で翔太達に接近した。世界記録を持つスプリンターすら足下にも及ばない速度で。  灯に言われた通り、陽向は、ゴムボールでしか攻撃しなかった。翔太を殴っていた奴の顔面に当てた。翔太を担いで、颯爽とその場から逃げた。  逃げてマンションの敷地内まで来た。担いでいた翔太を降ろした。  その瞬間から、翔太は、憧れの眼差しを陽向に向けるようになった。まるで、物語の英雄を見るような目。  次の日からは、見かける度に話しかけてくれるようになった。いつの間にか、当たり前のように一緒に遊ぶようになった。  翔太を助けたあの日まで、陽向は、できるだけ人と関わらないように生きてきた。常に日陰を歩くような、つまらない人生だった。  外にいるときは、いつも顔を伏せていた。自分は、生きていてはいけない生き物。生きる価値のない生き物。先生の教育が、陰気な性格と雰囲気を作り上げていた。家族以外とは、はっきりと喋ることすらできなかった。  そんな自分が嫌いだった。吸血鬼として生まれた自分を蔑み、自分も社会も嫌いながら生きてきた。  でも、変われた。  翔太のお陰で、陽向は変われた。彼が、陽向を認めてくれたから。尊敬してくれたから。親しくしてくれたから。彼のお陰で、自分を肯定できるようになれた。  陽向は、幼少期から義務教育の期間まで、公安が管理する教育機関に通っていた。一般には秘密裏に運営している、吸血鬼の教育機関。  義務教育を終えると、吸血鬼は社会に出される。吸血鬼として生きるルールを守りながら、それでも一般人として生きるように。  陽向は、翔太と同じ高校に通うことを決意した。自分を変えてくれた彼と、もっと一緒にいたかった。  翔太の家は母子家庭だ。父親は、彼が産まれる前に亡くなったそうだ。母ひとり子ひとりの家庭で、決して裕福ではない。  家の経済状況を考えた翔太は、交通費がかからない距離の高校に進学すると言っていた。徒歩で通学できて、なおかつ進学率の高い公立高校。彼は、地元でトップの進学校に入れるほど優秀なのに。  それでも、翔太が受験する豊平(とよひら)高校は、なかなか学力が高い。彼と同じ高校に進学するために、陽向は必死に勉強した。それこそ、寝る間も惜しんで。  努力が実って翔太と同じ高校に合格できたときは、泣きそうになるほど嬉しかった。  ──翔太を助けた日から、もう五年になる。  高校二年。八月。夏休み明けの始業式の日。  今は、八時二十分くらいだろうか。  快晴と言っていい夏の日差し。  周囲には、豊平高校の生徒がたくさん歩いている。学校に向かう、大勢の制服姿。  陽向は、今では毎日、翔太と一緒に通学している。親友であり、恩人。陽向にとって彼は、そんな存在となっている。自分の人生を明るくしてくれた人。  他人と話すことすら躊躇っていた自分が、翔太と仲良くなったことをきっかけに社交的になれた。義務教育時代とは違って、学校に友達もいる。  もちろん、一番の親友は翔太であり、彼が一番話しやすい。 「──んで、インターハイが終わったら、すぐに国体予選なんだ?」  通学路を歩きながら、陽向は翔太に聞いた。  翔太は中学一年の頃から新聞配達のアルバイトを始め、稼いだ金でボクシングジムに通っていた。彼の言葉を借りれば「少しでも陽向みたいに強くなりたいから」だそうだ。 『陽向みたいに、誰かを助けられる人間になりたいんだ』  翔太は、一途で努力家だ。勉強もボクシングも、一切手を抜くことはなかった。その結果、昨年は、一年生にしてインターハイや国体などの全国大会に出場するまでになった。さらに、今年のインターハイではベスト8まで勝ち残った。翔太に勝った選手は、そのまま優勝したという。 「まあな。てか、国体予選はもう来週」 「減量とかはしてるの?」 「まさか。俺、減量なんてしたことないし」  ボクシングと言えば減量。それが、ボクシングに関わっていない一般人の認識だ。もちろん陽向も、そんなイメージを抱いていた。 「そもそも俺がボクシングを始めたのは、単純に強くなりたかったからだし。試合に勝つためにやってるんじゃなくて、強くなるためにやってるんだ」 「もしかして、あんまり勝つ気がないとか?」 「まさか」  陽向の言葉を、翔太は即座に否定した。 「強いってのは、何も腕力だけじゃないだろ。どんな状況でも自分の力を発揮できるとか、自分のできる範囲で可能な限り状況を好転させるとか。そんなのも強さだろ」  五年前のあの日、翔太はまだ知らなかった。陽向が吸血鬼だということを。だから当時は、純粋に陽向の強さに憧れていたようだ。  でも、今は違う。  翔太はもう、陽向が普通の人間ではないことを知っている。それでも彼は、陽向への憧れを失っていない。 「俺はただの人間だからな。それでも──ただの人間でも、得られる強さがあるはずだから」  普通の人間の身でありながら、翔太は、強さを得るために努力している。自分を助けた陽向に、少しでも近付くために。それくらい、陽向に憧れを抱いてくれている。  陽向が、翔太と一緒にいたいという気持ち。  翔太が、陽向を尊敬してくれる気持ち。  互いを認め合う気持ちがあるから、今では、翔太とは何でも話せる仲になっていた。真面目なことから冗談のような話、あるいは自分達の家庭の状況まで。  陽向は、今が楽しかった。翔太と過ごせる毎日が楽しい。  ただひとつ、翔太のことで心に引っかかるものはあるが。
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