第二話 好きだから、色々と考える

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第二話 好きだから、色々と考える

 夜になっても気温はまだ高く、緩やかに吹く風は生温(なまぬる)い。  空には、月がはっきりと見えていた。  始業式の次の日。午後八時半。  ボクシングジムでの練習を終えた翔太は、帰り道を歩いていた。豊平高校にボクシング部はない。そのため、練習はジムで行なっている。  たっぷりと汗を吸ったトレーニングウェアが、右肩に掛けた鞄に入っている。まるで鉄アレイでも持っているかのように、ずっしりと重い。  翔太が通っているジムは、豊平高校を基準として、翔太の家と逆方向にある。中学の頃から通っているジム。  放課後になると、学校から直接ジムに行く。練習をして、高校の前を通って家に帰る。それが翔太の日課だった。  陽向のように強くなりたい。そんな思いから始めたボクシング。  五年前のあの日。陽向に助けられてから、彼女は翔太の憧れとなった。力を見せびらかすように相手を叩きのめしたわけではない。むしろ、相手に負わせる怪我を最小限に抑えて、颯爽(さっそう)と翔太を助けた。    その姿が、たまらなく格好良かった。小柄な陽向が見せた、超人的な力と立ち振る舞い。それは翔太に、人間が秘める無限の可能性を感じさせた。  しかし、中学二年になったあたりから、翔太は、陽向の力に違和感を覚え始めた。  何の訓練もされていない生物の強さは、体の大きさと概ね正比例する。ボクシングという体重別の格闘技を知ってゆくことで、そのことを理解し始めた。陽向の強さを、非現実的に感じるようになった。  陽向自身も、翔太の気持ちになんとなく気付いていたのだろう。だから、中学を卒業した直後に教えてくれた。  陽向の秘密。吸血鬼という、人間とは異質の生き物だということ。  吸血鬼は、第二次世界大戦中に生物兵器として生み出された。開発したのは、敗戦国連合の一国。非人道的な人体実験を、捕虜に対してだけではなく、同盟国から集めた人間にも行なった。その結果、偶然と奇跡が重なって、わずか二〇〇名ほどの吸血鬼が誕生した。  吸血鬼となった二〇〇数名以外の被験者は、全て死亡したという。  だが、吸血鬼が実戦投入されることはなかった。理由は間抜けなもので、その前に戦争が終結したからだ。  翔太は大きく息をつくと、練習着が入った鞄を右肩から左肩に移した。  いつものことだが、疲れた体で家まで歩くのが一番辛い。しかも、重い鞄を持って。今日は火曜日。国体予選は金曜日から。明日からは練習を軽めにしよう。  こんなところでも、翔太は、自分と陽向の差を感じる。彼女は、ボクシングの練習なんかでは疲れないだろう。その気になれば、車以上の速度で走って帰れるはずだ。  陽向の強さに憧れている。自分も、彼女のように颯爽と人を助けられる人間になりたい。  けれど、その強さは、決して(うらや)めるようなものではなかった。  戦争が終結した後、人外と言える力を持った吸血鬼は、国家にとって邪魔者となった。当時は、吸血鬼を皆殺しにして、歴史の闇に葬り去ろうと計画されていたそうだ。  その計画が実行されなかったのは、人権を(うた)う戦勝国連合が許さなかったからだ。結果として、吸血鬼は生きることを許された。厳しい規律と制限された生活の中で。  いかなる理由があろうと、人を殺めた場合は死刑。人に怪我を負わせた場合も、重大な罰が下る。基本的に、吸血鬼であることを一般人に漏らしてはならない。  さらに、やむを得ず吸血鬼の存在を知った人間にも、厳しい制約と制限が課せられる。  だから、陽向が吸血鬼だということは誰にも言えない。彼女にそれを教えられたことも、誰にも言えない。  圧倒的な力を持つ、吸血鬼。彼等を制御するために、日本政府は二つの手法を取った。ひとつは、幼い頃から、徹底的に自己否定感を植え付けること。もうひとつは、行動に対して残酷な罰則を作り、恐怖を植え付けること。  戦後、自国に帰還した吸血鬼。日本人の吸血鬼は、約七十人もいたという。そのうち数名は、政府の指示に従わなかった。自身の能力を犯罪に利用した。最終的には、人海戦術を駆使して捕らえられ、死刑となった。  死刑の場面は、映像として残された。白黒の、古い映像。不鮮明でも容易にわかる、残酷な光景。  その映像は、今でも吸血鬼の教育に使用されているらしい。公安が指揮を執る、吸血鬼の教育機関で。映像から、人を殺した吸血鬼がどのように死刑になるか、教えられる。  あれほどの力を持つ陽向ですら、死刑の授業のことを語るときは顔を青くしていた。 「恐かった。死刑の授業を受けたときは、恐くて恐くて眠れなくて。しばらくの間、お母さんに一緒に寝てもらったんだ」  吸血鬼と言っても、所詮は生物だ。大勢の人員と近代兵器を使えば、捕らえることはできる。人を殺した吸血鬼は、彼等でも脱出不可能な状態で拘束され、銃殺により死刑にされるという。  だが、簡単には死ねない。 「吸血鬼ってね、力が強い分だけ頑丈なの。じゃないと、自分の力に体が耐えられないから」  吸血鬼の詳細を翔太に話したとき、陽向は体重計に乗って見せた。  陽向の身長は一五五センチ程度。だが、体重は七十四キログラムもあった。もちろん、太っているわけではない。見た目には、多少華奢にすら見える。もっとも、胸はFカップと大きめだが。 「筋肉も骨格も、皮膚も頑丈で。だから、必然的に体重も重くなるんだよね」  そんな吸血鬼が、銃殺で死刑にされる。その光景は、無残で、凄惨で、とても直視できるものではなかったという。それでも陽向は、授業の一環として、その死刑の映像を何度も何度も見せられた。 「撃たれても、なかなか大きい血管まで弾が到達しないの。もちろん内蔵にも、なかなか弾が到達しない。頭を撃たれても、銃弾が頭蓋骨を貫通できない」  吸血鬼にとっての銃で撃たれるダメージは、人間に置き換えると、画鋲(がびょう)で刺される程度ではないか。強制的に見せられた死刑執行の映像から、陽向はそう思ったようだ。 「だから、何発も何発も撃たれて。撃たれ続けて。なかなか死ねずに、苦しんで、苦しんで。体中が、銃弾で傷だらけになって。穴だらけになって。血まみれになって。蜂の巣みたいになって、ようやく死ねるの」  政府はそんな教育を施し、恐怖を植え付けて、吸血鬼の行動を制限している。吸血鬼に、規律を守らせている。  辛そうに語られた、陽向の話。それを聞いて、翔太は、ますます彼女に憧れた。尊敬した。何にも代え難い恩人だと実感した。    そんな恐怖を知りながらも、翔太を助けてくれたのだから。  尊敬すべき人物であり、恩人。当たり前のように友人として付き合っているが、翔太は、陽向に対する尊敬の念を忘れたことがない。  だからこそ、強くなりたかった。陽向のような吸血鬼が生き易い世の中をつくる。それができる人物になりたかった。たとえ吸血鬼のような力がなくても、人間として最大限の身体能力と頭脳を身につけて。今度は自分が、吸血鬼すら助けられる人間になりたかった。  目標のために、勉強に対してもボクシングに対しても、決して手を抜かなかった。  重い足を動かして、翔太は帰路を進んだ。  豊平高校の近くまでたどり着いた。ここからさらに、二十分ほど歩く。家までの道のりが遠い。  高校の正面玄関が見えた。校門の周囲が、街灯で照らされている。  校舎を囲む塀の辺りに、人影が見えた。三人の人影。まだ距離があるので、顔までは判別できない。体のシルエットから、男一人女二人だと分かった。  男は、女の一人を塀に追い詰めていた。もう一人の女は、男の側で腕を組んでいる。  チンピラのカップルに、女の人が絡まれているのか。目に映る光景から、状況が簡単に推測できた。  考えるより先に、翔太は、足を進める速度を上げた。  陽向のように、誰かを助けられる人間になりたい。吸血鬼すら助けられる人間になりたい。そんな翔太が、チンピラに絡まれている女性を見過ごせるはずがない。  三人に近付く。彼等の姿がはっきりと見えてきた。その声も、言葉を判別できる程度には聞こえるようになってきた。  三人のうち二人は、翔太の知っている人物だった。
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