第二十七話 好きな人を想う彼に、辛いことはさせたくない

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第二十七話 好きな人を想う彼に、辛いことはさせたくない

 校門を飛び越えて、学校の敷地内に入った。  豊平高校のグラウンドは、正面玄関の裏側にある。  陽向は、翔太とともにグラウンドに向かった。やや速い足取り。側面玄関付近を通りがかった。いつもここから、校舎の中に入る。  校舎内は、すでに消灯されていた。非常灯の緑色の光が、窓の向こうにボンヤリと見える。その光景は、不気味と言えた。学校で怪談が語られる理由が、少しわかる気がした。  正面玄関の裏に回って、グラウンドに出た。  満月の光と、学校の周囲にある家々の明かり。それらが、暗いグラウンドを照らしている。当然ながら、昼間の太陽ほど明るくはない。サッカーのゴールの白さが目立つほど、辺りは暗い。  サッカーのゴールの近くに、人影が見えた。二人。かなり身長差がある二人だった。  小柄な方は、スカートを履いている。暗くてはっきり見えないが、シルエットで分かる。  もう一人は、体型からして男だろう。  遠目からの目測だが、身長は、女が一五〇センチ弱、男が一八〇センチ弱、といったところか。  グラウンドに来るまで早足だったのに、陽向と翔太の歩調は、ここに来てゆっくりになった。ゆっくり、ゆっくり、二人に近付く。自分達を呼び出した二人に。  やがて、顔が判別できる距離まで近付いた。彼等の顔が見えた。 「うそ……」  思わず漏らした呟きとともに、陽向の足が止まった。  陽向に合わせて、翔太も足を止めた。  陽向達を待っていたのは――陽向達を呼び出したのは、友達だった。殺された美智の友達でもある、女の子。翔太の好きな人。 「しお……り……?」  空気中に溶けてしまいそうな小声で、陽向は、女の子の名を口にした。詩織。彼女に、陽向の声は届いていないだろう。  陽向の肩がかすかに震えた。それは決して、寒さのせいではなかった。  殺された美智は、詩織にとっても友達だった。一緒に昼食を食べたりした。三人で話したりした。引っ込み思案な詩織は、口数が少なかった。それでも、優しい笑顔を浮かべながら、陽向や美智の会話に混ざっていた。  詩織の隣にいるのは、五味だった。詩織の彼氏。女癖の悪いクズ。そういえば五味は、美智を口説いていた。詩織という彼女がいながら。  二人の姿を目の当たりにして、陽向の頭の中で、すべての点が線で繋がった。殺された美智。詩織と付き合っていながら、美智を口説いていた五味。吸血鬼である詩織。  詩織が、五味の頼みを断れずに、彼をゾンビ化させた。ゾンビ化して人外の力を得た五味が、力尽くで美智をモノにした。挙げ句に、彼女を殺した。  事件の答えを知ったら、違和感なく納得できた。何の矛盾もなく、辻褄(つじつま)が合ってしまった。  陽向は、隣にいる翔太を見た。彼は頭がいい。陽向が理解できる事実に、気付いていなかったはずがない。  翔太は、陽向よりもはるかに落ち着いていた。ショックではあるものの、予想の範囲内。そう物語る表情。 「翔太、気付いてたの?」  翔太は小さく頷いた。落ち着いている。けれど、辛いはずだ。彼の顔には、心の痛みがはっきりと表れていた。 「確証も物証もなかったけどな。ただ、三田さん達以外に、犯人像が浮かばなかった」  翔太は、どんな気持ちでここに来たのだろう。どんな気持ちで、美智が殺された事件を考えていたのだろう。間接的にせよ、自分の好きな人が、自分の友達を殺した。その可能性に行き着いたとき、どれほど苦しかっただろう。どれだけ信じたくなかっただろう。  翔太は頭がいい。その優秀さが、彼自身を苦しめていたはずだ。詩織が吸血鬼だとわかってしまって。頭に浮かぶ推測を、否定したくて。でも、否定できなくて。  ゆっくりと、陽向は詩織に近付いた。足が震えている。それでも、彼女に問いただしたかった。会話が可能な距離まで近付いた。  翔太も、陽向と一緒に彼等に近付いた。まるで、隣で陽向を守るように。 「どうして? 詩織」  当たり前に浮かんだ疑問。当たり前に聞きたいこと。 「どうして、美智を殺したの?」 「ヤリたかったから」  陽向の疑問に答えたのは、五味だった。 「俺さ、花井とヤリたかったんだよな。でも、あいつ、落ちねぇからさ。だから、詩織にゾンビ化させてもらって、さらったんだよ」  腹が減ったからつまみ食いした。そんな軽い口調で言い、五味は笑った。暗がりでも分かるほど整った顔立ちをしている。けれどその表情は、禍々(まがまが)しさで歪んでいた。熱病にでもうなされているような、正気とは思えない表情。 「でさ、ヤるだけヤッてスッキリしたら、どうでもよくなってな。ちょっと強めに首絞めたら、簡単に死んだんだ」  ククッと、五味は面白そうに笑った。  陽向の肩が、大きくブルッと震えた。顔が熱っぽい。頭に血が上る感覚。吐き気がするほど強い怒りを覚えた。 「ふざけんなクソ野郎!」  今まで陽向は、詩織の前では、五味の悪口を言ったことがなかった。五味が美智を口説いていることも知っていたが、言えなかった。詩織を傷付けてしまうから。詩織には五味と別れて欲しかったが、彼女を傷付けたいわけではない。  でも、もう限界だった。 「詩織! あんた、なんでこんなクソ野郎と付き合ってるの!? こいつは、美智を殺したんだよ! こんなクソ野郎のことが好きなの!?」  暗いグラウンド。満月と、周囲の家々の明り。その淡い光で影を作りながら、詩織は、薄い笑みを浮かべた。眼鏡を掛けた、可愛らしい童顔。けれど、彼女の薄笑いは、その童顔にまるで似合っていなかった。 「いいんじゃないかな。だって、吸血鬼って、(うと)まれてる生き物でしょ? それなら、ひどい男がお似合いだと思うけど」  詩織の隣で、五味が楽しそうに笑った。 「おいおい、ひでぇな、詩織。俺って、ひどい男か?」 「そうだね、ごめんね」  詩織の様子は、どこか普通ではなかった。明らかな狂気を感じた。五味のような、熱病にうなされている狂気とは違うが。言うなれば、破滅的な狂気だった。  五味は、相変わらず、下劣な笑顔を見せていた。その視線は、完全に陽向に向けられている。陽向の胸。舌なめずりでもしそうな顔。彼が何を考えているのか、簡単に分かった。  五味は美智を犯し、殺した。同じようなことを陽向にもしようとしている。  背筋が寒くなるような不快感が、陽向を襲った。気持ち悪い。どんなに顔がよくても、あんな目で自分を見る男は好きになれない。あんな男を好きになる詩織の気持ちが、分からない。  陽向の視線の先で並んでいる、詩織と五味。破滅的な狂気と、熱病にうなされた狂気。彼等の様子に、陽向は苛ついていた。五味への不快感、嫌悪感。詩織に対しての、友達としての情があるからこその怒り。  このまま今すぐ、ぶん殴ってやりたい。 「落ち着け、陽向」  翔太が、陽向の肩に手を置いた。  陽向は、視線を翔太に移した。彼は眉間に皺を寄せて、苦虫を噛み潰したような顔になっていた。言葉にしなくても、彼の心情がよく分かる。彼は詩織が好きなのだ。それだけに、抱えている胸の痛みは、陽向よりも強いだろう。  詩織と五味をじっと見ながら、翔太が口を開いた。 「聞きたいんだけど、どうして陽向を呼び出したんだ?」 「駄目だな、って思ったから」  即答したのは、詩織だった。破滅的な笑顔は崩さない。 「何が駄目なんだ?」 「陽向ちゃんが吸血鬼って知ってるなら、宮川君も、ある程度は吸血鬼について知ってるんでしょ?」 「それなりになら」 「吸血鬼って、疎まれて、蔑まれて、差別される生き物なんだよ。そんな生き物が、人を好きになって、人に好かれて、幸せに生きるなんて許されると思う?」 「許されるだろ。っていうより、許す許されないじゃなく、幸せになる権利があるだろ。吸血鬼に生まれたのは、本人のせいじゃない。本当に疎まれるべきは、兵器として吸血鬼を生み出した奴等と、吸血鬼に対して差別的な教育をしている奴等だ」 「……」  一瞬だけ、詩織の表情が動いた。狂気の笑みが消えた。悲しそうな、それでいて憎しみに満ちたような、複雑な顔になった。彼女から、すぐにその表情は消えた。また、童顔に似合わない破滅の笑みを浮かべた。 「理解し合えないね。吸血鬼が幸せになっちゃ駄目。だから呼び出したの」 「駄目だと思って、呼び出して、どうするつもりなんだ?」  聞きながら、翔太は右足を少し引いた。左足を前。右足を後ろ。詩織と五味に対して、斜に構えるように立った。胸ポケットに入れていたスマートフォンを、カーゴパンツのポケットに移した。胸ポケットに入れていたら、激しく動くと落としてしまうからだろう。ガードは上げていないものの、戦いに備えている。  翔太が戦闘態勢に入った理由を、陽向はすぐに理解した。詩織の言葉によって。 「死んで。吸血鬼なのに幸せそうな陽向ちゃんも、吸血鬼を幸せにした宮川君も」  冷たい死の宣告。しかし詩織は、すぐに仕掛けてこなかった。じっとこちらを見ている。  翔太から聞かされていた戦略を、陽向は思い出していた。 『もし、相手の吸血鬼に害意があった場合は、俺達二人がかりで戦う。卑怯とか汚いとか、そんなことは言っていられない』 『もし、相手の吸血鬼がゾンビ化した奴を連れてたら、そいつから先に、二人がかりで片付ける。もちろん殺しはしないけど、骨折させたりして、戦闘不能にする。最終的に、俺達二人で、相手の吸血鬼と戦うようにする』  翔太の戦略通りにするなら、まずは、五味を二人がかりで戦闘不能にする。その後に、二人がかりで詩織と戦うということになる。  でも―― 「ねえ、翔太」  詩織達には聞こえないような小声で、陽向は翔太に聞いた。 「今でも、詩織のことが好き?」  間接的とはいえ、詩織が美智を殺したと知っても。五味のようなクズをゾンビ化させて、好き勝手させたと知っても。  ――それでも、好き?  詩織は今、五味の隣にいる。クズのような恋人と一緒に。その姿を前にして、酷な質問だと思った。でも、聞く必要があった。  何の躊躇いもなく、翔太は頷いた。 「ああ。だから、どうしても助けたい」 「わかった」  翔太の戦略に従うなら、最終的には、彼と詩織が戦うことになる。陽向と二人がかりとはいえ、だ。  でも、翔太に、そんなことなどさせたくなかった。好きな人と戦うなんて、酷なことは。  ――それなら、私が詩織を止める。 「翔太。作戦変更」 「は?」 「あんたは五味を片付けて。詩織は、私が止めるから」  翔太は目を見開いた。 「おい!」 「心配しないで。殺したりしないから」 「そうじゃなくて! もし三田さんが、陽向よりも――」 「大丈夫。私より強い吸血鬼なんて、たぶんお母さんくらいだから」  翔太の言葉を遮って言うと、陽向は地面を蹴った。詩織との距離を一気に詰めた。  私が詩織を止める。翔太は五味をどうにかする。それなら、まずは、詩織と五味を引き離さないと。  詩織との距離を詰めた陽向は、彼女の腰辺りに抱きついた。そのまま彼女を持ち上げ、五味から離れるように移動した。 「陽向!」  翔太の声が聞こえたが、無視した。  ――好きな人を殴ったら、殴られる以上に痛いでしょ?  詩織を抱き上げて、陽向は、五味から二十メートルほど離れた。投げ出すように彼女を放した。  詩織は、苦もなく綺麗に着地した。体勢を整えた彼女と向かい合った。  詩織と対峙しながら、陽向は、胸に強い痛みを感じていた。理由の分からない痛み。  それこそ、殴られるよりも痛かった。
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