第二話 好きだから、色々と考える

2/2
前へ
/57ページ
次へ
「少し遊ぶくらいいいだろ? 楽しませてやるからさ」    校舎を囲む塀に、追い詰められた女性。  絡んでいる男は、嘲笑するような声で彼女に言った。顔の向きを少し変えて、連れの女に同意を求める。 「なあ? 里香(りか)」 「そうそう。楽しもうよ」  三人に、翔太は早足で近付いていった。  男の姿がはっきりと見えてきた。街灯に照らされた顔立ちは、驚くほど整っている。もっとも、翔太にとっては、不快感以外を抱けない顔だった。  五味秀一。翔太の好きな人──三田詩織の、彼氏。女癖の悪い遊び人。近くにいる里香と呼ばれた女は、五味の遊び友達だろう。夜の遊びも共にする友達。  翔太の好きな人は──詩織は、おとなしい女性だ。優しくて、無口で、どこか自信なさげで。  詩織の優しさを知ったときから、翔太は、彼女を目で追っている。一年のときから、ずっと。今では、詩織の姿をいつでも頭に思い浮かべることができる。  眼鏡を掛けた、おとなしそうな容貌。陽向よりも小柄な体。可愛らしい顔をしているのに、無口で自己主張をすることもないから、まったく目立たない。  休み時間は、いつも小説を読んでいる。電子書籍が割と一般的になっている昨今でも、詩織が読んでいるのは紙媒体の本。文庫本の1ページ1ページを慈しむようにめくるその姿は、指の動きから穏やかな表情まで、全て可愛い。  五味と付き合っている詩織は、決して幸せそうには見えなかった。付き合っているというよりも、五味に服従している、という印象を受けた。  翔太はさらに足を速めた。彼等に近付く。  五味に絡まれているのは、花井美智だった。同じクラスの友達。女子バスケットボール部。今は部活の帰りなのだろう。  綺麗な顔立ちの美智は五味に目をつけられ、付きまとわれていた。  五味には、詩織という彼女がいるのに。  翔太の心に、怒りにも似た不快感が湧き出てきた。  ──三田さんと付き合ってるのに! 「おい」  翔太は三人に接近して、低い声で呼びかけた。 「露骨に嫌がってる花井さんに、何してんだよ? チンピラか、お前」 「あ?」  ドスを効かせた声を出しながら、五味が翔太の方を向いた。 「何、あんた」  里香は、面倒そうな顔で睨んできた。  翔太とは面識のない女だ。金色に近い茶色の髪の毛。その根元は、後から生えてきた髪の毛で黒くなっている。里香を見た翔太は、自分の学校の生徒ではないとすぐに分かった。こんな女は、校内で見たことがない。  里香は、明らかに喧嘩腰だった。  彼女に比べて、五味はやや腰が引けている。面白くなさそうに舌打ちした。  翔太は、校内では割と有名人だ。ボクシング部のない学校で、インターハイで好成績を収めた。始業式の時には、ステージ上でインターハイでの成績を発表された。  五味も、翔太のことを知っているのだろう。 「なんだよ、ボクサー」  美智から少し離れて、五味は、翔太の方に体を向けた。身長は一七五センチほどか。翔太よりも七、八センチほど大きい。体重も翔太よりあるはずだ。しかし、素人だ。 「邪魔すんなよ。こっちはこっちで楽しんでんだからよ」 「楽しんでんのはお前達だけだろ。明らかに嫌がられてんのが分からないのか? 脳ミソ正常か? そんな頭で、よくウチの高校に入れたな」 「あぁ?」  再度、五味はドスの効いた声を出した。しかし、必要以上に接近してこない。ボクサーである翔太を警戒しているのだろう。 「調子に乗るなよ、ボクサー。お前が俺に手ぇ上げたら、出るとこ出んぞ?」 「好きにしろよ──」  翔太がボクシングをしている目的は、試合に出るためでも、名誉を得るためでもない。五年も打ち込んできたボクシングは、確かに好きだ。好きだが、理想としている自分を捨ててしまうほどではない。  誰かを守れる自分になりたい。誰かを助けられる自分になりたい。陽向のように。 「──お前が出るとこ出るって言うなら、しばらくまともに喋れない体にしてやるよ。(あご)を徹底的にぶっ壊してな」  街灯の光と、月明かり。薄暗い校舎の前で、翔太はしばらく五味と睨み合った。  先に根を上げたのは、五味だった。苦し紛れに、再度舌打ち。 「行くぞ、里香」 「ええ? やっちゃうんじゃないの?」 「いいから行くぞ」 「はいはい」  里香を連れて、五味は夜道に消えていった。  立ち去る五味達の背中。苛立つ背中。  五味は、翔太の好きな人と付き合っている。それなのに、美智に付きまとっている。隣に、遊び相手の女を連れて。  翔太は、つい、五味の背中に挑発的な言葉を投げかけたくなった。胸の中にある不快感を吐き出すように。けれど、必死に堪えた。そんなことをしても、虚しいだけだ。  自分を落ち着かせるように大きく深呼吸をして、翔太は美智の方に向き直った。 「大丈夫か、花井さん」 「あ、うん、ありがとう」  美智は、安心したように笑顔を見せた。やっぱり美人だ、と思う。バスケットボールをしているからだろうか、身長は翔太より高い。美人な上に、スタイルまでいい。正直なところ、五味に付きまとわれるのも理解できる。納得はできないが。 「じゃあ、送るよ」  翔太も疲れているが、かといって、美智を一人で帰らせるのも心配だった。 「いいの? 宮川君、今、練習帰りなんでしょ? しかも、試合前なんだよね? 疲れてない?」 「大丈夫だよ。あいつがまた出てくるかも知れないしな」  美智と並んで、翔太は歩き出した。彼女の家は徒歩圏内らしい。翔太の家とは方向が違っていたが。  街灯に照らされる夜道。翔太はジムワークで、美智は部活で疲れている。並んで歩いていると、互いの汗のにおいが分かる。  歩きながら、美智が会話を切り出してきた。 「ありがとうね、宮川君。本当に困ってるんだ、五味には」 「だろうな。何考えてんだか。一緒に連れてたの、五味の遊び相手だろ。セフレみたいな感じの」 「そうだと思う。あの女、言ってたし。『なんなら三人でやってもいいから』って」 「気持ち悪いな」 「本当だよ」  どんな神経をしていたらそんな誘い方ができるのか。『脳ミソ正常か?』という先ほどの問いを、もう一度五味に向けたくなった。  詩織と付き合っていながら、里香と遊んで、さらに美智も口説いている。  ――クズが。  翔太は胸中で吐き捨てた。言葉の中に自分の嫉妬心が混じっていることを、自覚しながら。 「ねえ、宮川君」 「何だ?」 「格好良いよね、宮川君って」 「は?」  唐突に言われた美智の言葉に、つい間抜けな声が漏れた。 「颯爽と現れて、女の子を助けて。ボクシングでは全国レベルの強豪で、成績は学年でも常に三番内に入ってて」  どれも事実である。ついでに言うなら、テストの順位が三番に落ちたのは、今までで一度だけだ。三十八度の高熱を出しながらテストを受けたとき。そのとき以外は、常に一位を保っている。  とはいえ、面と向かって褒められると、つい照れてしまう。翔太は、どんな反応を見せればいいか分からなかった。  必死に勉強をしているのも、必死にボクシングをしているのも、目標があるからだ。  理想とする自分になりたい。陽向のように、誰かを助け、守れるような人間になりたい。  いつか、吸血鬼すら守れる人間になりたい。  国家レベルで管理と監視をされている吸血鬼すら守る。そのためには、国の中枢で働ける人間になる必要がある。どんな状況でも物怖じしない強さと胆力が必要だった。  必要だから頑張っている。翔太にとっては、それだけなのだ。  ひとしきり翔太を褒めた後、美智は、当たり前のように言った。 「はっきり言うけど、奪えばいいのに、なんて思うよ」 「?」  美智の言葉の意味が分からず、翔太は彼女の方を見た。少しだけ、見上げるような格好になった。 「奪うって、何が?」 「だから、詩織を五味から奪えばいいのに」 「──はぁ!?」  夜道で、つい大きな声を出してしまった。翔太は、詩織に惚れていることを美智に話したことはない。 「いや、あの、はい? 何で?」 「好きなんでしょ? 詩織のこと」 「いや、だから、何で?」  動揺のあまり、何で知ってるんだ、というところまで言葉を続けられない。  翔太の意図を察してくれたのか、美智は、あっさりと白状した。 「陽向に聞いた」 「あいつ、口軽過ぎだろ。フワッフワだろ。口が宙に浮くわ」  大きく溜め息をついて、顔を押さえる。今が夜でよかった。明るい場所だったら、赤面していることに気付かれてしまう。顔が熱い。  美智は楽しそうに笑った。 「私ね、宮川君って陽向と付き合ってるんだと思ってたんだよね。そのことを陽向に話したら、つい、って感じで口を滑らせてたの。『違う、付き合ってない。あいつは詩織が好きなんだから』って」 「あいつ、絶対、誘導尋問とかに弱いだろ」  再度、翔太は溜め息をついた。  恥ずかしいやら、気まずいやら。そんな翔太の心境を知ってか知らずか、美智は続けた。 「だから、奪えばいいと思うよ。五味なんかより、宮川君と付き合った方が絶対にいいもん」 「……」  返答に困った。頭を働かせた。咄嗟に、誤魔化しの回答を口にした。 「誰かから何かを奪うなんて、好きじゃないんだよ。もし三田さんが俺と付き合ってくれるなら、奪うんじゃなく、三田さんの意思で五味と別れて、付き合ってほしい。略奪なんてのは、何か汚くてな」 「そうかなぁ。詩織にとっても、あんなのと付き合ってるより、絶対にいいと思うけど」  納得いかない、という様子で美智の表情が曇った。すぐに、その表情が変わった。綺麗な顔に、明るさが見えた。 「そうだ」 「何だ?」 「宮川君さ、もうすぐ試合なんだよね?」 「ああ。今週の金、土、日と」 「じゃあ、応援に行くよ。詩織を連れて」 「……は?」 「格好いいとこ見せてあげなよ。詩織が、思わず惚れちゃうくらい」 「いや、ちょっと待てよ?」 「いいからいいから。奪うんじゃなく詩織の意思で宮川君を選ぶんならいいんでしょ?」 「いや、そうだけど」 「じゃあ、決まりだね」  断る隙すらない。  翔太にとっては恥ずかしい上に気まずい会話をしているうちに、いつの間にか、美智の家に着いていた。住宅街の一軒家。 「じゃあ、試合、頑張ってよ」  一方的に言って、美智は手を振って家の中に入っていった。玄関のドアを閉める前に、最後にもう一度「今日は本当にありがとうね」と言っていた。  美人で、スタイルもよくて。しかも、多少強引なところもあるけど、いい子だ。そりゃあ、モテるよな。三度目の溜め息をついて、翔太はそんなことを考えた。  美智の家に背を向けて、再び帰路につく。  胸の中には、少しだけ罪悪感があった。美智に嘘をついた、罪悪感。  五味と詩織を別れさせようとしないのは、奪うのが嫌だからではない。五味と別れた方が、絶対に詩織のためだ。そう断言できる。  それを詩織に直接言わないのは、嫌われたくないからだ。  誰だって、自分の好きなものは否定されたくない。詩織が五味にどんな魅力を感じているのかは分からないが、好きだから付き合っているのだろう。  そんな詩織に対して五味を否定する言葉を伝えると、どうなるか。決まっている。彼女に嫌われるだろう。  詩織が好きだ。だから、嫌われたくない。だから、五味から彼女を奪うような行動ができない。  何もできない自分が悔しくて、歯がゆくて、五味に嫉妬していた。  それでも詩織のことが好きで、いつも彼女を目で追っていた。 『応援に行くよ。詩織を連れて』  美智の言葉が、翔太の頭の中で再生された。  言われたときは少し困ったが、これはチャンスかも知れない。  自分の試合を見せることで、詩織に、少しでも意識してもらえたら。彼女の気持ちが、ほんのわずかでも自分の方を向いてくれたら。  気持ちが高揚してきた。  自分でも気付かないうちに、翔太は、早足になっていた。  試合の日が楽しみになってきた。
/57ページ

最初のコメントを投稿しよう!

20人が本棚に入れています
本棚に追加