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翔太は、横になっている詩織を見た。彼女と目が合った。
詩織は、瞳を潤ませていた。死ぬのが怖いとか、抵抗して逃げ伸びたいとか、そんなことを考えている様子ではない。ただ心配そうに、翔太を見つめていた。
「心配するなよ」
詩織を少しでも安心させたくて、翔太は、優しく微笑んで見せた。激痛で浮き出る冷や汗。汗は頬を伝い、顎から地面に落ちた。
「俺なら大丈夫だから」
俺なら大丈夫だから――俺なら、三田さんを助けられるから。
翔太は、飯田先生に視線を戻した。顔から笑みを消した。
「飯田先生。一つ、あんたに聞きたいんだけど」
「何だ?」
「あんたは、三田さんが陽向を呼び出したことを知ってたんだよな? だからここに来た」
「ああ」
「俺達の会話で、花井さんが殺された真相も知ったはずだ」
「そうだな」
「じゃあ、どうしてあんた達は、その時点で出てこなかった?」
飯田先生達は、おそらく銃を所持している。陽向や詩織と戦うためではない。麻酔か何か――彼女達を無力化させる銃弾が装填されているはずだ。
飯田先生の回答を待たず、翔太は続けた。
「回答はこうだ」
飯田先生の思惑。どうして詩織が犯人だと知りながら、彼女を捕まえなかったのか。どうして、刑事に混じって聞き込みなどを行なったのか。
聞き込みでの、飯田先生の質問を思い出した。
『美智と仲のいい友達に、彼氏がいる子はいるか』
聞き込みの場で、あんな思わせぶりな質問をしたのは――
「あんた達は――いや、この国は、できるだけ早く吸血鬼の存在そのものを排除したい。だけど、戦勝国の監視や国連での立場上、吸血鬼を理不尽に殺すことはできない。だから、この事件を都合よく利用して、吸血鬼の数を減らそうとしたんだ」
聞き込みで思わせぶりなことを言い、翔太や陽向に、犯人が詩織だと気付かせようとした。気付かせ、争わせ、潰し合いをさせようとした。
「陽向と三田さんが戦ったら、間違いなく三田さんが勝つ。そうすることで、三田さんに陽向を殺させることができる。さらに、三田さんも、合法的に死刑にできる。この事件は、あんた等にとっては都合がよかったんだ。吸血鬼を二人、正当な理由で減らすものとしてな」
「……大した想像力だな」
翔太は分かっていた。飯田先生は自分の思惑を明かしたりしない、と。それでも構わない。
「あんた達の思惑が分かっていたから、俺は、ある程度の準備をしてここに来た。殺されないために。かつ、殺さないために」
結果として五味は死んだが、正直なところ、彼のことはどうでもよかった。翔太は、自分がお人好しではないと自覚している。自分の好きな人を苦しめた五味。友人を殺した五味。あんな奴など、どうでもいい。
「で、あんたに聞きたいんだけど」
飯田先生は、陽向や詩織に罰則が科されると言った。それを前提にして、翔太は続けた。
「どうして二人が罰を受ける必要があるんだ? 陽向は、吸血鬼同士の闘争になる可能性があるから、俺をゾンビ化させただけだ。三田さんは、五味をゾンビ化させただけだ。死刑になるようなことをした――誰かを殺したわけじゃない」
美智を殺したのは五味だ。詩織が直接手を下したわけじゃない。五味の死因にしても、彼自身の行動が招いた結果だ。
ただ、翔太の知らない事実がひとつ。里香を殺したのは誰か。
里香の死がこの事件に関連していることは、間違いない。犯人は、五味か詩織のどちらかだろう。事件の人間関係や発生時期から、まったく無関係の者が犯人とは考えにくい。よほどの偶然が重ならなければ。
それならば、と思う。可能性の高い方を、事実として突き通してやる。
「花井さんを殺したのも、狩野里香を殺したのも五味だ。花井さんは五味の利己的な理由で。狩野里香は、痴情のもつれで」
飯田先生は、事実を知っているだろう。もしかしたら、犯人は五味ではないのかも知れない。飯田先生は口を割らないだろうが。
「お前が本件をどんなふうに捉えてるのかは、俺は知らん。だが、三田詩織は、三人の一般人の死に関与した。仮に、直接手を下していなかったとしても、だ。罰するには――死刑になるには、十分な理由だ」
「今さらだけど、吸血鬼に対する罰則ってのは、日本の刑法がまったく適用されないんだな。犯行時に十八歳未満なのに、死刑になるなんて」
「それが吸血鬼という生き物だ」
「ああ、そうかよ」
当たり前に言う飯田先生に、翔太は、少なくない苛立ちを覚えた。彼が口にした言葉。吸血鬼という生き物。
吸血鬼とは、どんな生き物なのか。どんなふうに生きているのか。改めて思い浮かべた。
人間よりも数段身体能力が優れている。人間の姿形をしながら、人間以上のことができる。普通の人間を強化することもできる。
戦争という悲惨な出来事のせいで生み出された。望んでもいないのに怪物になった。人の心を持ちながら、人として扱われない。
それが、吸血鬼という生き物。強さも優しさも否定される生き物。
でも、翔太は知っている。陽向の強さも。詩織の優しさも。
「なあ。さっきから監視してたってことは、あんた達も聞いてたんだろ?」
「何をだ?」
「俺の恥ずかしい告白」
飯田先生達に監視されていることは、分かっていた。それでも翔太は、気持ちを伝えずにはいられなかった。詩織の言葉を聞いたとき、気付いてしまったのだ。
『本当に、宮川君に好かれてる人が羨ましい。凄く大切にしてもらえそう』
そんなことを言う詩織が、どうして五味なんかを好きなったのか。どうして、五味なんかと付き合い続けたのか。
吸血鬼は、存在を否定されている。自分の存在を否定する教育を受ける。あの陽向ですら、小さな頃は暗かった。いつも俯いて歩いていた。まるで、全ての人間から疎まれていると錯覚しているように。
自分で自分を否定している。他人も自分を否定している。そう感じながら生きている吸血鬼が、誰かに優しくされたらどう思うか。
どれほど嬉しいだろう。どれほど幸せだろう。どれほど、その心地よさに縋りたくなるだろう。
五味は、そんな詩織の心につけ込んだのだ。だから詩織は、五味から離れられなかった。彼の言うことを、無条件で受け入れてしまうほどに。
「三田さんと話して、昔の陽向を思い出して、つくづく思ったよ。あんたらが吸血鬼にしている教育が、全ての要因だって。普通の人間だってそうだろうが。何もない自分に得られるものがあったら、それに縋りたくなるだろうが――」
絶望の淵にいるときに。真っ暗な闇に包まれたときに。もし、光が見えたら。その光を追うだろう。その光に希望があると、信じたくなるだろう。辛くても、苦しくても、幸せを求めて縋り続けるだろう。
「――人間なんだから!!」
人と違っていても、人と同じ心があるのだから。
「吸血鬼に対する教育方針が違っていれば、今回の事件は起こらなかったと言いたいのか?」
「そうだよ。少なくとも、三田さんが五味と付き合うことはなかった。五味が、三田さんを利用することもなかった」
公安の教育方針が違っていれば、今回の事件は起こらなかった。確かにその可能性はある。反面、別の吸血鬼が別の事件を起こしていた可能性だってある。人は、教育の通りには育たない。同時に、いかなる教育にも、必ずどこかに欠点はある。
それは翔太も分かっていた。けれど、言わずにはいられなかった。たとえ、飯田先生の心を動かすことはないとしても。
翔太の思っていた通り、飯田先生はまったく動じていなかった。迷うこともなかった。
「ただの結果論だな。ここでお前と教育論について語るつもりはない。もちろん、山陰陽向と三田詩織に相応の罰が科せられることにも、変わりはない」
「させないし、お前達にはできない」
再度、翔太は陽向を見た。視線を動かし、今度は詩織を見る。二人とも、翔太を心配そうに見ていた。今の状況に怯えている様子は、確かにある。だが、それ以上に、二人とも翔太の身を案じているようだった。
翔太は飯田先生を睨んだ。彼に対して体を斜に向けた。戦うときのように。
「二人とも、俺が絶対に守る」
「どうするつもりだ? 俺達と戦うつもりか?」
「ある意味ではそうだな」
「無駄だ。確かに、今のゾンビ化したお前なら、俺達全員を殺すことは可能だろう。だが、それだけだ。俺達が死んでも、他の者がお前達を――山陰陽向と三田詩織を捕らえに来る。遅かれ早かれ、こいつらは捕まり、罰せられる」
「勘違いするなよ。誰が単純暴力で戦うなんて言った? そんなふうに勝って吸血鬼が救われるなら、そもそも、こんな事件なんて起きてない」
「では、どうするつもりだ?」
翔太は、左手で詩織を指差した。正確には、翔太が詩織に預けたスマートフォンを。
「言ったよな? ここに来るまでの全てを録画した、って。もちろん、この状況も録画してる。この動画が拡散されたら、どうなると思う?」
世間に、吸血鬼の存在を公開する。世間が、吸血鬼を信じる証拠を手に入れる。それが、翔太が考えた、国に対抗する手段だった。動画は、それに最も適していた。だから、詩織が陽向を呼び出したことは、ある意味で好都合だった。
とはいえ、ただそれだけで、交渉の材料になるとは思っていない。相手は一般人ではない。国家だ。証拠となる動画を持っているだけでは、一切動じないだろう。極論を言えば、動画を拡散される前に翔太を殺せば、それで済んでしまうのだから。
「まあ、この動画を見ても、ただの特撮とか映画だと思う奴もいるだろうけどな。でも、同時に、あんたの姿と職業を拡散したら、信憑性は上がるだろうな。さらに、吸血鬼の存在を知ってる国連の連中が見たら、どうなると思う?」
言いながら、翔太は、飯田先生の顔の動きを凝視した。正確には、彼の口の動き。
言葉を発するべく、飯田先生の口が動いた。彼に合わせて、翔太も口を開いた。飯田先生の口調を真似て。
「所詮は高校生だな」
「所詮はガキだな」
飯田先生と翔太の声が、重なった。口にした言葉は多少違っていたが。
翔太は、小さく舌打ちした。ただし、余裕の笑みを浮かべて。
「くそ。そこは『高校生』だったか。きっちりハモッてやろうと思ったのに」
翔太の目の前で、初めて、飯田先生の表情が動いた。驚いたように目を見開いている。
「言っとくけど、こんな動画だけで、あんた達への脅しになるなんて思ってねぇよ。こんなもん、奪い取ればいい。いざとなれば俺も殺して、削除すればいい。バックに国があるなら、吸血鬼じゃない一般人を一人二人殺しても、隠蔽くらいは可能だしな」
飯田先生の口が、どこかぎこちなく、再び動いた。
「何を考えている? 宮川翔太」
飯田先生の声は、今までよりも少し低くなっていた。
「何だと思う?」
「いいから答えろ!」
飯田先生の声が、グラウンドに響いた。かすかに動いた表情。彼の感情が、初めて顔に出ていた。翔太の――『所詮は高校生』と思っていた者の、意図が読めない。
機械ではなく、感情がある。そんな飯田先生が、翔太の目の前にいた。
人間らしくていいね、と言ってやりたい。しかし、浮かべた笑みとは裏腹に、翔太にも余裕はなかった。目まいがするほどの右手の激痛。吐き気がするほどの眼球の痛み。今すぐ倒れてしまいそうなほどの頭痛。
そろそろ、余裕を見せるのも限界に近い。というより、すでに限界を超えている。それでも翔太は、苦しい顔など見せなかった。意地を張った。すぐ側に、好きな人がいるから。少し離れたところに、尊敬する親友がいるから。
「面談のときに、俺、飯田先生に教えたよな? 今はアプリの制作にハマッてるって。覚えてないか?」
「それがどうした?」
「まだ分からないか? じゃあ、あのとき教えたことを、もう一回言ってやるよ」
警察署で、翔太が飯田先生に話したこと。
「俺は今、アプリの制作に入れ込んでんだよ。撮影した動画を自動でサーバーに保存して、指定した予約日時に、自動的に動画サイトに投稿するアプリだ」
飯田先生の目元が動いた。ガラス玉のような瞳が揺れた。気付いたのだろう。翔太の狙いに。
「思い出したか? で、ここまで言えば分かるだろ?」
「……お前が投稿予約を解除しない限り、今撮っている動画も自動で拡散されるということか」
「正、解」
続けざまに、翔太は、飯田先生を挑発してやろうと思った。だが、言葉に詰まった。目まいと激痛で吐き気がひどい。「正解」と言ったところで、胃液が喉までせり上がってきた。胃液を飲み込んだことで、声を止めてしまった。
もう少し。もう少しだけ耐えろ。胸中で、自分を叱咤した。陽向と詩織の安全を確保できるまで、心を折るわけにはいかない。
「ちなみに、アプリを開く場合はロックを解除する必要がある。どうやって解除するかは、当然秘密だ。パスワードかも知れないし、指紋認証かも知れない。あるいは、虹彩認証かもな。さらに、二重ロックまでかけてたりして」
飯田先生の鉄仮面が、崩れている。機械のようだった彼は、すっかり人間になっていた。
「俺の自作のアプリだから、俺にしか使えない。ロジックが分かれば専門家は使えるだろうけど、それを公開するつもりもない。投稿予約はかなり短いスパンで設定していて、予約時刻はランダムで、もう十五年先まで設定してる」
「……」
「作成に苦労したのは、やっぱりセキュリティ面だな。通信ログも操作ログも辿れないように徹底した。アクセスログが完全に消えるように作った」
「……」
「どうする? 飯田先生。陽向や三田さんを罰して、吸血鬼の存在を世界レベルで拡散するか? それとも、陽向と三田さんと、ついでに俺の安全も保証して、今まで通り機密保持に努めるか」
さっさと俺の要求を飲めよ。
立っているのも辛いほどの苦痛に襲われている。もう、この場に崩れ落ちてしまいたい。
そんな思いに駆られながら、それでも翔太は、飯田先生を睨み続けた。
余裕のある表情を崩さずに。
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