第三十三話 背中に、親友と好きな人を背負って

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 翔太は、横になっている詩織を見た。彼女と目が合った。  詩織は、瞳を潤ませていた。死ぬのが怖いとか、抵抗して逃げ伸びたいとか、そんなことを考えている様子ではない。ただ心配そうに、翔太を見つめていた。 「心配するなよ」  詩織を少しでも安心させたくて、翔太は、優しく微笑んで見せた。激痛で浮き出る冷や汗。汗は頬を伝い、顎から地面に落ちた。 「俺なら大丈夫だから」  俺なら大丈夫だから――俺なら、三田さんを助けられるから。  翔太は、飯田先生に視線を戻した。顔から笑みを消した。 「飯田先生。一つ、あんたに聞きたいんだけど」 「何だ?」 「あんたは、三田さんが陽向を呼び出したことを知ってたんだよな? だからここに来た」 「ああ」 「俺達の会話で、花井さんが殺された真相も知ったはずだ」 「そうだな」 「じゃあ、どうしてあんた達は、その時点で出てこなかった?」  飯田先生達は、おそらく銃を所持している。陽向や詩織と戦うためではない。麻酔か何か――彼女達を無力化させる銃弾が装填されているはずだ。  飯田先生の回答を待たず、翔太は続けた。 「回答はこうだ」  飯田先生の思惑。どうして詩織が犯人だと知りながら、彼女を捕まえなかったのか。どうして、刑事に混じって聞き込みなどを行なったのか。  聞き込みでの、飯田先生の質問を思い出した。 『美智と仲のいい友達に、彼氏がいる子はいるか』  聞き込みの場で、あんな思わせぶりな質問をしたのは―― 「あんた達は――いや、この国は、できるだけ早く吸血鬼の存在そのものを排除したい。だけど、戦勝国の監視や国連での立場上、吸血鬼を理不尽に殺すことはできない。だから、この事件を都合よく利用して、吸血鬼の数を減らそうとしたんだ」  聞き込みで思わせぶりなことを言い、翔太や陽向に、犯人が詩織だと気付かせようとした。気付かせ、争わせ、潰し合いをさせようとした。 「陽向と三田さんが戦ったら、間違いなく三田さんが勝つ。そうすることで、三田さんに陽向を殺させることができる。さらに、三田さんも、合法的に死刑にできる。この事件は、あんた等にとっては都合がよかったんだ。吸血鬼を二人、正当な理由で減らすものとしてな」 「……大した想像力だな」  翔太は分かっていた。飯田先生は自分の思惑を明かしたりしない、と。それでも構わない。 「あんた達の思惑が分かっていたから、俺は、ある程度の準備をしてここに来た。殺されないために。かつ、殺さないために」  結果として五味は死んだが、正直なところ、彼のことはどうでもよかった。翔太は、自分がお人好しではないと自覚している。自分の好きな人を苦しめた五味。友人を殺した五味。あんな奴など、どうでもいい。 「で、あんたに聞きたいんだけど」  飯田先生は、陽向や詩織に罰則が科されると言った。それを前提にして、翔太は続けた。 「どうして二人が罰を受ける必要があるんだ? 陽向は、吸血鬼同士の闘争になる可能性があるから、俺をゾンビ化させただけだ。三田さんは、五味をゾンビ化させただけだ。死刑になるようなことをした――誰かを殺したわけじゃない」  美智を殺したのは五味だ。詩織が直接手を下したわけじゃない。五味の死因にしても、彼自身の行動が招いた結果だ。  ただ、翔太の知らない事実がひとつ。里香を殺したのは誰か。  里香の死がこの事件に関連していることは、間違いない。犯人は、五味か詩織のどちらかだろう。事件の人間関係や発生時期から、まったく無関係の者が犯人とは考えにくい。よほどの偶然が重ならなければ。  それならば、と思う。可能性の高い方を、事実として突き通してやる。 「花井さんを殺したのも、狩野里香を殺したのも五味だ。花井さんは五味の利己的な理由で。狩野里香は、痴情のもつれで」  飯田先生は、事実を知っているだろう。もしかしたら、犯人は五味ではないのかも知れない。飯田先生は口を割らないだろうが。 「お前が本件をどんなふうに捉えてるのかは、俺は知らん。だが、三田詩織は、三人の一般人の死に関与した。仮に、直接手を下していなかったとしても、だ。罰するには――死刑になるには、十分な理由だ」 「今さらだけど、吸血鬼に対する罰則ってのは、日本の刑法がまったく適用されないんだな。犯行時に十八歳未満なのに、死刑になるなんて」 「それが吸血鬼という生き物だ」 「ああ、そうかよ」  当たり前に言う飯田先生に、翔太は、少なくない苛立ちを覚えた。彼が口にした言葉。吸血鬼という生き物。  吸血鬼とは、どんな生き物なのか。どんなふうに生きているのか。改めて思い浮かべた。  人間よりも数段身体能力が優れている。人間の姿形をしながら、人間以上のことができる。普通の人間を強化することもできる。  戦争という悲惨な出来事のせいで生み出された。望んでもいないのに怪物になった。人の心を持ちながら、人として扱われない。  それが、吸血鬼という生き物。強さも優しさも否定される生き物。  でも、翔太は知っている。陽向の強さも。詩織の優しさも。 「なあ。さっきから監視してたってことは、あんた達も聞いてたんだろ?」 「何をだ?」 「俺の恥ずかしい告白」  飯田先生達に監視されていることは、分かっていた。それでも翔太は、気持ちを伝えずにはいられなかった。詩織の言葉を聞いたとき、気付いてしまったのだ。 『本当に、宮川君に好かれてる人が羨ましい。凄く大切にしてもらえそう』  そんなことを言う詩織が、どうして五味なんかを好きなったのか。どうして、五味なんかと付き合い続けたのか。  吸血鬼は、存在を否定されている。自分の存在を否定する教育を受ける。あの陽向ですら、小さな頃は暗かった。いつも(うつむ)いて歩いていた。まるで、全ての人間から(うと)まれていると錯覚しているように。  自分で自分を否定している。他人も自分を否定している。そう感じながら生きている吸血鬼が、誰かに優しくされたらどう思うか。  どれほど嬉しいだろう。どれほど幸せだろう。どれほど、その心地よさに縋りたくなるだろう。  五味は、そんな詩織の心につけ込んだのだ。だから詩織は、五味から離れられなかった。彼の言うことを、無条件で受け入れてしまうほどに。 「三田さんと話して、昔の陽向を思い出して、つくづく思ったよ。あんたらが吸血鬼にしている教育が、全ての要因だって。普通の人間だってそうだろうが。何もない自分に得られるものがあったら、それに縋りたくなるだろうが――」  絶望の淵にいるときに。真っ暗な闇に包まれたときに。もし、光が見えたら。その光を追うだろう。その光に希望があると、信じたくなるだろう。辛くても、苦しくても、幸せを求めて縋り続けるだろう。 「――人間なんだから!!」  人と違っていても、人と同じ心があるのだから。 「吸血鬼に対する教育方針が違っていれば、今回の事件は起こらなかったと言いたいのか?」 「そうだよ。少なくとも、三田さんが五味と付き合うことはなかった。五味が、三田さんを利用することもなかった」  公安の教育方針が違っていれば、今回の事件は起こらなかった。確かにその可能性はある。反面、別の吸血鬼が別の事件を起こしていた可能性だってある。人は、教育の通りには育たない。同時に、いかなる教育にも、必ずどこかに欠点はある。  それは翔太も分かっていた。けれど、言わずにはいられなかった。たとえ、飯田先生の心を動かすことはないとしても。  翔太の思っていた通り、飯田先生はまったく動じていなかった。迷うこともなかった。 「ただの結果論だな。ここでお前と教育論について語るつもりはない。もちろん、山陰陽向と三田詩織に相応の罰が科せられることにも、変わりはない」 「させないし、お前達にはできない」  再度、翔太は陽向を見た。視線を動かし、今度は詩織を見る。二人とも、翔太を心配そうに見ていた。今の状況に怯えている様子は、確かにある。だが、それ以上に、二人とも翔太の身を案じているようだった。  翔太は飯田先生を睨んだ。彼に対して体を斜に向けた。戦うときのように。 「二人とも、俺が絶対に守る」 「どうするつもりだ? 俺達と戦うつもりか?」 「ある意味ではそうだな」 「無駄だ。確かに、今のゾンビ化したお前なら、俺達全員を殺すことは可能だろう。だが、それだけだ。俺達が死んでも、他の者がお前達を――山陰陽向と三田詩織を捕らえに来る。遅かれ早かれ、こいつらは捕まり、罰せられる」 「勘違いするなよ。誰が単純暴力で戦うなんて言った? そんなふうに勝って吸血鬼が救われるなら、そもそも、こんな事件なんて起きてない」 「では、どうするつもりだ?」  翔太は、左手で詩織を指差した。正確には、翔太が詩織に預けたスマートフォンを。 「言ったよな? ここに来るまでの全てを録画した、って。もちろん、この状況も録画してる。この動画が拡散されたら、どうなると思う?」  世間に、吸血鬼の存在を公開する。世間が、吸血鬼を信じる証拠を手に入れる。それが、翔太が考えた、国に対抗する手段だった。動画は、それに最も適していた。だから、詩織が陽向を呼び出したことは、ある意味で好都合だった。  とはいえ、ただそれだけで、交渉の材料になるとは思っていない。相手は一般人ではない。国家だ。証拠となる動画を持っているだけでは、一切動じないだろう。極論を言えば、動画を拡散される前に翔太を殺せば、それで済んでしまうのだから。 「まあ、この動画を見ても、ただの特撮とか映画だと思う奴もいるだろうけどな。でも、同時に、あんたの姿と職業を拡散したら、信憑性は上がるだろうな。さらに、吸血鬼の存在を知ってる国連の連中が見たら、どうなると思う?」  言いながら、翔太は、飯田先生の顔の動きを凝視した。正確には、彼の口の動き。  言葉を発するべく、飯田先生の口が動いた。彼に合わせて、翔太も口を開いた。飯田先生の口調を真似て。 「所詮は高校生だな」 「所詮はガキだな」  飯田先生と翔太の声が、重なった。口にした言葉は多少違っていたが。  翔太は、小さく舌打ちした。ただし、余裕の笑みを浮かべて。 「くそ。そこは『高校生』だったか。きっちりハモッてやろうと思ったのに」  翔太の目の前で、初めて、飯田先生の表情が動いた。驚いたように目を見開いている。 「言っとくけど、こんな動画だけで、あんた達への脅しになるなんて思ってねぇよ。こんなもん、奪い取ればいい。いざとなれば俺も殺して、削除すればいい。()()()に国があるなら、吸血鬼じゃない一般人を一人二人殺しても、隠蔽(いんぺい)くらいは可能だしな」  飯田先生の口が、どこかぎこちなく、再び動いた。 「何を考えている? 宮川翔太」  飯田先生の声は、今までよりも少し低くなっていた。 「何だと思う?」 「いいから答えろ!」  飯田先生の声が、グラウンドに響いた。かすかに動いた表情。彼の感情が、初めて顔に出ていた。翔太の――『所詮は高校生』と思っていた者の、意図が読めない。  機械ではなく、感情がある。そんな飯田先生が、翔太の目の前にいた。  人間らしくていいね、と言ってやりたい。しかし、浮かべた笑みとは裏腹に、翔太にも余裕はなかった。目まいがするほどの右手の激痛。吐き気がするほどの眼球の痛み。今すぐ倒れてしまいそうなほどの頭痛。  そろそろ、余裕を見せるのも限界に近い。というより、すでに限界を超えている。それでも翔太は、苦しい顔など見せなかった。意地を張った。すぐ側に、好きな人がいるから。少し離れたところに、尊敬する親友がいるから。 「面談のときに、俺、飯田先生に教えたよな? 今はアプリの制作にハマッてるって。覚えてないか?」 「それがどうした?」 「まだ分からないか? じゃあ、あのとき教えたことを、もう一回言ってやるよ」  警察署で、翔太が飯田先生に話したこと。 「俺は今、アプリの制作に入れ込んでんだよ。撮影した動画を自動でサーバーに保存して、指定した予約日時に、自動的に動画サイトに投稿するアプリだ」  飯田先生の目元が動いた。ガラス玉のような瞳が揺れた。気付いたのだろう。翔太の狙いに。 「思い出したか? で、ここまで言えば分かるだろ?」 「……お前が投稿予約を解除しない限り、今撮っている動画も自動で拡散されるということか」 「正、解」  続けざまに、翔太は、飯田先生を挑発してやろうと思った。だが、言葉に詰まった。目まいと激痛で吐き気がひどい。「正解」と言ったところで、胃液が喉までせり上がってきた。胃液を飲み込んだことで、声を止めてしまった。  もう少し。もう少しだけ耐えろ。胸中で、自分を叱咤(しった)した。陽向と詩織の安全を確保できるまで、心を折るわけにはいかない。 「ちなみに、アプリを開く場合はロックを解除する必要がある。どうやって解除するかは、当然秘密だ。パスワードかも知れないし、指紋認証かも知れない。あるいは、虹彩(こうさい)認証かもな。さらに、二重ロックまでかけてたりして」  飯田先生の鉄仮面が、崩れている。機械のようだった彼は、すっかり人間になっていた。 「俺の自作のアプリだから、俺にしか使えない。ロジックが分かれば専門家は使えるだろうけど、それを公開するつもりもない。投稿予約はかなり短いスパンで設定していて、予約時刻はランダムで、もう十五年先まで設定してる」 「……」 「作成に苦労したのは、やっぱりセキュリティ面だな。通信ログも操作ログも辿れないように徹底した。アクセスログが完全に消えるように作った」 「……」 「どうする? 飯田先生。陽向や三田さんを罰して、吸血鬼の存在を世界レベルで拡散するか? それとも、陽向と三田さんと、ついでに俺の安全も保証して、今まで通り機密保持に努めるか」  さっさと俺の要求を飲めよ。  立っているのも辛いほどの苦痛に襲われている。もう、この場に崩れ落ちてしまいたい。  そんな思いに駆られながら、それでも翔太は、飯田先生を睨み続けた。  余裕のある表情を崩さずに。
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