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エピローグ・翔太 ~吸血鬼を太陽のもとに連れ出したい~
雪が降っていた。
昼間の午後二時。今日の最高気温はマイナス三度。最低気温はマイナス六度。
氷点下の空の下で降る雪は、サラサラとしていた。まるで、白い花びらのようだった。
十二月二十四日。クリスマス・イヴ。
翔太は、地元の国立大学に向かっていた。地下鉄駅二つ分にまたがる、大型の大学。目的地は、大学の敷地内にある施設。詩織が収監されている場所。
詩織が収監されてから、翔太は、度々彼女に面会に行った。もちろん、勉強を疎かにしない範囲で。もうジム通いをしていないから、そのぶん時間に余裕があった。
面会時は、必ず誰かに監視されていた。翔太の知らない顔ばかりだったが、間違いなく公安の人間だろう。飯田先生が監視についたこともあった。
監視がいるので滅多なことは言えないが、自分の気持ちを詩織に伝えるのは問題ないと思っていた。
翔太は、グラウンドで、飯田先生達に見られながら詩織に告白したのだ。監視の前で自分の気持ちを口にすることに、何の抵抗もなかった。
面会のたびに、詩織に自分の気持ちを伝えて。彼女の反応を見て。
翔太の心に、引っ掛かっていることがあった。
詩織は、翔太の告白に対して「嬉しい」と言っていた。しかし、翔太のことを「好き」とは、一度も言ってくれていない。
もしかして、と思う。嬉しいけど恋愛感情はない、ということなのか――と。
たとえ自分の恋愛が成就しなくても、詩織を助けたいという気持ちに変わりはない。詩織だけではなく、吸血鬼という存在を助けたい。
けれど、やっぱり。翔太が一番に考えるのは、詩織のことだった。ずっと想い続けていた女の子。
大学の敷地内に入った。詩織が収監されている施設。関係者以外立ち入り禁止の看板が立っている。
施設内に入り、翔太は、玄関口にある受付で自分の身分を明かした。
事件の関係者であり、吸血鬼の存在を知っている人間であり、さらに、何度も詩織の面会に来ている翔太。その存在は、すっかり関係者の知るところとなっていた。
吸血鬼との面会は、一般的な受刑者との面会と違っていた。一般的な受刑者との面会は、アクリル板のようなものを挟んで行なう。事実かどうかは知らないが、ドラマなどの知識から、翔太はそう思っていた。
しかし、詩織との面会は、直接対面の形式で行なわれた。もちろん、他の者が立ち入らない個室ではあるが。
受付をして、翔太は面会室に通された。
狭い個室。中央部に置かれた机と、対面式に置かれた椅子。窓すらない、殺風景な部屋。広さは十畳ほどか。ドアが二つある。面会者が出入りするドアと、受刑者や監視者が出入りするドア。
何度か訪れたときと同じように、椅子に座って詩織を待った。
しばらくして、受刑者や監視者用のドアが開いた。面会室に、詩織が入ってきた。彼女に続いて、監視者も入ってくる。今日の監視役は、飯田先生だった。
飯田先生は、入口付近で翔太達の様子を見ている。相変わらずの、鉄仮面のような表情。グラウンドで見せた人間らしい様子は、まったく残っていなかった。
詩織が、翔太と向かい合うように椅子に座った。
「いつも来てくれてありがとう、宮川君」
「礼を言われるようなことじゃないよ。俺が、三田さんに会いたくて来てるんだから」
これは正直な気持ちだった。吸血鬼を救いたいという気持ちは、確かにある。けれど、それだけじゃない。できるだけ、好きな人と一緒にいたい。
一回の面会時間は、最長で三十分。一日の面会の回数は一回まで。つまり、どんなに頑張っても、詩織とは毎日三十分しか会えない。
その短い時間の中で、できるだけ、詩織との仲を深めたかった。もちろん、彼女に拒否されなければ、だが。
詩織は、寂しそうに微笑んでいた。どこか苦しそうで、でも、無理をして微笑んでいる。そんな様子だった。
「三田さん、何かあったのか?」
翔太が聞くと、詩織の顔から笑みが消えた。泣きそうな表情。翔太から目をそらし、顔を伏せた。
「俺が力になれるかは分からないけど、もし嫌じゃなければ、話してくれないか?」
「……」
沈黙。詩織は、唇をキュッと結んだ。目が潤んでいた。
たった三十分しかない、詩織との面会時間。できるだけ言葉を交して、できるだけ気持ちを伝え合って、彼女との距離を縮めたい。そう思っているが、翔太は、急かそうとはしなかった。
この沈黙の時間も、詩織が悩む時間も、彼女と共有している時間。自分本位ではない、彼女の心に近付くための時間。
「昨日、ね――」
一、二分の沈黙の後、ようやく詩織が口を開いた。
「――お父さんとお母さんが、面会に来たの」
翔太は、詩織の家族構成を頭に浮かべた。彼女は、陽向よりも高濃度の吸血鬼だ。五十パーセントを超える濃度の吸血鬼。両親のどちらかが人間であれば、絶対に生まれることのない濃度。つまり、両親ともに吸血鬼であることを意味する。
一ヶ月ほど前の会議で、今回の事件の処分が決定した。詩織だけではなく、彼女の両親に対しても再教育が行なわれる。その両親が面会に来た。ということは、詩織とは違い、両親は収監されていないのだろう。
考え込む翔太の前で、詩織は、悲しそうに言った。
「なんかね、私、お父さんとお母さんに嫌われたみたい」
悲しそうなのに、無理に笑っていた。涙が浮かんだ目を、細めていた。
「産まなきゃよかった、って言われちゃった」
「――!」
言葉に詰まった。詩織に対して、翔太は、かける言葉を見つけられなかった。
翔太の家は、経済的には決して恵まれない。父親もいない。世間一般の中流家庭の人間に言わせれば「可哀相な子」だ。実際に、そんな言葉をかけられたこともある。
だが、翔太は、自分を幸せだと思っていた。父を亡くした後も、母は翔太を一生懸命育ててくれた。惜しむことのない愛情をくれた。
陽向もそうだ。詩織と同じ、吸血鬼。それでも、これ以上ないくらいに両親に愛されている。
二人とも、詩織とは違う。だから、何を言っていいか分からない。
「それでね、心配で」
「心配?」
思いもしない言葉が詩織の口から出てきて、つい、翔太は聞き返した。両親に言われたことが悲しいでもなく、苦しいでもなく、心配。
「心配って、何が?」
「あの、ね。私、猫飼ってるんだ。黒猫で、凄く可愛いの」
黒猫。その言葉で翔太が思い浮かべるのは、ただひとつだった。
「もしかして、事故に遭った猫か? 一年半くらい前に、三田さんが助けてた」
「見てたの?」
翔太は頷いた。
「反対車線からだけど、見てた。そっか。助かったんだ。よかった」
聖母のようにすら見えた、あのときの詩織。その優しく綺麗な姿に、翔太は心を奪われたのだ。
「実はさ、あれがキッカケなんだよな」
「?」
「俺が三田さんに惚れたキッカケ」
「!」
詩織は頬を赤くした。暗いグラウンドのときとは違い、彼女の頬の色までよく見える。どうやら、まったく脈なしというわけではないらしい。
本当はグイグイと気持ちを伝えて、詩織の本心を聞き出したい。振り向かせたい。そんな自分の欲求を抑えて、翔太は話を続けた。
「それで、心配って?」
自分の気持ちよりも、今は、詩織の心配ごとをどうにかしたい。
「……お父さんとお母さん、福の――私の猫の面倒なんて、見てくれないんじゃないかな、って」
なるほど、と思った。詩織に対して「産まなきゃよかった」などと言う親だ。彼女の飼っていた猫を大切にするとは思えない。
翔太は机の上に身を乗り出し、詩織に顔を近付けた。
「なあ、三田さん。ひとつ、提案」
「何?」
「その猫――福、だっけ? 俺に譲ってくれないか?」
「!」
詩織は目を見開いた。
「いいの? お願いしても」
「ああ」
頷いて、翔太は悪戯っぽく笑って見せた。
「俺も、福が無事だったのか、気になってたしな。それに――」
「何?」
「――三田さんに会いに来る口実にもなるから。福の様子を伝えに来た、って」
冗談のように言ったものの、半分は本気だった。詩織が守った子なら、翔太も守りたいと思っていた。福を通じて、彼女との関係を深くしたいという下心もあった。
翔太の言葉に、詩織は照れ臭そうな顔を見せた。相変わらず、頬が赤い。しかし、すぐに表情が変わった。どこか心苦しそうな顔。
「宮川君」
「ん?」
「私ね、宮川君に告白してもらえて、本当に嬉しかったの。泣いちゃうくらいに嬉しかったの。私なんかを好きになってくれて、ありがとう。本当に……」
私なんか、なんて言うなよ。喉まで出かかった言葉を、翔太は飲み込んだ。どれだけ言葉で否定しても、詩織の心は、簡単には変らない。幼い頃から心を縛り続けた鎖は、簡単には千切れない。
だから、ゆっくりと解いていきたい。他の誰でもない、自分が。自分が、詩織の心を解き放ちたい。
そんな翔太の意思とは裏腹に、詩織は続けた。
「本当に嬉しかった。だから、これで充分。宮川君に出会えて、一時でも好きになってもらえた。それで充分なの」
「まだ足りない。俺が、全然充分じゃない」
詩織は首を横に振った。机の上に、両手を乗せる。両手の指と指を合せた。
「私はね、どうしようもない罪を犯した吸血鬼だから。生き永らえて、やり直す機会を貰えただけで贅沢過ぎるよ。だから、ね。もっといい人を見つけて。宮川君を支えられる人を見つけて。私なんかじゃなく」
「無理だよ。完全にフラれでもしない限り、諦められない。もしかしたら、フラれても諦めないかも」
詩織は少しだけ、嬉しそうに笑った。嬉しそうで、悲しそうだった。困ったように眉をハの字にしていた。
「私はね、宮川君には陽向ちゃんが似合うと思う。付き合ってるように見えるくらいお互いを大切にしてて、お互いを尊敬してて。宮川君と陽向ちゃんが、一番自然だと思うよ」
詩織の表情を見る限り、翔太の好意を迷惑とは感じていないようだ。嬉しいという彼女の言葉に、嘘はないだろう。それでも、翔太の好意を受け入れてくれない。
翔太は溜め息をついた。
「とりあえず今は、三田さんを諦められそうにないから」
諦められない。吸血鬼を救いたいと思っているが、それだけじゃない。詩織に手を差し伸べる役目は、自分が。
詩織は「これで充分」と言った。でも、まだだ。確かに彼女を助けられたが、それは一時的なものだ。その理由を言いそうになって、翔太は口を固く結んだ。
すぐ側に飯田先生がいる。この事実を、飯田先生の前では話せない。誰にも話せない。
動画の自動投稿アプリを開発した――それが嘘だなんて、言えない。
飯田先生の――その先にいる国家への切り札として、翔太は、当初、本気でアプリの開発を計画した。アプリのプログラミングはできそうだし、撮影した動画を自動保存するのも難しくなかった。
問題は、動画データの保管場所とセキュリティだった。
レンタルサーバーを契約して保管したとしよう。その場合は、確実に、契約先を突き止められて削除される。
仮に、自己サーバーを構築して保存したとしよう。それでも、通信ログを解析されて保存場所を特定されたら、やはり削除される。
それらの問題をクリアするには、技術と財力が足りない。
だから、ハッタリで乗り切った。
もっとも、ハッタリとはいえ、この駆け引きに勝てる公算は高いと踏んでいた。
飯田先生達は――この国は、徹底的にリスクを回避しなければならない。たとえ翔太の話を嘘だと思っていても、万が一ということがある。そう考えた場合、リスクの比較をするはずだ。つまり、翔太の話を嘘と断定して、世界中に吸血鬼の存在を拡散するリスクを負うか。もしくは、翔太の話を本当だとして、陽向や詩織を見逃すか。
詩織は、私利私欲で人殺しに加担したわけではない。その事実から、国家が負うリスクが低いのは、明らかに彼女達を見逃す方だった。
翔太はハッタリで国の中枢に関わる人間を翻弄し、なんとか陽向や詩織を助けた。とはいえ、こんな状況では、とても救えたなどとは言えない。
本当の意味で、吸血鬼を救いたい。本当の意味で、詩織を救いたい。
できることなら、自分が詩織の手を取って、明るい世界に連れ出したい。
だから。
「三田さん」
「何?」
「俺は絶対に、三田さんを連れ出すから」
監視している飯田先生が「おい」と声を上げた。
飯田先生が、翔太の言葉を別の意味に捕らえた。そう気付いて、翔太は苦笑した。
「いやいや、違うから。別に、三田さんを連れて脱獄めいたことをしようってわけじゃないから」
詩織に、幸せになってもらいたい。吸血鬼が生きている暗い日陰ではなく、幸せな光が満ちる場所へ連れ出したい。
翔太は、机の上にある詩織の両手を握った。少し大胆かな、などと思いつつ。宝物に触れるように、自分の両手で、彼女の両手を包んだ。
詩織は驚いたような顔で、翔太を見つめてきた。
小柄な詩織の、小さな手。翔太の両手にスッポリと収まってしまう。握った感触が心地いい。彼女の体温が伝わってくる。
翔太は、同じ言葉を繰り返した。
「絶対に、三田さんを連れ出すから」
いつか、この小さく温かい手を引いて。絶対に、詩織を笑顔にして。
太陽のような、明るい光が差す場所に――
(終)
※本編は完結ですが、最後におまけを投稿します。
よろしければ、もう少しお付合いくださいm(_ _)m
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