プロローグ~こんなふうに格好よくなりたい~

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プロローグ~こんなふうに格好よくなりたい~

 思い切り殴られて、宮川(みやがわ)翔太(しょうた)はその場に倒れ込んだ。  小学校六年。学年の中では小柄な方だ。短く切り揃えられた髪の毛に、同級生の中でも特に幼い顔立ち。その頬が、殴られたことで腫れ上がってきていた。  痛みを堪えて、翔太はすぐに立ち上がった。目の前には、三人の高校生。彼等の後ろには、同じクラスの田村(たむら)がいる。四人とも、嫌な笑みを浮かべていた。  夕方の公園。翔太の家であるマンションから、歩いて五分ほどの場所。大きな公園で、トイレもある。  翔太を含めた五人がいるのは、そのトイレの近く。この公園は、翔太が通う小学校の通学路に位置していた。  学校帰りに、突然この四人に絡まれた。高校生の一人は、田村の兄らしい。  なぜ、いきなり絡まれ、四人がかりで喧嘩を売られたのか。その心当たりがないわけではない。というより、明確に心当たりがあった。  一昨日、昼休み中に、田村達が気の弱いクラスメイトをイジメていた。どこにでもある、でも気分の悪い、教室内のイジメ。  イジメられっ子が泣き始めると、田村達のイジメはさらにエスカレートした。  翔太は別に、正義の味方を気取るつもりなどなかった。ただ、気に食わなかった。田村とその取り巻きの三人が、たった一人を標的にしてイジメているのが。  圧倒的優位な立場で弱い者をイジメて楽しむ、クソ野郎。  クラスメイトは、誰も助けに入らない。イジメられっ子を助けることで自分が次の標的になることを、恐れているのだ。だから、先生に告げ口することもできない。  田村は、クラスの中でいつも威張り散らしていた。喧嘩の強い高校生の兄がいて、自分に何かあったら仕返ししてくれる。そんなことを吹聴(ふいちょう)していた。  強い奴を背にして威張っている。そんな奴が、四人がかりで一人をイジメている。胸くそ悪い光景。イジメている奴等を醜悪に感じれば感じるほど、イジメられている奴を助けたくなる。  翔太は、イジメに割り込んだ。  とりあえず、田村の取り巻きの一人を殴った。鼻っ面を、思い切り。  こんなふうに誰かを助けるのは、初めてではない。だから翔太は熟知していた。圧倒的な戦力差がない限り、喧嘩は速攻と勢いで勝てる。  唐突に殴られた田村の取り巻きは、顔を押さえてその場に(うずくま)った。鼻血が出ていた。  間髪おかず、翔太は二人目も殴り倒した。一人目と同じように鼻血を出して、泣き出した。  さらに、三人目の髪の毛を掴んた。そのまま振り回し、顔面に膝を見舞った。他の二人と同じように鼻血を出して、泣いた。  残るは田村一人となった。  三人を殴り倒したからとって、翔太は間を置いたりしない。左手で、田村の髪の毛を鷲掴みにした。小学生のくせに茶色に染めた髪の毛。  掴んだ髪の毛を引っ張り、顎を上げさせて、顔の中心に思い切り頭突きを食らわせた。ゴンッという鈍い音が、翔太の耳の奥に響いた。  結局、田村も、鼻血を出しながら泣き出した。  それが、一昨日の出来事。  そして今。翔太は学校帰りに待ち伏せされ、こうして仕返しされている。田村の兄と、その友人らしい奴等に。  田村に手を出したら、本当に高校生の兄貴が出てくるんだ。しかも、三人がかりで。そりゃあ、誰もコイツに逆らわないよなぁ。翔太は、漠然とそんなことを考えていた。  田村とその兄は、よく似ていた。顔立ちもそうだが、嫌な笑い方がそっくりだった。圧倒的優位な立場で弱い者を虐げる、下衆野郎。 「どうしたんだよ? せっかく一対一(タイマン)でやってやってんだ。かかってこいよ」  ニヤニヤしながら、田村の兄が挑発してきた。彼の後ろで、同じような顔をした田村も笑っている。  どうせ、危うくなったら他の奴等が助太刀(すけだち)に入るんだろ。一対一(タイマン)が聞いて呆れる。  胸中で悪態を突きつつ、翔太は、田村の兄に向かっていった。こんな奴等に屈服するのは、絶対に嫌だった。 「おっと、足が滑ったぁ!」  田村の兄に殴りかかろうとしたら、横から蹴りを入れられた。田村の兄の友人だった。  小柄な翔太は、吹っ飛ばされるように再び倒れた。立ち上がりながら、舌打ちした。自分の甘さに苛立った。田村の兄が危うくならなくても、こいつらは手を出してくる。そんなことすら予測できないなんて。  公園近くの道を、何人かが通り過ぎてゆく。誰も彼も、こちらを見ない振りをして。面倒事は避けたいのだろう。  そんな中で、親子と思われる女性と少女が、立ち止まってこちらを見ていた。  遠目からでも分かるほど、母親は綺麗な女性だった。太陽の光を浴びた長いストレートの髪は、綺麗な茶色だった。染めたものではない、天然の茶色。  娘の方は、髪の毛をポニーテールにしていた。母親と同じような、天然の茶色の髪。  彼女達に、翔太は見覚えがあった。  自宅のマンションで、翔太の家の隣に住んでいる親子だ。確か、山陰(やまかげ)、という名字だったはずだ。  娘の名前は──  記憶を探る。そうだ。陽向(ひなた)だ。山陰陽向。翔太と同級生の女の子。  同級生なのに、陽向は、翔太達の小学校には通っていない。私立の学校にでも通っているのだろう。翔太はそう推測していた。  翔太の陽向に対する印象は、いいものではなかった。いつも俯いて歩いていて、挨拶をしても会釈(えしゃく)を返すだけ。陰気で、暗い。  どうせ今も、俺のことを馬鹿だと思いながら見ているんだろう。苛立ちながら、翔太は血を吐き捨てた。口の中が鉄臭い。  再び、田村の兄に向かってゆく。すぐに殴り倒された。耳に入ってくる田村の笑い声に、苛ついた。 「やめなさいよ!」  唐突に、大声が響いた。女の子の声。  声の方を見た。いつの間にか、陽向がすぐ近くに来ていた。さっきまで公園の外にいたのに。  陽向は、倒れている翔太の前でしゃがみ込んだ。 「大丈夫? 立てる? って、うわ。顔、凄い腫れてる」  思いもよらない展開に、翔太は、口を開けて呆けてしまった。口の中から、血が垂れてきた。 「なんだお前?」  舌を巻いた口調。田村の兄が、陽向を睨んでいた。翔太よりも小柄な、まだ小学生の女の子に対して。  恥知らずかよ、こいつ。いや、恥なんて言葉、知らないんだろうな。だから、四人がかりで、小学生に仕返しなんてできるんだ。  こんな恥知らずな奴等だから、陽向にだって手加減などしないだろう。  危機感を覚えて、翔太はすぐに立ち上がった。少し足がフラついた。でも、と思う。せめて、陽向だけは逃がしてやらないと。  陽向は、右手にゴムボールのような物を持っていた。思い切り顔面に当てられても怪我ひとつしないような、柔らかいゴムボール。  まさか、こんな物を武器にして俺を助けるつもりだったのか?  陽向の考えを想像して、翔太は溜め息をつきたくなった。もしそうなのだとしたら、無茶どころじゃない。頭が悪いとさえ言える。可哀想なくらいに。  翔太の想像は、見事に当たっていた。陽向はゴムボールを持って、大きく振りかぶった。明らかに素人だと分かる投球フォーム。思い切り、ゴムボールを投げた。  次の瞬間、信じられないことが起こった。  翔太の目に、一筋の閃光が映った。陽向の手から、田村の兄の顔面に伸びた閃光。陽向の投げたゴムボールの軌跡。  バチンッと、ゴムボールが田村の兄の顔面に当たった。大きく跳ね上がる顎。田村の兄は、そのまま倒れた。強烈なパンチでも食らったかのように。  信じられない光景を見て、つい、翔太は呆然とした。だから、陽向の言葉に、すぐに反応できなかった。 「逃げるよ」  陽向の声が、翔太の耳を通り抜けてゆく。頭に入ってこない。 「もう!」  怒ったような声を出すと、陽向は翔太を抱え上げた。肩に担ぐようにして。 「は? え? えええええ?」  間の抜けた声が翔太の口から出た。意図して出した声ではない。驚いて、声が出た。  すぐさま陽向は走り出した。翔太より小柄な体で、翔太を肩に抱えて。それなのに、その足は、尋常じゃないくらいに速かった。 「ええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」  驚く翔太の声が、陽向の駆け抜けた道に残った。まるで山彦のようだった。  どこにでもある普通の道路を、山彦を残して陽向は駆け抜けた。翔太を肩に担いだまま。  そのまま、あっという間に、翔太達が暮らすマンションの敷地内についた。 「はい、着いた。もう自分で歩いて」  マンションの敷地内。六棟の玄関の前を通る通路で、陽向は翔太を肩から降ろした。息ひとつ切らしていなかった。  公園で陽向を見てから今までの出来事。ほんの数分にも満たない出来事。それが、信じられない。呆然としたまま、翔太は陽向を見つめてしまった。  あんな柔らかいゴムボールで、田村の兄を倒した。それだけじゃなく、こんな小柄な体で翔太を担いで、驚くほどの速度で駆け抜けた。  実にあっさりと、スマートに、颯爽と、翔太を助けてくれた。  翔太には、目の前にいる小柄な女の子が、驚くほど格好よく見えた。まるで、漫画や映画に出てくる英雄のようだった。  その気持ちが、考えるより先に口から漏れた。 「凄え!」 「……はい?」 「凄え! 凄え凄え凄え凄え凄え凄え!」  翔太の心に芽生えたのは、陽向に対する純粋な憧れだった。  凄い! こんなふうになりたい!  強い。けれど、力を見せびらかすように相手を叩きのめすのではなく、必要最低限の力で人を助けた。 「なあ、どんなふうに鍛えたらそんなふうになれるんだ!? 俺も、えっと──山陰?──みたいになりたい! 教えてくれよ!」 「いや、えっと……」  陽向は少し、困った顔をした。  そんな彼女の心情に、今の翔太が気付くはずもなかった。ただただ、尊敬と憧れで心が満たされていた。興奮していた。 「凄え! 本当に凄え! 感動した! 興奮した!」  陽向の凄さを見て、翔太は、人間に無限の可能性を感じていた。人間は、鍛えれば、こんなに凄くなれるんだ。  小学校六年。まだまだ夢を見られる年齢だった。  ──だから、考えもしなかった。陽向が、普通の人間じゃないだなんて。  大昔。第二次世界大戦中に造られた、吸血鬼と呼ばれる生物兵器。  その血を引くのが、陽向だなんて。  このときは、まだ想像もしていなかった。  
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