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二人のため
<カタカタカタ……>
終業まであと五分、私以外の社員も黙々とパソコンへ向かって与えられた仕事を入力している。
あと五分、定時ぴったりで帰宅するためには、そろそろ自分のデスク周辺を片づけ始めなければならない。
今日の自分のノルマはきちんとこなした。
後は何事もないことを願い、そっと整頓を始める。
パソコンに表示されている時計をチラッと見ながら、残り一分を過ぎたところで<シャットダウン>をクリックした。
そのすぐ後――。
<カーン、カーン、カーン>
終業時間を知らせるベルが社内に鳴り響いた。
私は鐘の音を聞き、自分のバッグを持ち、勤怠管理システムへの入力を終わらせる。
そしていつものように
「お疲れさまでした。お先に失礼します」
帰宅準備を進めている他の社員へ向け、軽く会釈をしながらその場を後にした。
よしっ、今日も定時ぴったり。
慌てずに次のアルバイトへ行ける。
ふぅと軽く胸をなでおろしながら、駅へ向かった。
私、河合七緒、28歳は、印刷会社の経理部で働いている。
経理部の仕事が終わった後は、一年ほど前から自宅近くのコンビニエンスストアのアルバイトをしている。もちろん、会社に相談の上だ。
日中はOL、その後は約5時間ほどのアルバイト。
アルバイトは週3日~4日。
土日会社が休みの時は、日中からシフトに入ることもある。
正直、身体はそろそろ限界。でもまだ心が元気。
だからこのルーティーンで生活することができている。
電車の中でふとスマホを見た。一件の※LIEEの表示。
タップし、内容を確認する。
匠からだ。
<仕事お疲れ様。今日の夕ご飯は七緒が好きな唐揚げだよ。アルバイトも頑張ってね>
<お疲れ様。ありがとう、夕ご飯楽しみにしているね>
表情が緩んでしまう。
私がこんなに働けるのは、婚約者である匠がいるから。
というか、二人の生活をなんとか守るためにこんなにも必死になって働いている。
婚約者である一ノ瀬匠は私より2歳年上。
大学時代のサークルで初めて出会った。
その時はただの先輩と後輩だったけれど、卒業後のサークルの交流会で偶然隣の席になり、匠から私の連絡先を聞いてくれて。
付き合って二年が過ぎた頃、プロポーズされた。
幸せの絶頂、両親への挨拶、結婚式、将来のことを考えていた時だった。
匠の働いている会社の事業が経営不振になり、配属されていた部署がなくなることに。匠は役職も上で、管理者という立場だったけれど、異動することになった。
そこから私が思い描いていた甘い「理想」は崩れていった。
異動後、彼は異動先の部署の人間関係と仕事内容が合わず、二カ月で退職。
私に相談する前に退職を決意、辞表を提出後に聞かされた話だったけれど、匠にとってそれが最善であれば良いと思っていた。
正直困ったのが……。いや、今でも頭を悩ませているのが、匠の次の仕事が全く決まらないことだった。
※LIEE……この作中だけの無料通話・メールアプリ。
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