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三春と靜佳の話
「で、聞きたいことって壱夜さんのことか?」
駅前のバーガーショップで待ち合わせた靜佳が、ハンバーガーを囓りながらそう言った。いつもなら壱夜兄さんが働いている喫茶店で話すのに、わざわざこんなところに呼び出したから「壱夜さんのことか?」って聞いてきたんだろう。
(だって、喫茶店だと壱夜兄さんがいるからさ)
それに靜佳は今日休みだって聞いていたから、呼び出しても大丈夫だと思ったんだ。それでも「夕方までならいいけど」ってメッセージが返って来たのは、壱夜兄さんを迎えに行くためなんだと思った。
「靜佳はいいよね」
「何が?」
「だって、いっつも壱夜兄さんと一緒だし。今日だって迎えに行くんでしょ?」
「そうだけど……って、あぁ、慎太郎のところに泊まる許可が出ないんだっけ。で、壱夜さんが慎太郎のこと何か言ったとか?」
「慎兄さんのことっていうか、僕のことっていうか」
慎兄さんの部屋に泊まりたいとメッセージを送ったとき、「そんなに慎太郎くんと一緒にいたい? 俺だって三春と一緒に過ごしたいのに」というメッセージが返ってきた。家に帰ると、二海兄さんから「すっげぇ寂しそうな顔してたな」と聞いて、それから慎兄さんのところに泊まりたいと言い出せなくなってしまった。
「壱夜さんのは、単なる心配だよ」
「心配?」
「かわいいかわいい三春を慎太郎に取られた嫉妬も混じっているんだろうけど」
「意味がわからない」
「まぁ、普通の兄弟ならそこまで思わないだろうからな。でも、おまえんとこはちょっと違うだろ?」
ほかとどのくらい違うかはわからないけど、小さい頃から両親がいない生活が多かったという点ではそうかもしれない。
僕が三歳のときに母さんが病気で死んだ。一緒に過ごした記憶はほとんどないけど、兄さんたちがしょっちゅう写真を見せてくれたから顔だけはしっかり覚えている。そんな状況のなか、父さんは海外での仕事が忙しくてあまり家にいられなかった。そういうこともあって、僕は年の離れた兄さんたちに育ててもらったようなものだ。
「それにほら、幼稚園のときのこともあるだろうし」
「そうかもしれないけど……」
僕が幼稚園に通っているとき、公園で知らない男の人に声をかけられたことがあった。しかも、その男の人は僕をどこかに連れて行こうとしたらしい。
僕はそのときのことをぼんやりとしか覚えていない。体のあちこちを触られたことと、男の人がずっとニコニコ笑っていたことは何となく覚えている。でもそれだけで、すぐに幼稚園の先生が迎えに来てくれたから誘拐されたとかいうことにはならなかった。
それなのに、兄さんたちは未だに僕がそういう目に遭うんじゃないかと心配している。気持ちはわかるけど、僕だってもう大人なんだ。
「もう二十二なんだし、子どもじゃないんだけど」
「子どもじゃなくなったけど、そのぶん余計に危なくなったってことだな」
「どういうこと?」
「ろくでもない虫がわんさか寄ってくるってことだよ」
そういえば二海兄さんにも似たようなことを言われた。
「意味がわからない」
「わからなくてもいいけどさ。壱夜さんは、いまも昔もいろいろ心配してるってこと」
「心配してくれるのはありがたいけど、でも僕はもっと慎兄さんと一緒にいたいし部屋にも泊まりたい。だって壱夜兄さんはしょっちゅう靜佳のところに泊まってるだろ? 僕と慎兄さんも恋人なんだし、泊まってもいいと思う」
「まぁ、そう思うのが普通だよな。二十二歳なんてヤりたい盛りだろうし」
靜佳の言葉に首を傾げた。
「“やりたいさかり”って、なに?」
「……は?」
「僕は慎兄さんとずっと一緒にいたいだけだよ。それに、泊まるためのパジャマとか枕とかいろいろ買ったから、それも使ってみたい」
そう言ったら、なぜか靜佳がハンバーガーを持ったままじっと僕を見た。
「なに?」
「いや、見事なほどの箱入り息子だなと思って。呆れるより尊敬したくなる」
「どういうこと? もしかして馬鹿にしてる?」
「いやいや、いまどきエロ本すら知らない奴がいるんだなと思って驚いた」
「エロ本なら知ってるよ。官能小説だって読んだことある。でも僕は女の子を好きになったことないし、おもしろいとは思わなかった」
「いやいや、おもしろいかどうかは別として性欲は湧くだろ」
「そりゃあ初めて見たときはギョッとしたけど、別にドキドキしたりはしないよ。だって女の子の裸に興味なんてないし」
「ちょっと待て。それじゃあ三春は何をオカズに抜いてんだ?」
「そりゃあ、慎……」
「あぁいい。言わなくてもわかった」
あ、また靜佳が変な顔になった。靜佳は昔からたまにこんな顔をする。大体は僕が何か相談するときで、最後は「まぁ、三春だからなぁ」で終わるんだ。
「まぁ三春だし、それもおかしくはないか」
やっぱり今回も一緒だ。そんなことを言われる理由はわからないけど、こういう話ができるのは幼馴染みの靜佳だけだから甘んじて受け入れるしかない。
(それに、男同士の恋愛の話なんてほかの人には絶対にできないし)
壱夜兄さんや靜佳みたいに綺麗でかっこいい大人の男なら変に思われないかもしれない。でも僕みたいな冴えない田舎男の恋愛話なんて、誰も聞きたがらないはずだ。しかも相手は芸能人みたいにかっこいい慎兄さんだから、絶対に反対されて話が終わる。
「僕だって慎兄さんのところに泊まりたいのになぁ。どうして駄目なんだろう」
「壱夜さんもそろそろ弟から卒業しないとな」
「卒業?」
「そう、三春のことばかり考えるのは卒業ってこと。それに、いい加減俺だけを見てほしいし」
「靜佳?」
ハンバーガーの残りを口に放り込んだ靜佳が、口の端っこについたテリヤキソースを親指で拭ってからペロッと舌で舐め取った。そうして「大丈夫だよ」なんて言いながら俺を見ている。
(そういう仕草も似合うっていうか、正直羨ましい)
こういうところが靜佳を大人っぽく感じる部分なのかもしれない。だって、店にいる女の人たちだけじゃなく男の人まで靜佳をうっとり見ている。
これが僕なら、指で拭う前に「ついてる」とか何とか言った兄さんたちに拭われてしまうのがオチだ。もう子どもじゃないのに、この前もそんなことをされてしまった。
「壱夜さんに会ったら俺も話しておく。たぶん聞いてくれるだろうから、今夜は外泊許可出るんじゃないかな」
「え? そんなに早く?」
「いつもより焦らしてやれば、すぐだろうし」
焦らして……って、何を焦らすんだろう。でも、靜佳が大丈夫って言うならきっとそうなる。これまで靜佳に相談した壱夜兄さん関係は、百パーセント靜佳が言ったとおりになっているからだ。
「靜佳ってすごいよね。やっぱり恋人だから?」
「ま、つき合いも長いしな。それに、最初から俺の言うことを聞くようにしてるし」
「言うことをきく? って、どういうこと?」
「三春も慎太郎と恋人になったんだから、いろいろ教えてもらえばいいよ。っていうか、慎太郎ならえぐいことも教えそうだけど」
「えぐいこと?」
「あいつはろくでもない男だから」
それも二海兄さんから聞いた言葉だ。でも……。
「ろくでもない男って、二海兄さんは靜佳のこともそうだって言ってたけど」
「……二海のやつ」
靜佳の目が鋭くなった。靜佳より二海兄さんのほうが三歳年上だけど、小さい頃からずっと一緒にいるし呼び捨てだからか同い年みたいに見える。そういう意味では、靜佳も慎兄さんのことをよく知っているみたいだった。
(慎兄さんも昔から靜佳と仲良かったみたいだし)
思わず「いいなぁ」なんて思ってしまった。そうして慌ててブンブン頭を振る。
昔は慎兄さんと仲がいい人たちのことが羨ましくてしょうがなかった。でも、いまの僕は慎兄さんの恋人で誰よりも近くにいる。羨ましがる必要なんてない。そう思ったら顔がにやけてきた。
「えへへ」
「壱夜さんが心配する気持ちもわからなくはないな」
「え? どうかした?」
「いいや、なんでもない。それより、帰ったら泊まりの準備しておけよ? あぁ、あと慎太郎にもメッセージ送っておいたほうがいい」
「……でも、もし外泊が駄目になったら迷惑かけることになる」
「大丈夫だって言っただろ? それに、慎太郎のほうはいろいろ準備しないといけないだろうからさ」
「まぁ、とっくにしてるとは思うけど」と言いながら、靜佳がちゅるっとコーラを飲んだ。よくわからなかったけど、僕は言われるまま慎兄さんにメッセージを送った。そうしたら、すぐに「許可が出たらメッセージ送って。迎えに行くから」って返事が来た。
「泊まるの楽しみだなぁ」
そうだ、昨日買ったお揃いのマグカップをさっそく使おう。あれに僕はココアを入れて、慎兄さんはコーヒーを入れてから夜中まで映画を観るんだ。
「三春が考えてること、たぶん今夜はできないからな?」
「え?」
なんで夜通し映画を観ようと考えていたことがわかったんだろう。それよりも、今夜はできないってどういうことだろうか。
そう思って靜佳を見たけど、尋ねる前に摘んだポテトを「ほら」って差し出された。お昼を食べていた僕は満腹だったからドリンクしか頼まなかったけど、差し出されたら無性に食べたくなる。だから口を少しだけ開けてパクッと口に入れた。
「ん、おいしい。ありがと」
「どういたしまして」
そういえば靜佳も昔からよくこういうことをする。兄さんたちなんてしょっちゅうだ。だから、ついいつもの流れで食べてしまったけど「きゃあ!」って悲鳴みたいな声が聞こえてきて「しまった」と思った。
慎兄さんにされたときも、こんな悲鳴みたいな声が聞こえる。だから外ではしないようにしようと思っていたのに、すっかり忘れていた。
慌ててドリンクをちゅるちゅる飲みながら、少しだけ俯いて顔を隠す。
「うーん、大人の階段を上っても三春はこのままだろうなぁ」
「……ちょっと、いまのは馬鹿にしてるだろ」
視線だけ上げて睨んだら、「そういう仕草が危ないんだよな」と言われてしまった。
「やっぱり馬鹿にしてる」
「してないしてない。国宝級にかわいいって言っただけ」
「意味がわからない」
馬鹿にされているような気がしなくもないけど、こうやって僕の話を聞いてくれる靜佳はいい幼馴染みだ。心の中で感謝しながら、僕の頭のなかはすぐに今夜のことでいっぱいになっていた。
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