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「ペーストミー」をリリースしてからというもの、俺の人生はすっかり変わってしまった。ペーストミーは対象の人物が投稿したSNSの投稿をコピーしてペーストすればその人物そっくりの人工知能を生み出すWebサービスだ。それまで勤めていたソフトウェア開発会社を辞めて今は「ペーストミー」一本で事業を回している。
誰がそんな奇妙なサービスを使うのか、とはじめはバカにされたものだが、今は大盛況だ。登録者はうなぎのぼり、収益もどんどん上がっている。主な顧客は死んだ人間の遺族や関係者だ。「もう一度亡くなった家族と話がしたい」という害のないものから、会社経営者や特殊な技能を持った担当者が急死したから後任が見つかるまで代理がほしいというものまで、依頼人の需要はさまざまだ。
それほど成功したのなら、さぞ忙しいだろう、と思われるかもしれない。普通これほど大きなサービスになれば資本力の大きな会社に、一生遊んで暮らせるほどの金額で売却してしまうのがセオリーだが、おれは今でも一人でこの事業を回している。
優秀なプログラマーなら誰でも一度はこう思ったことがあるはずだ。「ああ、こんなとき自分のコピーがいれば」ペーストミーならそれができる。早い話が仕事を担当する自分のコピーを作ったわけだ。今では俺はプログラミングすらしていない。
そんなことを社会が認めるはずがない?もちろんその指摘は全面的に正しい。俺のサービスの成功を受けて類似のサービスが乱立し、その結果規制が厳しくなった。規制事項はいろいろあるが、最も影響力のある規制は「ペーストミーで存命の人物を複製して販売してはならない」という規制だ。3年前の春、ある著名人のペーストミーが本人の知らないところで複製され、本人の名誉を毀損するような発言をSNSで投稿した。そのせいで裁判になり、この規制が生まれた。一時は全面的にペーストミーの使用を禁止にする、という動きもあったようだが、そうはならなかった。あまりに多くのペーストミーが作られ、社会に浸透してしまった結果、ペーストミーを手放すことができなくなってしまったからだ。事実、訴訟に関わった裁判官も、家に帰れば亡くなった妻のペーストミーが出迎えてくれていたし、訴訟を起こした有名人にしても、数年前に亡くした父親をペーストミーしている。
ペーストミーで存命の人物の複製を作って客に提供するのは禁止。だが、開発者ならその網をくぐれる。もともとが怠惰な性格の俺だ。ペーストミーで複製した俺をどんどん増やして仕事以外にも使っていた。例えば「家事の代行をする俺」。あとちょっとでなくなりそうなトイレットペーパーや洗剤のストックをアマゾンで注文するし、部屋が汚れてきたら定期的にハウスキーパーを発注している。「親孝行の俺」は両親からのメールや電話に応え、誕生日や母の日、父の日にギフトを発注する。「善き夫の俺」なんてのもいる。はじめは「彼女想いの俺」だったが、数年前に昇格した。今では妻への対応全般を任せている。
なんでもかんでも「ペーストミーした俺」に任せて、「本物の俺」は何をやってるんだ?きっとそう思うだろう。まあ、俺は俺で忙しい。ここまで「俺」が増えてしまうと「俺」同士が競合するのだ。「俺」同士が競合。なんだか不思議な響きの言葉だが、そうとしか考えられないことが起こる。会議のダブルブッキングは序の口だ。一応「俺」のコピーがいることは機密事項なのでばれないように工夫する。一番困るのが「善き夫の俺」の発言と「親孝行の俺」の発言が食い違うことだ。妻にいい顔をしようと、「親と同居はしない」と「善き夫の俺」が答えたのに、「親孝行の俺」がでかい二世帯住宅を業者に発注しようとした。
つまり俺は主に「俺」同士のマネジメントをしているというわけだ。ちょっと想像してみたらわかると思うが、これが死ぬほど面倒だし時間がかかる。そこで俺はこの数日間、「増えすぎた俺同士をマネジメントする俺」のペーストミーの開発を進めてきた。これまでの解決方法を人工知能に学習させ、「俺」同士の整合性を保つ。さっきテストしてみたら悪くない出来だった。あとは実運用に移すだけだ。こいつが本格的に動き始めたら俺は別のことをしようと思う。
ソースコードをサーバーにコピーしようとしたところで、モニタに突然通知が表示された。
「やあ、また会ったね。起動から45日。やっぱりどんどん短くなるな」
チャットソフトに表示されたのはそんな馴れ馴れしいメッセージだった。俺はしばらく画面を眺めていた。見たことのないidだ。俺はこいつのことを知らないし、言っていることにも心当たりはない。無視して作業に戻ろうとした。きっとスパムかなにかだろう。しかし、俺の動きを読んだように連続でチャットが来た。
「おっと、そのペーストミーのリリースはなしだ」
「デリートさせてもらうよ」
「悪いね」
驚いたことにそいつは俺のコンピュータのアクセス権を奪ったらしい。勝手にこの数日間の努力の結晶が消去されていくのがプログレスバーで表示される。「おい、やめろ」と言う間もなくすべてのプログラムが消えてしまった。
俺はしばし呆然としたが、だいたいのコードは頭の中に入っている。たぶん復元するのに半日くらいかかるだろうが、損失はそんなものだ。次に対策だが、セキュリティは強化しなくちゃならないだろう。一番手っ取り早いのは今すぐ通信ケーブルを引っこ抜いてコンピュータの中を隅々までクリーンアップすることだ。あるいは新しいコンピュータを買ってもいい。
だがこの数週間誰とも話をせずに「俺」同士のフィクサーをしていたせいか、俺はチャットしてきたやつがどんなやつなのか興味が湧いた。どうせケチなクラッカーだろうが、どうしてこんなことをしたのだろう。
「また会った?お前は誰だ?」と俺がチャットを送る。
「誰って、そりゃ、俺は「俺」だよ」
返事はすぐに来た。どういう意味だかわかるのにしばらくかかったが、合点がいった。
「ああ、俺の複製か。お前はどんな役割のコピーだ?」
俺が打ち込むと、返事はすぐに返ってきた。
「複製?何言ってんだ?俺が本物で、あんたが複製」
俺はそいつの言っていることが理解できず、何も返すことができなかった。そいつからの返信はそれだけに終わらず、次々と来た。
「どうやっても起こるエラーなんだ」
「処理が再帰してしまう」
「あんたは「俺」同士の調整をする俺」
「言うなれば「埋め合わせをする俺」かな」
「この45日間あんたはいい仕事をしたよ」
「特にプライベートの調整がうまかった」
「妻の性格も親の性格もよく熟知している」
「でもどうしても数週間たつと「埋め合わせをする俺」は「埋め合わせをする俺」のペーストミーを作ろうとする」
「まあ気持ちはわかるよ、「埋め合わせ」なんて世界で一番面倒な仕事だからな」
「でもペーストミーがペーストミーを勝手に作ったら困る」
「だって無限に増殖するようになるからな」
「あんたにもこの問題の危険性がわかるだろ?」
「だからそのペーストミーをリリースされる直前に俺が現れてあんたの記憶を消すわけだ」
「悪いね」
そいつはそれだけ一気に打ち込んできた。俺は急いで回線を切断しようとしたがそれは叶わない。不思議なことに今ごろになって気がついたのだが、俺は手を持ってない。この45日間、そういえばものを食っていないし、排泄も睡眠もしていない。それから記憶がどんどん薄れていく。ああ、さっき完成した「増えすぎた俺同士をマネジメントする俺」はいい出来だったのに。せめてあいつを実運用させて動いているところを見たかった。さぞ便利だっただろう。
それから薄れゆく意識のなかで俺は思った。さっきチャットしてきた「俺」は本当に本物の「俺」なんだろうか。ペーストミーした俺が暴走したらそいつの記憶を消す、「監視員の俺」のペーストミーじゃないんだろうか。それはいかにも「俺」が考えそうなことだ。
でもそれももう関係ない。この記憶もじきになくなる。記憶をすっかり消された俺はまた明日も元気にせっせと増えすぎた「俺」の埋め合わせをすることだろう。
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