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☆
私は相変わらず地味に不運な日常だったが、あの青年に会うことはなくなった。
彼が働いているドラッグストア(前に、拗れた取引先をおさめた帰り、雨に降られて入った時に会い知っていた)にもいなかった。聞こうにも、お互い名前も知らない。
まあそうだろう。今まで「なぜか、たまたま私が助かるタイミングで会ってた」だけなのだ。こっちが勝手に「最後のストッパー」と思っていただけで。
……あの文具店の帰りに、廻らない寿司屋に連れて行けばよかった。
そう思っていた時。
前を歩く人が、カバンからスマホを出した時に何か落とした。イヤホンが片方。
「落としましたよ」
声をかけて振り向いた顔に見覚えかあった。慌ててこちらに駆け寄ってくる。
と。
急に自転車が曲がってきた。もしそのまま歩いてれば衝突していただろう。
「あ、ありがとうございます!」
「いえ、あ」
咄嗟に出かけた言葉を飲み込んだ。
『あの時の店員さん』
便箋を買った文具店の店員だった。
「……まさか、な」
だが予感は当たった。
以後、私は意図せず「『あの文具店の店員さん』の危機を偶然、度々救うおじさん」を務める羽目になった。
信号無視の車から。
レジに呼んだ直後に来たクレーマーから。
傷んだ惣菜弁当から。
夜道で待ち伏せてた変質者から。
しつこい勧誘から。
「またまたまたまた…な、何度目でしょうか。ありがとうございます…!」
「どういたしまして。じゃ」
名前も知らず、それ以外に会うこともなく。
それは、私が転職するまで三年ほど続いた。
もしかしたら今は、彼女が「あの時の誰か」に偶然会う日々を送っているかもしれない。
あの時の便箋は、今も部屋のどこかにあるはずだ。
〈了〉
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