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敗者か愚者か
悪くない……そう思ってたときもありました。
普段の装いも戦地とはかけ離れていたけれど、本日の衣装はケタ違い。
高位貴族らしく上品に纏めたドレスは淡いパール色のマーメイド。見えるか見えないかの絶妙かつチラリズムな胸元は、周囲にダイヤを散りばめた大ぶりの黒曜石….タロウの髪と瞳の色を模していた。
「いいこと? タロウは私にベタ惚れで私とひと時も離れたくなくて私が居なければ生きていけないってぐらいの態度で接しなさい」
「なんだその無茶苦茶な設定は」
「分かったわね」
知るか! と言う前にジョアンナに腕を取られた。歩き出す歩幅は令嬢らしく楚々として、アッパーレ国のエスコートを無理やり学ばされたタロウは怒声を飲み込み従った。
先が見えているのに遠い。
今の一歩はいつもの半歩弱。
闇と同化しそうな黒いズボンに隠れた足をちまちま動かすたびに、裾に施されたパールが目印のように足元を照らす。
主張し過ぎない対の衣装はジョアンナの発案。
互いの心は全然交わっていないのに、装いだけはバッチリ決まっている。
扉が開く。
戦いの扉が。
ジョアンナはデヴュタント以来の社交場に、好戦的な瞳で踏み出した。
一方タロウは、庇護すべきと認識した対象の強がりに、難儀な性格だと理解しても、ちょいちょい勘に障る言い方に慣れないでいた。
「タロウ。口がへの字だわ。笑いなさい」
「面白くもないのに笑え、ーーっい!」
眩しいくらいの光の渦に寄った眉間。
四方八方から飛んでくる無遠慮な視線に素直な反応をするタロウを、扇子で隠した口で嗜める。反抗したので腕に添えた手をずらし脇腹辺りを捻り上げた。
タロウは痛みに文句が出そうになったが、真っ直ぐに前を向くジョアンナに口を噤んだ。
そうか、もうすでに……。
記憶が薄れても過去の醜聞は無くならない。
職業婦人になったのも体良く王都から出れる理由が戦地にあったためで、戻って来た今、そんな逃げも高位令嬢として通用しなかった。
この夜会の話しを持って来たのはホーリー侯爵夫妻。タロウがジョアンナの婚約者として、相応しいマナーを身に付けた頃だった。
元々、王族のタロウは基礎が出来ている。
ジローには劣ったけれど勉強だって嫌いじゃないし、飲み込みも早い。
黙って2人を見守っていたホーリー侯爵夫妻は、機は熟したと言わんばかりに、ある日ジョアンナに2択を突きつけた。
敗者になるか愚者になるか。
貴族社会において、現時点でジョアンナの烙印は敗者である。
ホーリー侯爵夫妻はタロウとの関係を終了させ敗者のままでいるのか、高位貴族令嬢として平民を婚約者にした愚を曝け出すのか、選べと言ったのだ。
ジョアンナの下した決断はどちらでもない。
「勝者に決まってますわ」
自信満々な答えは、やさぐれ故の頓珍漢。
何の根拠もありはしない。
ただ、男にやり返す事だけに燃えているジョアンナは、貴族の常識や倫理観は丸っと頭から抜け落ちていた。
何の後ろ盾もないタロウという好き勝手出来る下僕、んんん、婚約者は、ジョアンナの都合だけで振り回していい駒。
好きなだけ嬲って好きなだけ我儘を言って飽きたらポイっと捨てるだけ。
男という異性にそれが出来たら、ジョアンナの中では勝者確定。
とは言え、遠ざかっていた社交の場に出れば自分がどう思われるのか、それが分からないほど愚かではない。
ジョアンナは晒し者になるつもりはなかった。
両親の持ってきた夜会は、選ばなかった男達、それを知っている周囲にも、自分が今どれだけ愛されているか、求められているかを見せつける好機だと捉えたのだ。
タロウへの無茶振りはその為。
他者が私を不幸と笑うなら、策を練り込み不幸な私が他者を笑ってあげる。
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