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同意は要りません
人は何度も裏切られると、正常に判断する能力が著しく低下する。
自分の判断が間違っていたと思わされるから。
ジョアンナは最初、タロウの問いかけに憤慨した。それは男に信用を無くした女の当然の反応であり、他者に侮られるわけにはいかないという貴族令嬢としての反応でもあった。
しかしである。
上記のようにジョアンナは正常な判断を下せない心境で、ソリュージュにつけられた出来たてホヤホヤな深い生傷が、いっそうジョアンナの精神を狂わせていた。
だからだろう。
男への憎しみが迂闊な言葉を返す。
「恋人になって差しあげますわ」
胸を張って答えるジョアンナは、タロウの唖然とした表情に気付けない。
男につけられた傷は男につけ返すべきである。
例えそれが違う男でも男は男だ。
という、マトモに聞いたら八つ当たりもいいとこの天啓が低下した思考に降り注ぎ、それ色に脳内が染まっていたから。
恋人になればいくらだって傷つけていい。
これまでの男から学んだことは、ジョアンナの恋愛感を歪ませていた。
「いや、遠慮する」
ジョアンナの突飛な申し出を丁重に断ったタロウの思考は正常だ。
タロウは別にジョアンナに何かして欲しかったわけじゃない。勿論恋人も望んでいなかった。
ただ、助けたのに値踏みされ、挙句の果てに親の仇のような目で睨み付けてくるから、その可愛げの無さにほんの少し意地悪したくなっただけなのだ。
「タロウの感情なんて関係ない。私がなるって言ったらなるのよ」
「はあ……何なんだよお前は。頭おかしいのか」
「ところでタロウ。貴方もしかして恋人の私にそんな所で寝ろって言うつもり? 嫌だわ、紳士はきちんと令嬢を送り届けるものよ」
「聞いてない上に図々しいな」
「言葉遣いもなってないわね。今は許してあげるけど次回から性根を叩き直してあげるから感謝なさい」
「結構だ! もう帰れ!」
タロウは自分の甘さを呪った。
婦女子を守るのは男の役目と思ったのが間違いだった。こいつは女でも関わってはいけないタイプ。今のやり取りで悟るも時すでに遅し。
こちらに嫋やかな手を伸ばすジョアンナはエスコートを、と言ったのだ。
送ることが決定している。
面倒だ。
嫌だ。
しかしこのままこのイカれた女が居座るのも気持ち悪いし、追い出したところを下卑た傭兵に襲われでもしたら寝覚めが悪くなる。
タロウは渋々ジョアンナの手を取った。
エスコートなどしたこともない。
ニッポーン国にそのようなものはなかったのだ。
とりあえず手を繋げばいいだろうとジョアンナの柔い手を握り込めば、情熱的な態度は褒めてあげると頬を染められた。
タロウは今日だけの我慢だと耐えたが、ジョアンナは歩きながら今後の予定を話し出す。
互いを知る為に休憩時間は毎日一緒にいよう。
その際、質問表を持参するので偽りなく答えるように、などなど。
タロウはうんざりした。
途中で己の健全な精神を守るため意識的に耳を封鎖したが、間違った天啓を信じ込むジョアンナの口は止まらない。
さっさと片付けよう。
女性の歩みに気を遣えと言われ小さな歩幅で歩かされていたが、一刻も早くイカれ女とおさらばしたいタロウは有無を言わさず抱き上げる。
娼婦じゃないなら行く宛は一つだ。
戦場に来る女は医療に携わる者しかいまい。
吹けば飛びそうな傭兵の天幕じゃなく、それなりの建物目掛けてタロウは猛然とダッシュした。
無事勤めを終えたタロウの気分は爽快だった。
明日からはまたいつも通りの日常……と思っていたのは、この日まで。
まさか次の日から強制的な恋人ごっこが始まるとは夢にも思わなかったのだ。
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