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 後ろから抱きしめられた気配で意識が戻った。睦はシャワーを浴びたてのようで、石鹸の匂いがする。部屋はまだ暗い。時計を見るとまだ夜中だ。  睦の掌が優しく俺の肌をまさぐる。一瞬一瞬、感触を確かめるように愛撫を繰り返されるうちに、眠気が払拭されてゆく。  唇にも指を這わされる。その心地よさに、一度開けた目を再び閉じた。  睦の勃ったものが背後からあてがわれていた。それに反応して、体の奥底から欲望が滾り始める。睦の方を向き、顔に顔を近づける。睫がふれあう。唇の距離は数ミリ。腹の下の勃ったものをこすりあわせれば、熱い吐息が混ざりあった。快感が絶え間なく背中を突き抜ける。負けたのは俺だ。下着が濡れた。  ゼリーを使って後ろの窄まりを指でほぐされる。それすら快くて、ビクビクと体が痙攣した。睦が俺の脚を持ちあげ、ゆっくりと挿入を始める。久しぶりのセックスだった。 「痛い?」  心配そうに訊く。 「大丈夫」  突かれるたびに臓器が押しあげられ、その圧力で濡れた甘い喘ぎが漏れる。思考が白濁していって、睦しか感じられなくなる。この瞬間がとても幸せだった。 「綺麗だ…拓」 「睦も。すごくキレイだ。かっこいい」  俺の、自慢の恋人。 「お前を死なせたくなかったな…」  最奥を突きあげながら、睦が寂しげに呟く。衝撃に耐えながら俺は微笑んだ。 「首を絞めていい。お前の手で死ねるなら、本望だ」 「バカなことを言うな。死ぬのは一緒だ」  ピストンが早くなる。 「あ――――あ、あ、…」  睦が強く俺を抱えあげた。猛りが深々と入ってくる。その都度、敏感なところに刺激を受け、気が遠のきそうになるほどの快感に身悶えた。 「うあ…気持ちいい――、いく――また、い…く…」 「いいよ。何度でもイって」  ピストンが鋭く差し込む。睦は俺の体ごと大きく振動させた。 「あああっ…」  熱い迸りを最奥に感じると同時に深い絶頂に至った。視界がちかちかした。睦のはまだ萎えない。いつになく滾っていた。まだまだ足りないとでもいうように……。  服を着替えた睦が、がさごそと音をたてながらカバンの中を漁っている。鞄からスーパーのビニール袋が出てきた。睦はそれを恭しくテーブルに置いた。 袋から点滴用の注射針やチューブ、生理食塩水、黒い薬品ビンが現れる。 「なんだそれ…」  俺はガウンを羽織って近づき、睦の正面の椅子に腰かけた。 「自殺道具。親に見つかったら面倒だと思って持ってきたんだけど、役に立つことになったな」 「なんで、こんなもの」 「もちろん死のうと思ったからだよ。医学部に受かったら、その日に自殺しようと思っていた」  こともなげに答える。仰天した俺は返す言葉がなかった。 「これなら間違いなく死ねる。フェンタニルといって、本来なら痛み止めに使うんだけど、毒性が高い。うちの病院では数年前から使用をやめていて、薬品棚の奥に放ってあった」 「盗んできたのか?」 「ああ。医者になるためのモチベーションのためとかなんとか言って、病院を見て回るうちにな。こんなものもさ、」  注射針を手に取る。 「毎日大量に使うから、何個か無くなったって気づかれない」  だから盗んできたと、悪戯に成功した子供みたいににっこりと笑う。 「死のうと思ったのか?」 「ああ」 「一人で?」 「まあな」  何を訊かれているのか分からないとでも言いたげな、きょとんとした顔をする。 「酷いな、睦は」  すっかりすねた俺は、睦から視線をぷいと逸らせた。 「一人で死のうなんて酷いだろ。なんで、そんなことを考えられるんだよ。俺と一緒にって思わなかったのか? 俺のことなんて、ぜんぜん頭に思い浮かばなかった?」  睦が閉口する。しばらくして小さく答えた。 「拓を道連れになんかできるわけない。俺のせいで別れたのに」 「でも俺はずっと、お前が大好きだったよ」  むきになって言い返せば、ふっと睦の顔が緩む。何かを諦めたように眉尻をさげて溜め息をつく。 「分かってるよ、拓。でも、もうよそう。こんな話、しても仕方がないさ。それよりも今から致死量を計算するから。お前はそのあいだに着替えたら?」 「ああ。シャワーも浴びてくる」  死ぬ前の清めの儀式のような気分でシャワーを浴びた。体には昨夜の睦とのセックスの感覚がしっかり残っている。これで寂しくないと思った。好きな人からあれだけ抱かれて死ねるなら本望だ。  シャワーから出て服に着替えると、睦と一緒にベッドの上で向きあった。  二人とも家出をしてきた日の服装だった。  これから二人で死ぬ。  ようやく手に入れる永遠に思いを馳せてみる。  己の罪深さに見て見ぬふりをしながら、これが自分の熱望したことの結果なのだという確信だけを頼りに俺は、睦を巻き込んで心中しようとしている。何が正しくて何が正しくないのかなんて、考える理性はとっくに消え失せていた。 「キスして、睦」  ねだれば、しっとりと唇を重ねられる。唾液の弾ける音を立てながら睦の舌が絡んでくる。彼は本当にキスが巧い。  点滴用の注射針を睦が手に取る。 「どんな死に方なんだ? 苦しい?」 「麻酔薬だから、そんなに苦しまないと思う」  睦が淡々と答える。 「しっかり手を繋いで死にたいな」 「もちろん。寂しい思いはさせないよ」  また睦が微笑む。何もかもを許容している薄い笑いだった。  睦は注射の方法を知っていた。自殺のために練習していたという。その様子を想像して胸が痛んだ。それはどこか、机で自傷行為を続けていた俺自身と重なった。  先に俺の腕に針を刺す。そこに生理食塩水を詰めた長いチューブをつなげる。先をちょっとさげると、うっすらと血が逆流してきた。 「成功」 「すごいな、睦。本当に器用なんだな」   感心しきりになると、睦の頬が赤らむ。 「こんなことが上手くても、しかたないけどな」  そして自分の血管へも上手に入れる。俺のときと同じようにテープで固定し、フェンタニルを満たしたシリンジを慎重にチューブへと繋ぐ。これが、俺たちを死に至らしめる魔法の薬なのだ。  俺たちは同時に死ななければならないから、シリンジを押さないように気をつけた。ロミオとジュリエットみたいにどちらかが先に死ぬのは悲劇だ。俺たちは同時に死にたかった。 「血管にはゆっくり入れるんだぞ。勢いがあるとチューブや針が抜けちまうからな」 「うん」  それは大変だと深刻に頷いた。  手にシリンジを持ち、向かいあって横たわった。俺に繋がるものは睦の手の中に。睦に繋がっているものは、俺の手の中に。俺たちは互いの手で互いを殺す。互いの手で、あの世に送りあう。 「死んだらずっと一緒だ」  自分でも不思議なほど、それになんの疑いも持たなかった。 「ああ」  俺の頬を掌で包み、眩しそうに睦が笑う。その掌にキスをした。  胸の前でぎゅっと手を握りあった。  かたく、かたく。  もう二度と離れないように。――離されないように。 「愛しているよ、拓」  返事をする代わりに、もう一度だけ軽いキスをした。これが最後のキスだ。 「もう、大丈夫」  声をかけると睦が頷いた。親指をシリンジにあてる。 「ゆっくりだぞ」 「うん」 「じゃあ、せーの、」  幼いころ、この掛け声で幅跳びをしたみたいに。遠い世界へとジャンプする。  ゆっくりとピストンを押し続けた。代わりに冷たいものが腕に入りこんでくる。じわじわと腕に冷たさが広がる。  残り半分だ。――三分の一。  そしてピストンが底をつく。  そのあいだずっと見つめあっていた。睦が優しく微笑むのに、いまさらながらきゅんと胸が鳴った。本当に俺は、こいつが大好きだったな、と思った。猛烈な眠気が襲ってくる。 「睦と出会えて幸せだった」  そう言おうとしてちゃんと言えなかった。舌がもつれたのだ。  頭に重いものがのしかかる。まもなくくらくらと激しい眩暈がした。  肋骨が固まったみたいに呼吸が苦しくなる。目が重くなって勝手に閉じた。  睦が見えない。でも寂しいのは一瞬だけだ。これからは、いつも一緒だ。 (大好きだよ、睦――――!)  俺だけの睦。 「ごめんな、拓…」  睦の掠れた声が聞こえたのは、刻々と薄らぐ意識がなくなる直前だった。
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