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 そして美月は自宅に帰ってからも、ほぼ同様の振る舞いをするようになった。自分の部屋が2階から1階へ移動したこと、悠人が2階の部屋に閉じこもり、家の中でもほとんど顔を合わせることがなくなったこと。この2つの要因が美月の「自宅でも弟の存在をスルーする」ことに繋がり、そして両親が美月の将来に期待をかけていたのも、その行動を後押しすることになった。  両親に関しては、例えば母親が悠人に「無理して学校行かなくていいから」と告げたのは、我が子の身を案じたのが主な理由ではなく。もしかすると、その時点で我が子に「見切りをつけていた」ということなのかもしれない。もちろん食事などの世話はするが、両親も悠人のいない、美月との「3人家族」という「擬態」を歓迎していたのではないか。だから、悠人が2階から天井に穴を開けて、家族の目を盗んでトイレに降りて来ているのに気付いても、何も言わなかったのだ。むしろ、そうしてくれた方が「都合がいい」と。    美月も悠人もまだ小さい頃は、2人でよく遊んだりもした「仲のいい姉弟」だったのだが。しかし実は、「昔はよく遊んだ」と考えていたのは、美月の方だけで。悠人にしてみると、美月といる時間は「姉におもちゃにされる、耐えがたい時間」だった。  2人で行ういわゆる「ままごと遊び」の時などでも、美月が悠人に対し一方的に何か命令し、悠人はひたすら美月の言いつけに従うことを強制された。まだ幼い頃には4歳の年齢差は体格差も大きく、悠人は姉に逆らうことが出来なかったのだ。  そしていつしかこの姉弟間の「主従関係」は、遊びの間だけでなく、日常生活に於いても継続されるようになっていった。どこかへ出かける時は悠人が美月の荷物を持ち、言われた通りにジュースなどを買いに行った。それを美月は当然のことと思っていたし、両親も「よく弟をかまってあげる、優しい姉」だと思い込んでいた。これは美月が両親が見ている時に「あえてそう見せていた」ことも大きかったのだが、4歳年上の分だけ頭の回転も「ずる賢さ」も勝っていた美月に対し、悠人が何か両親に訴えたとしても、まともに聞きいれてもらえなかった。
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