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 悠人の家は、郊外に建てられた分譲住宅地のひとつだったが、家のすぐ裏には山林が広がり、一歩裏手に回れば「田舎の一軒家」と言ってもおかしくない環境だった。15年ほど前、この近辺に国道を繋ぐ大きなバイパス道路を増設するという計画が立案され、それを見込んで以前は田畑だったへんぴな場所を、不動産屋が買い占めて宅地を作ったのだが。計画は地元を牛耳る政治家の「鶴の一声」でコースが変更され、まだ建築途中の宅地の場所を大きく逸れることになった。  不動産屋はその政治家に猛抗議したものの、そんなもので計画が元に戻るはずはなく。「バイパス近くに建つニュータウン構想」は頓挫し、苦肉の策として「自然に囲まれた住みやすい暮らし」を売りにした、元が取れれば御の字というセールス価格で売り出されることになった。  このセールス価格に悠人の父親が目を付け、父親自身も金融業務めとして「世間の目」を気にしていたこともあり、この「裏手に山林の広がる、郊外に建つマイホーム」を買う決断をしたのだった。父親が買った家以外はほとんど買い手がつかず、わずらわしい近所付き合いをする必要がないと、母親もこの地での生活を歓迎していた。  そしてこの「近所付き合いのない一軒家」という環境が、登校拒否になった悠人の引きこもり生活に拍車をかけたのは言うまでもない。近所に同世代の子供でもいたら、「木更津さんとこのお子さんは、滅多に外に出て来ないんですよねぇ」などと陰口を叩かれたりすることもあっただろうが、両親がそんな気苦労をすることがなかったのは、悠人にとってある意味「幸いだった」と言えるのかもしれない。  木更津家が住むことになった一軒家は、1階よりも2階が狭く、2部屋と物入用のスペースしかなかった。これは、悠人と4つ上の姉・美月(みつき)という2人の子供のための「子供部屋」を用意するという、両親の意図があった。そしてもちろん自分の部屋が2階に設置されたことも、悠人の引きこもりを推し進める格好の要因となった。
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