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「あのぉ……僕、ホラー系とか、苦手なんですけど」 「幽霊うんねんの話じゃない」 「だって、死人からのメールでしょ?」  若手の公務員は思いっきり眉をしかめ、先輩に向け、意味がわからないと顔全体で表現する。 「2009年11月、ここの住人・今井基弘さんは酒造会社に勤めていた当時の恋人・亜希子さんと再会し、結ばれた」 「つまり、その……SNSの友達申請をきっかけにして、ですか?」 「亜希子さんは、元々おとなしい性格で、自分から元カレに近づくタイプじゃない。だから、ちょっとしたカラクリが、そこにあったらしい」 「と、言いますと?」 「二人共通の知人である三枝さんが会社のОB会で亜希子さんと会い、その寂しい境遇を知って、元カレとの間を取り持ったのさ。だが後々、想定外の事態が生じた」 「奥さんの病死、ですね」  それまで快活に話していたベテラン公務員の言葉のトーンがやや翳る。 「心痛から基弘さんは鬱に陥り、認知障害の傾向が現れたそうだ。そして死んだ奥さんを思い返す内、今でもメールが届いている、との幻想を抱き始めた」 「現実と願望の境目が判らなくなった訳ですか?」 「それだけなら三枝さんが役所へ助けを求める程、心配しないさ」 「え?」  先をどう説明すべきか、ベテランが考えをまとめる内、ドアの向うから基弘が怒鳴り声を上げた。 「何をニャ~ニャ~言っとる! いい加減に出て行け」  その剣幕に、若手は思わず外の路地へ逃げ出す。だが、ベテランは辛うじてその場へ踏み止まった。  決意の眼差しで再び玄関ドアへ歩み寄り、チェーンの隙間から怒気を噴き出す基弘を見つめて、静かに語り掛ける。 「我々は市の職員です。話を聞いて下さい。あなたは記憶を反芻している。いや、繰り返しているんだ、過去の経験を」 「はぁ?」 「たとえ詳しい事は理解できなくても、現実と向き合う努力をして下さい」 「俺はまだボケとらん。ドラネコ如きの口車にゃ乗らんぞ!」 「あなたは亡くなった奥様、今井亜希子さんと再会した平成21年から死別に至るおよそ10年間の思い出の中だけで生きている。その壊れたスマホと、庭の皇帝ダリアが、記憶を反芻するスイッチになっているのだと、三枝さんからお聞きしました」 「三枝? フン、やっぱり、あいつの差し金じゃねぇか」 「あなたを心配しているだけです。三枝さんも、お隣の方も……先代さんなんか、十五年前に亡くなるまで、気にかけていたそうですよ。民生委員を継ぐ息子さんへわざわざ申し送りした程に、ね」 「ちゃ~ちゃ~、ちゃ~ちゃ~、きゃ~くそ悪ぃわ!」  怒号に続き、内側からドアを力一杯蹴飛ばす音が響き渡った。その勢いで、チェーンが外れ、玄関が開く。 「俺とあいつの大事な時間を、お前らなんぞに邪魔されてたまるか!」  基弘が仁王立ちしていた。  日常生活を覆い尽くす幻想の中、様々な矛盾を時に無視し、時に忘れ去る。その繰り返しで現実から目を背け、矛盾する記憶の狭間で辻褄を合わせ続けてきた年月が、彼の容姿まで変えてしまったのかもしれない。  異形だった。  本人の認識とは裏腹に、真の年齢は既に百才を超えている。  その鬼気迫る眼光、九十を過ぎてから極度に痩せた体、ボロボロの衣服が生む不気味さに若手職員は悲鳴を上げた。 「亜希子は生きてる! もうすぐ俺はあいつと出逢う。出逢えるんじゃ!」  基弘は今度こそスマホを『猫』へ投げつけようと振りかぶったが、どうやら手元が狂った様だ。  勢いよく宙を舞った後、アスファルトへ落ちたスマホは砕け、無数の小さな破片が辺りへ散らばる。 「失礼しました。又、来ます」  基弘がスマホの欠片を拾い集める間、ベテラン職員も若手職員と共に今井家から距離を取った。  敢えて踏み込んでみたものの、これ以上の説得は危険過ぎる。  役所へ戻る前に、もう一度、二人は庭の垣根からそ~っと中を覗いてみた。  温暖化の進行と強烈な紫外線により、花壇周辺の植物は殆ど枯れている。過酷な環境変化は、庭いじりと言う趣味の難易度を限りなく上げてしまったらしい。  元来穏やかな岡山の気候だから、この程度で済んでいるが、実際、今井家の周辺に残っていた畑は悉く放棄されている。  ご近所も多くは都市部へ引っ越し、町はゴーストタウンの一方手前だ。辛うじて残っていたお隣さんも、間も無く家を取り壊すと言う。  若者の数が激減。経済状況の悪化で外国人の働き手からもそっぽを向かれた日本の地方都市には、今や珍しくない状況だ。  孤立無援の「ポツンと一軒家」。とは言え、一つだけ奇妙な例外がある。  背の高い皇帝ダリアが、周囲の荒廃をものともせず、花壇の真ん中で鮮やかに咲き誇っているのだ。  垣根の隙間から見るベテランと若手の目には、まるで巨大な時計の長針が大地から突き出している様に映り、そこだけ本当に時が止まっている気がした。  唯一、側で動いているのは……基弘だ。  拾い終えたスマホの欠片と散水ホースを手に、花の手入れを再開していた。もう二人には目もくれず、何事も無かった顔で淡々と同じ動作を繰り返している。  多分、彼にとってそれは、目覚めて最初に行う大事な日課なのだろう。  あぁ、今日は又、一段と暑いのう。  基弘の体は重かった。起きたばかりの筈なのに、何か色々やらかした後の疲労が肩にのしかかっている。  俺、いよいよアカンかな?  そんな不安に駆られる事もあるが、やる事はいつも通り。  変わらない。  変えない。  絶対に変えちゃいけない。  何かと気が滅入りそうな頭を右手で叩いてカツを入れ、握りしめているスマホに気付く。同時に、庭の外の路地から覗く何者かの視線を感じた。  又、隣のドラ猫だろうか?  それともお節介な民生委員の爺ぃ?  あぁ、もう、どいつもこいつも面倒臭ぇ……この庭はなぁ、お前らのトイレじゃねぇぞ。  鬱陶しさに天を仰ぐと、皇帝ダリアの花弁が目に入る。    妻の声で「気にし過ぎよ、あなた」とたしなめられた気がした。    性分なんじゃけ~、しゃんなかろ。  花弁の中の面影へ自嘲気味に語り掛け、苛立ちは一先ず棚上げ。いつも通りホースを仕舞い、縁側から家の中へと戻る。  壁の時計を見ると、もう昼過ぎだ。  液晶画面が割れたスマホを仏壇の横に置き、遺影へ手を合わす。写真の中の妻は、ダリアの花に重なる面影と同じ、優しい笑顔で夫を迎えた。  そして、砕け散った筈のスマホから着信を告げる旋律が流れ出し…… 「ねぇ、先輩。あの人、今の元号とか知ってるんですかね?」  去り際に、ポツリと若手が呟いた言葉にベテランは振り返る。 「元号?」 「だって、平成21年から10年分の経験をそのまんま繰返しているんでしょ、何度も、何度も、絶え間なく」 「ああ」 「なら平成の時代が終わり、令和になって20年以上経過している事だって、気付いてない筈ですし」 「うん、知らないだろうな」 「哀れな話、ですね」 「そうか? 俺は結構、今井さんがうらやましい」  若手職員は気が知れないと言う目で、ベテランを見つめた。 「だって、そうだろ。年老いて、初めて手に入れた一世一代の恋を何度も繰返し味わえるんだぞ」 「全部、幻想ですよ」 「永遠の平成を生きる……それがあの人にとって唯一の真実かもしれないぜ」 「ネコ扱いされる、僕らは良い迷惑ですけどね」  ベテランはふっと笑い、それ以上は何も言わずに歩き出す。  ふと背中に感じた眼差しは、時が止まった家の主か、それとも花を植えた女の想いの残滓なのだろうか?  考えた所で答の出ない問いを噛み締め、11月にしては強すぎる日差しの下、彼は止まらない額の汗を拭った。  結局、今年も又、暖冬らしい。
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